まともな日本に01 「高齢化社会」の間違い | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

まともな日本に01 「高齢化社会」の間違い (2/9)

「高齢化社会」とか「超高齢化」とかいう用語があります。60歳、あるいは65歳以上の人が多い社会を「高齢化社会」というのが一般できですが、この用語はいかにも視野が狭く、適切な用語ではありません。


なぜ、60歳、65歳以上の人を「高齢者」と言うのかというと、平均寿命が70歳の頃、年金制度ができ、大家族制が無くなったころの社会を基準にしているからです。平均寿命が短いのですから、当然、60歳、65歳の人の数は少なく、若い人を基準にすると「高齢者」と感じられたのでしょう。


でも、かつて中学校を卒業したら勤めに出ていたのに、今は高校全入、大学の進学率も半分ぐらいになりました。就職の平均年齢は15歳が20歳になっています。また女性の結婚年齢は20歳ぐらいから30歳になり、35歳を過ぎた出産もそれほど珍しくない時代です。さらに閉経年齢も明治時代の40歳から50歳代半ばすぎになっています。


つまり年齢とその人の一生という点では、おおよそ1.5倍になっているとしてもそれほど間違いでは無いでしょう。今後、平均寿命は21世紀末に95歳から100歳になるのは間違いありません。そうなると80歳以上が「高齢者」で、定年も80歳になります。つまり20歳まで教育、20歳から80歳までが仕事、80歳から100歳までが引退後の晩年とするのが適当でしょう。


80歳以上の人の数は少し少ないと思いますが、医療費などがかかるので、簡単に予測すると、人生20年が教育、60年が仕事、20年が晩年ですから、他人の世話になるのが40年、自分が稼ぐのが60年ですから、年金ができた頃とあまりかわりません。


それに加えて、女性の職場進出、電子化による労働生産性の向上、社会システムの効率化などが進みますから、むしろ仕事をする人の負担は「重くなる」のではなく「軽くなる」と考えられます。増税の必要なし!!


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私のエッセイに「老婆の時間」というのがありますが、縁側でひなたぼっこしている老婆が家の前の道を忙しく走り去る若い学生を見送って、「ああ、私の人生いも・・・」と思う情景を書いています。本当はまだまだ人生の時間を楽しめる老婆が、社会の「常識」に押しやられて人生を諦めているように思われたからです。


老婆でも若い学生でも人生の時間は同じく貴重であり、それを社会的に封殺することは良いことではないと思います。


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私がテレビで「50歳以上の男性は意味が無い」と言っているのも同じことで、現在のような停滞している社会では、比較的年齢が高い人の権力が強くなり、若い時代に活躍する芽を取られることがあります。仕事をする時間はかつては15歳から55歳までの40年だったのに、これからは20歳から75歳までの55歳になるのですから、50歳以上の男性は30年の仕事の前半生に区切りをつけて、若い人の人生の時間を考える方がよいという意味です。


つまり、一見して「老婆の時間」と「50歳以上の男性は意味が無い」というのは矛盾しているように見えますが、私が言いたいことは「どの人も年齢によらす、同じ価値を持つ時間を過ごすように日本人全体が考えた方が良い」という意味なのです。


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人間の人生は、若い頃は20年ぐらい自分を鍛えるのに使い、その間に、兵役、ボランティア、外国生活なども2年ぐらいは経験した方が良いでしょう。でも、若い頃は長い間、教育を受けるより、少し早めに社会に出た方がよいので、平均はやはり20歳ぐらいというところでしょう。


一方、仕事を辞めて引退が今のように65歳とすると、100歳までの35年、することがないのはやはり歪んだ人生のように思います。そこで80歳を定年にすることになりますが、体力的には今の70歳が100年後の80歳になるでしょう。


明治の人の随筆などを読むと、当時の50歳の人は今の80歳と同じぐらいの体力の衰えを感じています。人間のように集団性の動物は全体の動きに合わせて個人の体力まで変わるのです。


今、消費税率を上げるために、「高齢化社会」が問題になっていますが、私はその前に、日本会の50年後、100年後のイメージを作るべきでしょう。1960年に始まった年金を考えた社会はあまりに「その時」だけを視野に入れていたので、破綻をしました。今度、改めて日本国民の人生を考えるときには、「高齢化社会」という言葉を使わないことが大切と思います。


従って、「高齢化社会がきて大変になる」と暗くなるのではなく、「長く人生を楽しむことができるようになるぞ!」と考え、「どんなに寿命が延びても高齢化にはならない」とするのがまともな日本にする第一歩を思います。

(平成24年2月9日)


--------ここから音声内容--------


ええと、最近あの、「高齢化社会」とかですね、「超高齢化」という言葉があるぐらいで。いろいろその、高齢、高齢、とこういうふうに言うわけですが。60歳、昔はですね、最近65歳の多い社会を「高齢化社会」と、まぁいうふうに一般的に言ってるんですけど、これはやっぱり日本の新聞のレベルの低さというかですね、非常に視野が狭くて、適切な用語ではありません。






なぜ我々がですね、60歳とか65歳以上の人を「高齢者」と言うかといいますとですね、それ実は、あの平均寿命がもっと低いときのことなんですね。70歳の平均寿命を75歳となったときに、大体は年金制度ができて、大家族制が崩壊したんですね。その頃、65歳以上の人を高齢者と、ま、いうふうに呼んだんですね。最初は60歳だったんですけど、呼んだわけです。つまり、平均寿命が短いから「高齢者」ということなんですね。







その頃は中学を出たら半分くらいの人が勤めに出て、ま、今は高校全入、大学の進学率も半分ぐらいである、と。で、就職の平均年齢が15歳から20歳ぐらいになり、女性の結婚年齢は20歳から30歳になり、35歳を過ぎた出産もそれほど珍しくないという時代になったわけですね。





ま、つまり、これちょっと下品な言葉で「パンツのゴム」って、こう言うんですよ。つまりその、「伸びれば全体的に伸びる」ということですよね、当たり前のことですが。今後の、例えば今、年金だとか、消費税の増税という議論がありますが、いったい日本人の平均寿命どこに設定するか、っていうことですね。例えば2050年というとですね、平均寿命はおそらく95歳だと思んですそうするとですね、95歳でですね、平均寿命がなるのに、65歳から、その「高齢者」と言ってるとですね、30年間高齢者と、なんにもしなくてぼやーっとする人生を送るってことになるんですね。これも非常に具合が悪いんですよ。






なぜ具合が悪いかって言いますと、人間というのは集団性の動物ですから、寿命が長くなるとやっぱり長くまで働けるようになるんですよ。これ、生物学的にそうなんですね。私がいつも、こうよく言うんですが、イワシだとか人間とか、こういった集団性の動物っていうのはですね、集団が元気がなくなると、一人一人も元気がなくなるし、集団が元気になると、元気になるしですね。10人中、2人が頑張れば、他の人はサボってて、で、その2人がなんかの関係でいなくなると、その残りの集団からまた2人が出てくるって言う、これがあの、いわゆる集団性の動物のですね、生理現象なんですよね。







ですから、そういう点から言ってですね、寿命が延びれば自動的に、歳取るまで仕事できるんですよ。今の人でですね、例えば65歳になったらですね、「いや、もう65歳になったからもうダメだ」と、ま、いうふうになるんですが、そうじゃないんですよね。今の65歳の人が、自分の体を考えるとですね、将来は75歳とか85歳ぐらいで同じような感じになるんですよ。






えー、明治時代はですね、50歳になりますとですね、森鴎外とか夏目漱石、いつも出すんですけども。書いてあるとこ見ますとね、「体きつくて、生きたくない」なんて言ってんですね。丈夫な人だったんですよ、森鴎外なんつうのは、えー軍隊でも活躍し、お医者さんでもありですね。立派な生活をしてた。だけど、57歳でお亡くなりになったんですけども、その頃はもう疲れて、ま、今で言えば85歳とか90歳ぐらいの感じで亡くなってるんですよ。これが集団性の動物の特徴なんですね。






ということは、どういうことかって言うと、平均寿命が延びるとかですね、そいから今は女性の職場進出とか電子化による労働生産性の向上っていうのがありますからね。もっとそういうイメージが強くなりますね。ですからまぁ、これを基にやるとですね、高齢化っていうのはありえないことになります。高齢化社会ではないんですよ。






要するに、私が言いたいのは、60歳から80歳の人がものすごく増えても、全然これは高齢化社会じゃないんですよ。もう60歳から80歳の人を、高齢と呼んでは不適切なんですね。ですから、今の「高齢化社会になるからどうのこうの」というのは、作戦的なこともあるでしょうし、税金を取りたいってことでもあるでしょうし、それから、何か企業側としては早く首を切りたいですとかですね。そういうことがあるんで、不純ですよね。





えー、医療費を良くして、みんなタバコを吸うな、太るな、こんなことやればですね、みんな健康になるわけで。そうすっと、健康になった後の受け皿っていうか、社会っていうのを良く考えとかないけないですね。私は健康が良いと思いますよ。そいで平均寿命が95歳になるってことも良いと思います。それで、大体80歳まではピンピンしてますですね。もうそれ、間違いないですよ。だから25歳ぐらいまで教育を受けて、だけどこれちょっと問題なんですね、若い方は。





ていうのは、若い人っていうのはですね、20歳ぐらいまで勉強すると嫌になってくるんですよ。ま、特別な人を別にして。早く働きたくなるんで、それはそれでいいと思うんですね。だからまぁ、20歳くらいが成人年齢としてはいいかな、と。だから、まぁ20歳から80歳まで働くわけですからね。それもピンピンして働くんですよ、もうイキイキとして働くんですね。これはもう非常に良いことなんで。えーまぁ、あの「高齢化社会」という暗いイメージを定着させて、何か高齢化のために、多くの人がなんか犠牲になんなきゃいけない、そんなこと全然ないですからね。





それからもう一つはですね、私のエッセイに「老婆の時間」っていうのがあるんですけども。縁側で日向ぼっこをしている老婆がですね、家の前を忙しく走り回る若い学生を見てですね。「あー、私の人生ももう・・」っていうふうに思う情景を書いてるんです。しかし、そんなことないんですよ。 ほんとは「老婆」っていうのは、もっと楽しく過ごせるんですが、社会が「あなたは老齢だ、老齢だ」って言うんで、その「常識」に押しやられてしまう、ということですね。





で、もう一つ、相矛盾するように思うことをお話しますが、私はテレビなんかで「50歳以上の男性は生きる価値がない」と言ってるわけですが、これは実は、何を言ってるかって、同じことなんですよ。こういったですね、20歳から80歳まで働くというような時代になるとですね、あるところで区切りをつけないとダメなんですよね。年取りのところに権力が集中しちゃうんですよ。






つまり今まではですね、20歳で働いて55歳で昔、定年になりましたからね。だから威張る人が少ないんですよ。昔、50過ぎた人が5年分しかいないからですね。ところが、20歳から80歳になると、50歳って、まだちょうど中間なんですよ。そうすっとですね、今までのように50歳の人が「俺は部長になった」とか「社長になった」とかって、威張るとですね。もう、若い人が全部やられちゃうんですよ。





その意味で私はですね、50歳以上の男性は、それまでの30年間の仕事に一応区切りをつけて、若い人にも仕事のチャンスを与えるということを考えないと、いわゆる寿命が長い、長い間働く社会は、ダメだという意味なんですね。つまり、「老婆の時間」とか「50歳以上の男性は意味がない」っていうのは相矛盾するように見えますが、私が言いたいことはですね、20歳から80歳まで60年間を暮らせる、その素晴らしい社会が生まれようとしてるんだから、それに応じてですね、どの人も年齢によらずに、同じ価値を持つような時間を過ごす、そういった日本を考えたがいいんじゃないかって言うのが、私が言っている意味なんですね。





で、まぁあの、若い時っていうのはですね。兵役なんかもあったり、ボランティアがあったり、外国に行ったりするのに非常にいいんですね。ですから、その意味では20歳ぐらいで、社会にいったん出るっていうのは、いいんじゃないかと思います。で、まぁそういうことでですね、全然、年金とかそういうの問題ありませんし、税金を上げる必要もないと、私思います。





えー、高齢化社会が来て、大変になるって言うのは、全く従来の考え方をですね、ま、極端に言えば20歳から55歳で定年になる、っていうような考え方で、社会を考えてるわけです。私は、政府の人はですね、もう少し前途明るいというか、当然にこうなる、という日本を考えるべきで、かつての1970年ぐらいの日本の状態をですね、2050年に同じ状態だというように考えて、社会の人に言うとですね、ダメだと思いますね。






「長く人生が楽しめるようになったぞ!」と、こういうことなんですからね。「どんなに寿命が延びても、歳を取っても、高齢化ではないぞ!」とこういうことなんですよ。もちろん、電車の高齢化シートもですね、昔は60、今65、だけどそのうち80にしたらいいんですね。それで“あなたは高齢じゃない”と、いう社会でですね、楽しく人生を過ごす、これが「老婆の時間」であり、「男は50歳では価値がない」という私の言ってる意味であります。


(文字起こし by danielle)