「暗闇に消えた恋」
「いい運勢です」
それは女性の声で、あまりに簡単な答えだった。
僕はそれこそ、運命線がどこそこで途切れていてとか、
この頭脳線が二つに分かれているからどうだとか、
そうした説明があるものと思っていた。
しかし目の前に座っている占い師は、
手のひらをサッと見ただけだった。
「いい?」
僕は占い師の答えが、他にないものか、
瓶に入れられたロウソクの弱い火に、
照らされた女性占い師の顔色をうかがった。
しかし人通りの少なくなった深夜の商店街は思った以上に暗く、
黒いフードを被った彼女の表情を、はっきり読み取ることはできなかった。
「いいです」
「他には?」と僕は聞いた。
「健康だわ」と答える。
それはそうだ。今のところ、今年に入ってから1回くらい風邪を引いたくらいで、
悪いところはない。
「そうじゃなくて、」聞きたいのは将来のことであって、今現在の近況ではない。
しかし彼女は実にあっけらかんとして、悪びれたそぶりもない。
それに何より占いそのものが、うわの空なのだ。
街灯のあかりで辛うじて見えた彼女の顔はドッキリするほどキレイだが、
その視線の先は僕ではなく、僕の背後にあった。
だから僕は思わず後ろを見た。
「振り返らないで」
彼女は僕の手のひらを見つめたまま、強い口調で言った。
「えっ?」
「お願いだから、振り返らないで」
それはガールフレンドが最後の言葉とまったく同じだった。
だから、僕は後ろを振り返るのを止めた。
人前で平手を食らうのは、二度と御免だからだ。
「事情を聞きたいね」と僕は彼女に聞いた。
街灯のあかりで見る彼女は、僕と同じ年ぐらい、まぁ30前後だろうか。
フード付きのジャンパーにジーンズ。
冷静に考えれば、それは占師に似つかわしくなかった。
彼女は周囲に注意を払いながら、僕の手を裏返した。
本当は裏返す必要などなかったのだろうけれど。
手持ち無沙汰なのかもしれない。
それに手の甲を見る占いなど聞いたことがない。
「キレイな指、しているのね」
「ほめられてうれしいけれど、この28年間、指が綺麗なことで得をしたことはない」
彼女はクスリと笑うと、
「汚い指よりもましよ。たとえばキノコ系のドラッグだとこのあたりが黄色くなるし、
銃を扱う人間にはここにタコができる」
彼女は具体的な場所を示してくれた。
占いよりも、かなり適切な意見だ。
「なるほど。それでキミは公安9課かなにかで、ターゲットでもマークしているのかな?」
僕がふざけて聞くと、
「それは秘密よ」
と、彼女は答えた。
「おいおい」僕は手を引っ込めた。
「ここは2013年の日本で、日本の警察は比較的よくやっていると思うよ」
「シッ!」
突然、彼女は僕の言葉を遮った。
しかし動作はあくまでも冷静で、それでいて周囲を注視している。
後ろ手に何やら人の会話がした。しかも複数。
僕の記憶だと、僕の背後には怪しげな風俗店があったはずだ。
店から客が出てきたのだろう。
午前0時11時分。僕は腕時計から視線を彼女に移した。
どうやら、公安というのは、まんざらでもないらしい。
よく見ると、彼女のカワイらしい耳には小型のイヤホンが付いているし、
懐あたりの膨らみは彼女のバストだけの問題ではない。
つまり。
僕は振り返ることもなく、じっとしていた。
「ダメよ。自然にして」
占う素振りの彼女にそう指示されたが、素人にそんなことを要求すること自体が間違っている。
背後に車が乗り付けられ、複数の人間が乗り込んだようだ。
彼女が小さく呟く。
攻殻機動隊なら、他に張っている連中。
ええっと・・・
そう。バトーとトグサに連絡を入れる場面だ。
背後の車が発車する。彼女の視線が車を追う。
そんな忙しそうな彼女に、
「タコチマはどこに待機しているのかな?」
と僕は聞いた。
彼女は僕の口に、人さし指をあて、
「ゴメンね。あなたと付き合っている暇はないの」と言った。
彼女は小型マイクに向い、
「スタンバイ、スタンバイ」と囁いた。
「いしかわさんが元気にしていたら、よろしく言ってくれ」
僕がそう言うと、彼女はニコリと笑ってみせた。
「ここの後片付け、お願いね」
それだけを言い残して、その3秒後には、路地の暗闇に消えていた。
取り残された僕には、裏返されたビールケースとロウソクセットだけが残り、
占いの答えもないまま、彼女の素性も聞けないまま、その場に立ち尽くしていた。
とんだ片思いだ。
占い的には、こういうのを「ツキのない日」と言うのだろうな。
たぶん。
(キミ伝社会部記者)
