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名波浩 引退

こうして一時代を築いた選手が引退するとどうにも感慨深くなります。


名波浩が好きな選手だったかと聞かれると特別そうでもなかった気が。

かと言って別に嫌いって訳ではないです。普通な感じとでも言いましょうか?

左しか使わない彼のスタイルを変な言い訳にして、利き足の右しか使ってなかったらあんまりサッカーが上手くならなかったのがいい思い出ですね。


ただ、好きな選手ではなかったけど、思い入れのある選手ではありました。

単純に誕生日が一緒だったのです。

11月28日。

ちょうど10歳年が離れていたので、小さい頃は「名波浩の再来か?」ともてはやされたものです。





それはさておき、名波浩。


やはり偉大でな選手でした。


Jリーグ開幕以降の日本代表には「10番」の選手って3人しかいないと思うんですよね。

ラモス瑠偉・名波浩・中村俊輔の3人。

細かく言えば岩本輝雄やら磯貝洋光らもいるんだろうけど、彼らはあくまで暫定的なもので自分の中で日本代表の「10番」ではありませんでした。


名波浩はラモス氏や中村氏に比べると一つ後ろの位置でプレイしてたり、得点に絡むシーンも少なかったりで若干スター性に欠ける感じもするけど、その黒子っぷりも彼らしいですね。

しかしその一歩引いた黒子っぷりも、実は中田英寿を操りなんだかんだでゲームを支配してた裏番長的な存在だったり。

そういえば彼は自分の性格を「ジャイアン」って表現してませんでしたっけ?

そんな訳で、彼は彼の色で紛れもなく日本代表の「10番」を彩ってたんだなぁってね。








とか思ってみたもの、ふと今の小中学生とか名波浩の凄さを知らないんだろうなぁって思ったわけです。

「名波って凄かったらしい」

ってのは知ってるんでしょうが、あくまで雰囲気で知ってる程度でしょう。

そう思うとやっぱり寂しいものですね。


しかし逆に自分達もそう思われてるんだろうなぁとね。

やぱっり世代的に釜本の本当の凄さとか知らないし、奥寺の輝きも知らないわけです。

知識として知ってるのみ。


きっと彼らにとっての名波浩は自分にとっての木村和司でしょう。

「かつては日本の10番で凄かったらしいけど、今はケガがちなベテラン選手」といった印象。

そうなると木村氏のW杯予選・日韓戦でのFKは、名波浩で言うなら2000アジア杯イラク戦でFKを横に流したボールを強烈にぶち込んだあのゴールでしょうか?





まぁ名波のゴールは木村氏のFKほど露出度は高くはないけども。



そして名波浩が木村和司なら、藤田俊哉は水沼貴史ですかね?

だからなんだって話ですが・・・

少しでも「確かに・・・」って思ってもらえれば本望です。




そして将来は指導者だとか。

かつてトルシエに「一生リーダーになれない」とか言われてたけど、なんか彼はいい指導者になる気がするんですよね。

根拠はないんで完全に感覚です。




キャリアの終盤はケガがちで満足にサッカー出来なかったのは残念だったけど、なんだかんだで多くの夢を見させてもらったなぁと思います。


とりあえず今シーズンの最終節は見に行ってみようかなぁと思います。

MJウォーク

これが噂の「MJウォーク」。


Yabai-Yabai-Yabai



嵐のメンバー松本潤こと松潤氏が重力を操り空中や天井を歩くと言う大技。

重力を操るという能力を持ち合わせた松潤氏だからこそ出来るってもんです。









…ってか、これを考え付いてしまうのとかやっぱり才能ある人ですよね。

ナビスコカップ

11/1は毎年恒例のナビスコカップ決勝戦。
国立競技場において、大分トリニータ×清水エスパルスが行われましたね。


が、仕事の為に全く見れず。

どうやら大分トリニータが優勝したそうで。
開幕前の評判を覆しての初タイトルは素晴らしいと思います。
本当におめでとうございます。




と言う訳で、試合については触れられないのでナビスコカップと言う大会について書いていきたいと思います。


初めてのナビスコカップは、Jリーグ開幕の前年の1992年に開催。
Jリーグのプレ大会みたいな感じでした。
その大会では、カズ・武田・ラモス・北澤らを要したヴェルディ川崎が優勝。
その後の、数年間における華々しい栄光の幕開けとなるですね。

また同時にルーキーの小倉隆史や澤登正朗が個人的には印象に残っています。
あの当時好きなサッカー選手を聞かれたら、確かこの二人を答えていたはず。
いや懐かしいですね。



そんな感じで大会はスタートし、その後リーグ戦の試合増により行われなかった年(95年)はあるものの今に至る訳です。



現在ナビスコカップ決勝と言えば毎年満員御礼の大人気。
しかし90年代末頃~00年代前半に時代を戻せばナビスコカップ決勝は今と比べて相当に人も入らない試合でした。
《参考》

96年   28,232人  ヴェルディ川崎 3-3(PK 4-5) 清水エスパルス
97年① 10,437人  ジュビロ磐田 1-2 鹿島アントラーズ

97年② 14,444人  鹿島アントラーズ 5-1 ジュビロ磐田 (97年はH&A方式)
00年   26,992人 川崎フロンターレ 0-2 鹿島アントラーズ

98年   41,718人  ジュビロ磐田 4-0 ジェフユナイテッド市原

99年   35,238人  柏レイソル 2-2(PK 5-4) 鹿島アントラーズ

01年   31,019人 ジュビロ磐田 0-0(PK1-3) 横浜F・マリノス




そんな大会がなぜ人気になったのか?
なぜファンは熱狂するのか?
ここでは2つの理由に関して述べていきたいと思います。


まず理由の一つに挙げられるのは、初タイトルがかかったチームが勝ち上がってきてるからでしょう。
その背景として、近年のナビスコカップの試合のほとんどが代表戦の裏で行われる様になった為に本来の戦力が結果に反映されにくいと言うのが挙げられます。代表に人を取られすぎてユース所属の選手らが出場し惨敗した浦和レッズや、代表には選ばれないまでも良い選手との声が多い選手を揃えた大分トリニータ・清水エスパルスが勝ち上がった今大会は象徴的でしょう。
そしてこうして勝ち上がったクラブは、滅多にないタイトル獲得のチャンスにクラブ・ファンは熱狂し決勝戦の満員に繋がる訳です。



そしてもう一つの理由。
それは02大会からの浦和レッズの3年連続の決勝進出ではないでしょうか。
個人的にここがナビスコカップの大会価値の一つの分岐点だと思ってます。


当時、弱小から強豪への転換期真っ只中の浦和レッズ。言ってみれば今の大分トリニータ(多分、財力的に大分は浦和にはならないでしょうが…)的勢いを持った様なチームでした。

そしてその浦和レッズ、ファンの数は今も変わらず圧倒的でJリーグ随一の集客力を持ったチーム。

そんなチームが初タイトルをかけて決勝進出したのが02年でした。
そりゃファンは熱狂ですよ。当時チケット争いに参戦してみたもののあっさり惨敗。
その後運良くチケットを回してもらって会場に行けたんですが、スタジアムの雰囲気は今でも忘れられませんね。
相手は鹿島で国立競技場は赤一色。
しかしその赤の中でも、実に3分の2近くが浦和の赤。
キックオフ前に威風堂々を歌う浦和側になびく無数のチームフラッグ。
どちらに肩入れしてなくても、その雰囲気には今でも思い出すだけで鳥肌が立ちます。
しかし結果は小笠原のゴールに沈み惜敗。

そしてこの惜敗が一つのポイントでもあるかなぁと。


翌年も同じカードでの決勝戦。
チケット争いは前年を凌駕するものだったと思います。
そして当日(この年も運良く会場へ)前年以上の気合い、そして地力。
見事にリベンジを果たしたと言う訳です。



もうその2年間でナビスコカップの見られ方は劇的に変わりましたよね。

あの2年間、何万人もの浦和レッズサポーターがナビスコカップを渇望した姿がナビスコカップと言う大会の価値を高めた気がしてなりません。
当時、勝ったからと言って上に繋がる事もなくて中途半端な名誉のみが与えられたナビスコカップを見事に変えてくれるんだなぁってね。

物事の価値ってのは与える側が決めるんじゃなくて受け取る側次第なんですよね。



そして2002年以降、決勝戦のチケットは7年連続で4万人オーバー(http://www.yamazaki-nabisco.co.jp/nabiscocup/index_cup_history.html#j )ですか?
もう立派な人気ですね。

《参考》

96~01年 平均 26,869人

02~08年 平均 48,156人


かつては大会の存在意義がどうのとか言われたけど、大会の存在意義なんて「皆がそのタイトルを渇望している」で十分なんじゃないでしょうか?