広島から世界へ 2020年8月6日 | heiwa789のブログ

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広島から世界へ 2020年8月6日

 

広島平和宣言全文

平和記念式典で「平和宣言」を読み上げる松井一実広島市長=6日午前、広島市の平和記念公園

平和記念式典で「平和宣言」を読み上げる松井一実広島市長=6日午前、広島市の平和記念公園

 松井一実市長の平和宣言の全文は次の通り。

 1945年8月6日、広島は1発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。

 今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、もがいていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

 およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第1次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」がかなわなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥れました。その後、国家主義の台頭もあって、第2次世界大戦へと突入し、原爆投下へとつながりました。

 こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義によることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

 原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半がやけどで、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです」という当時13歳であった男性の訴え。

 昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。

 そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから」という実体験からの言葉。これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。

 今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ」「人類の未来のための教訓だ」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

 そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者をはじめ、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

 本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 令和2年(2020年)8月6日

 広島市長 松井一実

 

 

平和記念式典で「平和への誓い」を宣言する大森駿佑君(左)と長倉菜摘さん=6日、広島市の平和記念公園で

 被爆地・広島の平和記念式典で「平和への誓い」を朗読する子ども代表に選ばれた広島市立矢野南小6年の大森駿佑(しゅんすけ)君(12)と、同安北小6年の長倉菜摘(なつみ)さん(12)は、身内に被爆者はいない。それでも、見聞きした被爆者の体験などから戦争の悲惨さを感じて「平和をつなぐ懸け橋の1人になりたい」と意気込み、当日の朝を迎えた。

 「人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思。希望を未来へとつないでいきます」。式典で2人は参列者を前に、力強く声をそろえて誓った。

 父親の転勤で6歳から3年ほどを松山市で過ごした大森君は、小3の夏に再び広島市に戻ってきた際、小学校での平和学習の時間が多いことに驚いた。「戦争や原爆について深く知らないことに気付き、もっと知りたいと思うようになった」

 広島市で生まれ育った長倉さんは、昨年4月にリニューアルされた同市の原爆資料館を家族で訪れた際、衣服などの遺品を目にして「持ち主のぬくもりや悲しみが伝わってくるように感じた」と話す。被爆者の証言ビデオも閲覧し「原爆は実際に人が体験したことなのだと分かって衝撃的だった」と振り返る。

 「戦争は何の利益もない。ただ人が亡くなっていくだけだと伝えたい」と大森君。長倉さんは「過去に広島で起こったことを人ごとではなく、自分のこととして考えてもらえるようなメッセージにしたかった」と力を込めた。

◆「平和への誓い」全文

 「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の町。

 75年がたった今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。

 この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。

 気持ちよく明日を迎え、さまざまな人と会う。

 当たり前の日常が広島の町には広がっています。

 しかし、今年の春は違いました。

 当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。

 当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。

 そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。

 75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。

 人間が人間の姿を失い、無残に焼け死んでいく。

 町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。

 血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。

 「あのようなことは二度と起きてはならない」

 広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。

 人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。

 私たちの未来に、核兵器は必要ありません。

 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。

 私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。

 被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。

 令和2年(2020年)8月6日 

 子ども代表

 広島市立安北小学校6年 長倉菜摘

 広島市立矢野南小学校6年 大森駿佑

 

 

首相あいさつ要旨

原子爆弾の犠牲となった数多くの方々のみ霊に、謹んで哀悼の誠をささげます。今なお後遺症に苦しむ方々に、心からお見舞い申し上げます。

 新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々が試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。75年前、1発の原子爆弾により廃虚と化しながらも、先人たちの努力で見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにし、平和の尊さに思いを致しています。

 広島と長崎で起きた惨禍と、もたらされた人々の苦しみは、繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を前に進めることは、わが国の変わらぬ使命です。

 本年は被爆75年という節目の年です。非核3原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていきます。

 核拡散防止条約(NPT)が発効50周年を迎えました。結束した取り組みを各国に働きかけ、積極的に貢献します。

 「核兵器のない世界」の実現へ確固たる歩みを支えるのは、核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取り組みです。わが国は被爆者と手を取り合い、被爆の実相への理解を促す努力を重ねていきます。

 原爆症の認定について、迅速な審査を行い、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進します。

 

 

 アントニオ・グテレス国連事務総長が、広島の平和記念式典に寄せたビデオメッセージの要旨は次の通り。

 広島に投下された原子爆弾の犠牲者に哀悼の意を表します。

 75年前、一つの原爆が言葉では表せないほどの死と破壊をこの街にもたらしました。影響は今もなお残っています。

 核軍縮の提唱者である被爆者は自らの悲劇を転じ、人類の安全と幸福を推し進めるために声を上げてこられました。

 1945年という運命の年に誕生した国際連合は、創立以来、核兵器廃絶の必要性を認識していました。しかし、その目標はいまだ達成されていません。

 核保有国は兵器の近代化を進め、新しい兵器と運搬手段を開発しています。意図的、偶発的に使用されるリスクは非常に高く、この傾向が続くことは許されません。

 今こそ対話と信頼醸成、核兵力の削減、最大限の自己抑制が必要です。国際的な不拡散・軍縮制度を強化しなければなりません。

 来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議において、締約国はこの共通のビジョンに立ち返る機会があります。

 核兵器禁止条約は軍縮体制のさらなる柱であり、私はその発効を心待ちにしています。

 若者たちは重要な役割を担っています。彼らと市民社会が一丸となって、軍縮という理念のために力を発揮できることを幾度も証明してきました。私たちは彼らの考えに耳を傾けるべきです。

 国連と私は、核なき世界という共通の目標を目指している皆さまと共に、引き続き努力してまいる所存です。