大正14年3月13日生まれの父。
なんと100歳になりました
家族が全員集合して、お祝いをしてきました。

髪は薄くなったからと、自分で剃ってしまっていますが、顔や手の肌は、ハリがあってツルツルですよぉ。
私の記憶には無いくらいに早く亡くなった、父の母から伝授された洗顔方法を続けているからとか。
その理由は、なんと
真冬でも冷たい水で洗顔する事。
ただ、それだけだって言うんですよ。
でも氷水みたいに冷たい冬の水で洗顔すると、顔も手も痛いほど冷たくなるから、私には無理~~😅
そして父は、要介護は1か2だったかなぁ
デイケアに週2回行っていて、細かい塗り絵や削り絵や書道など等をやっています。


上の物は、下に色が付いていて表面は真っ黒になっているものを、楊枝を使って削りながら絵を書いて行くそうです。
事由に、絵が描けるから面白いって言っていましたが、すっごく上手くてビックリ
ですよぉ。
下絵とかあるの
って聞くと、そんな物は無いって。
端っこが黒くなっているけど、その状態の所を自分で削っていくそうです。
こんな器用な親なのに、私は図画工作・美術ともに、成績は最低だったのよね
実家へ行くと得意げに「おじいちゃんはこんな事もやってるんだよ」って、10冊以上あるファイルを見せてくれます。
そしてデイケアへ行くと、自分より年下ばかりなのに、頭が弱っている人ばかりだから、作業を教える指導員役をしてるんだとか。😄
さらに、送迎バスで回っているルート、乗ってる人の名前と家を全て覚えてるって。😄
また、週に1回1泊で姉の家へ泊りに行ってるんだけど、姉の家ではジグソーパズルをやってます。
何年も前からの趣味で、実家にも1000ピースを超える大作が鴨居の所にビッシリ飾ってあります。
姉の家にも「もう飾る所が無くなっちゃったんだよ」って言って、床で壁に立てかけるように何作も置いてあります。
その大作は、主に風景や観光地の建物で、空や池など難しいものばかり😅
そして、文字を書く位なら眼鏡をしません😂
足は流石に弱ってしまって、立ったり座ったりに時間が掛かりますね。
でも、夕飯と朝食は隣に住んでる兄の家で食べるけど、昼間は自分でインスタント袋のカレーうどんを作っているとか。
掃除機も洗濯も、自分でやっています。
何と言うスーパーじいちゃんなんでしょうね😍
「もうおじいちゃんは、いつどうなるか分からないからな」が口癖だけど、まだまだ長生きすると思いますね。
でも、1泊していっぱいお喋りしたから、帰る時は車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた顔が、すごく寂しそうで後ろ髪を引かれました😢
それから、施設にいる母の面会にも行ってきました。
面会人数が3人まで、と決められているので、私の子供たちと3人で行きました。

前に面会へ行った時、昔の家族旅行での写真を大きくプリントして持って行ったんです。
その中の1枚を、いつも持ち歩いているトートバックに入れていました。
半分に折ってある中央に父が居て、折れ線でクシャクシャになっています。
それを「お父さんの顔が見えなくなっちゃったんだよね」って悲しそうに言ってました。
入所当時は、私を見ても「あたしの親戚
」なんて言って
全く分からないほどだったんですよ。
名前を言っても「分からない。来てくれてありがとうございます」なんて言っていました😅
だから昔の写真で、年が違う物を3枚持って行ったんです。
そして、面会の度に写真を指差しながら「これが〇〇で、こっちが〇〇」なんて言ってました。
初めの頃は、父までも「私の旦那様
そう
」なって言ってたけど、時々頭の回線が繋がるようで「おじいちゃんが1人で寂しいと思うから、たまには行ってあげてね」なんて。
長野県へ引っ越す前にも面会へ行ったけど、その時も今回も
ほとんど人の名前を理解していたようでした。
「これが〇〇
」って自分から名前を言っていたから。
ただ成長しちゃっているから、顔と名前が一致しているのは
父と母だけでしたけどね。😄
「これがお父さんで、これが私よね」って
いつの頃からか、おじいちゃんでは無くてお父さんに替わっていたけど😄
頭の回路が切れていても、毎日見たり何度も言ってあげると段々に戻って来るというのが分かりました。
母が、父の顔が見えなくなって悲しんで居ることを、兄や姉に伝えて、次に面会へ行く時は写真を持って行ってあげて欲しいとお願いしてきました。
そして私達も、懐かしい地元のハイキングコースを歩いて来ました。
JR青梅線、青梅駅の裏手にある青梅丘陵ハイキングコースを
櫓台までの往復6kmを歩きました。
このコースは、登山を始める前から歩いているので、もう何度歩いたのか数えきれない位になっています。
初めの頃は、多くの人が歩くハイキングコースだけを歩いていたけど、登山を始めてからは、ほぼ平行して繋がっている登山道の方を歩いていました。
途中からは、結構キツイ登りもあるんですよ。
でも、この日は前日の疲れもあり、また長野県には無いラーメン屋さんへお昼に行きたい
って気持ちがあったので、最初の緩い登山道を歩いただけに留めました。
帰りは急ぎ足で歩いて、ヘトヘトになっちゃった🤣
だって、そのラーメン屋さんは人気店だから、外までズラーと並んじゃうんですよ。
そんな並んでると、帰りが遅くなるから12時前には店に着きたかったんです。
このお店は、何も食べても美味しいと思うんだけど(前に息子は定食を食べてました)
私達はいつも決まったメニュー。
主人はチャーシュー麵で私はタンメン。
そして名物のジャンボ餃子。

チャーハンも美味しくて食べたかったんだけど、主人も私も食べきれるか分からなかったので、注文しなかったんです。
でもラーメンを食べ終わったら、やっぱりチャーハンも食べたい
って😂
1個だけ注文して、私も少しだけ食べました。
やっぱりココのものは美味しいわぁ
長野県はチェーン店が少なくて、長野市まで行けば何件かあるものの、須坂市にはマックとバー〇〇ンとミスドしか無いんですよ。
個人店では、ラーメンも寿司もあるけど。
私、個人店はどんな味かわからないから、苦手なんですよね
だから外食は、ほとんどしません。
ただ、持ち帰り弁当のほっと〇〇〇は、徒歩2分の所にあるから時々買ってますけどね😄
実家へ行く時は日曜だし、朝の4時40分に家を出たから、高速の割引があって、家の直ぐ近くから高速に乗りました。
帰りは月曜の平日で割引が無いから、下道を少し走る予定でした。
でも、父が交通費をくれたので
昼食を食べた近くから高速に乗ることが出来て、家の近くのインターを出たのが16時前という早さで帰って来れました。
なので、インターの近くの温泉へ寄っても、自宅へ着いたのは17時少し過ぎ。
帰りの高速では「何だか家に帰るって言うより、今からどこかへ遊びに行くみたいな感じだな」って主人と言っていたんです。
でも家に入ると「あ~ウチの匂いだぁ」って😊
家族と離れるのは、不安や寂しさもあるけど、ゴチャゴチャした東京より、静かな須坂市が私には落ち着ける場所になっています。
長い距離の高速移動で、景色や車の流れを多く見て、誕生日会で賑やかな席に3時間も居て。
終わったら母の面会に行き、実家へ帰ったら父には手が回らない拭き掃除を1時間半。
夜も朝も父と多くの会話をしたり、耳が遠くなってる父の家の大きな音のテレビを見たり。
帰りのお昼ご飯でも、店の混雑した音を聞いたし。
高速道路でも、車の流れや景色の流れを見ていたし。
私には、刺激が多くて強すぎたようです。
翌朝、目覚めると頭の中がフワフワしてて、眠い訳では無いのにボーッとして、瞼が閉じてしまう状態。
首のヘルニア治療で、痛み止めと炎症を抑える注射、そしてレーザー治療は毎日受けるように言われています。
でも、初めて2回で実家へ行って3日間も受けて無かったので、頑張ってお医者へは行ってきましたが、帰って来てから頭がふらつき過ぎて、寝込んでしまいました。
パニック障害を持ってる私にとって、普通の人には何でも無いことでも、刺激となりストレスとなってしまうんですよね
こんな状態で、外へ働きに出られなくなったから、障害者年金受給の認定を受けようとしたけど、パニック障害は認定される障害枠に入って無いと却下されました。
まあ、よっぽど酷くて入院するほどの人なら、認定されるのかも知れませんけどね。
WEBライターの勉強をして、今はプログラミングの勉強もしているけど、仕事に応募する勇気が出なくて、収入に繋がっていません。
まだ、そこまで自信が持てないことと、仕事を受けてから調子が悪くなって納期を守れなかったら大変、だという気持ちの不安が多き過ぎるんです。
せっかく勉強したのに。
不安感が強すぎるって、意味ないじゃん
って自分が腹立たしくなってきます。
主人は、何とかなるから無理しなくて良いよ、って言ってくれますけどね。
話がずれてしまったけど、父の100歳の誕生日会には、行かれて良かったと思います。