「箱入り娘の意味するところ」
「天井のない家がどんなものなのか、想像がつくかい?」
と、雄介は言った。
「なんだよ、いきなり」雄介の中高を通じての同級生だった礼二は答える。
日曜の午後、7両編成の上り電車には人も少ない。
同じ車両には先頭方向に女子校生、最後尾に老婆がいるだけだった。
「まさか、雄介、東京で浮浪者やってんじゃないだろうな?」
礼二は真顔で聞いてきた。
「なっ訳ないだろう。ちゃんと勤めているし、狭い賃貸アパートだけど、天井くらいはある」
「じゃなんだよ。大ちゃんに先越されて。あっ、そういえばやつの嫁、おまえの幼なじみか」
「ばぁか、そんなんじゃねえ。誤解するな。近所なだけさ」
雄介は白いネクタイを外しながら、流れる景色を見た。
山が冬から春へと緑を戻しつつある。「ただ、」
「ただ?」
礼二の素っ頓狂な声が車内に響き、携帯に夢中だった女子校生が顔を上げた。
だから声のトーンを落として改めて問い正した。「ただ、なんだよ?」
「一時期、天井のない家に一緒に暮らしていたから、わかるんだ」
礼二の不可解な表情に、雄介は「まあ聞け」と言った。
あの頃、おれは朝7時に起こされた。
たとえ起きていても寝ていなければならなかったんだ。
「パパ起きて、時間よ」
たぶん、その言葉が言いたかったんだろう。
起こされると、先ず、リビングのテーブルにつき、
朝食の準備をしている妻の愚痴を聞かなければならない。
たとえば中学3年になる長男の成績が下がる一方だとか、
毎週のゴミ出しのルールを守らないご近所さんがいるといったね。
そこでおれは新聞を読みながら、適切に合図地を打つ。
「そうか、大変だったね」なんてね。いわば、それが夫としての義務なわけだ。
いつも通りの卵焼きをメインとした朝食を終えて、会社に向かう。
玄関でのキスは照れ臭かったけれど、それも慣れればどうってことない。
それが最後の儀式だし、玄関を出ればおれは解放されるからだ。
会社で働いている時間で、だいがい、おれは少年ジャンプを読むことにしていた。
ただ、きっちり午後7時には帰る。飲みの誘いも断る。
現実に一週間口をきいてもらえないのは嫌なものだ。それに模範的な夫だからね。
週末には毎回、旅行の計画を立てなければならない。
一番受けがいいのは、もちろんディズニーランド。
ついでに妻のお友だちも加わって、おれが運転するワンボックスで出発して帰る。
お友だちは4人だったな。
彼女たちは口々に「楽しかった」を連呼するけど、おれにはそうは思えなかった。
なにしろ行ったことがないからね。
でも、合図地は打つよ。
妻の視線が痛いし、模範的な夫だから。
どうよ? そんな風に暮らすって、辛いとは思わないか?
おれにはそんな生活が幸せとは思えない。
その話を聞いた礼二は「天井のない家で暮らしたくはないな」と言った。
「だろう」
「どのくらい、暮らしたんだ?」
「おまえらに出会う小бまでさ」と雄介。
「なるほど、もしその頃のままだとしたら・・・」
礼二は雄介をまじまじと見ると、こう付け加えた。
「そいつは紛れもなく、箱入り娘だ」
(当時、りかちゃんの設定通りではないのは、子供のことなので、あしからず。
実際のパパは家にいないことが多いということです)

