長崎から世界へ 2020年8月9日
令和2年 長崎平和宣言
長 崎 平 和 宣 言
私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2020年(令和2年)8月9日
長崎市長 田 上 富 久
長崎 平和への誓い(全文)
08月09日 11時34分
平和祈念式典で被爆者を代表して「平和への誓い」を述べたのは、カトリック信者で去年、長崎県を訪れたローマ教皇に爆心地で献花のための花輪を手渡した、深堀繁美さん(89)です。
以下、深堀さんの「平和への誓い」の全文です。
原爆が投下された1945年、旧制中学3年生だった私は、神父になるため親元を離れ、大浦天主堂の隣にあった羅典神学校で生活をしていました。
中学校の授業はなく、勤労学生として飽の浦町の三菱長崎造船所で働く毎日でした。
8月9日、仲間とともに工場で作業をしていた時、突然強い光が見え、大きな音が聞こえました。
近くに爆弾が落ちたと思い、とっさに床に伏せましたが、天井から割れた瓦が落ちてきたので、工場内にあるトンネルに逃げ込みました。
夕方になり、トンネルを出て神学校に帰りました。
夜遅くには浦上で働いていた5人の先輩が帰ってきましたが、1日もたたずに全員が亡くなりました。
翌10日の昼には、浦上の実家へ戻ることを許されたので、歩いて帰ることにしました。
途中には、車輪だけとなった電車や白骨が転がっており、川には真っ黒になった人が折り重なっていました。
生きているのか死んでいるのかもわかりません。
時々「水・・・、水・・・」という声が聞こえますが、助けることはできません。
浦上天主堂は大きく崩れ、その裏手にあった実家も爆風で壊れていました。
父は防空壕の中の兵器工場で働いていたので助かりましたが、姉2人と弟と妹は亡くなっていました。
しかし、たくさんの死体を見てきたためか、不思議と涙も出ません。
今思えば、普通の精神状態ではなかったのだと思います。
まちには亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ちこめていました。
何のけがもない人が次々に亡くなっていく現実を目の当たりにすると、次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、なかなか振り払えなかったことを覚えています。
このような思いは、もう2度とどこの誰にもしてほしくないと思います。
昨年11月、「平和の使者」として、フランシスコ教皇が長崎を訪問されました。
最初の訪問地、爆心地公園に足を運んだ教皇とともに原爆犠牲者に献花した、あの時の場面がよみがえります。
そして、39年前に広島でヨハネ・パウロ2世教皇の「戦争は人間のしわざです」との印象深い言葉を、より具体化し、核兵器廃絶に踏み込んだフランシスコ教皇の言葉に、どんなにか勇気づけられたことでしょう。
さらに、「長崎は核攻撃が人道上も環境上も壊滅的な結末をもたらすことの証人である町」とし、まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただきました。
また、「平和な世界を実現するには、すべての人の参加が必要」との教皇の呼びかけに呼応し、1人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません。
特に若い人たちには、この平和のバトンをしっかりと受け取り、走り続けていただくことをお願いしたいと思います。
私は89歳を過ぎました。
被爆者には、もう限られた時間しかありません。
ことし、被爆から75年が経過し、被爆者が1人また1人といなくなる中にあって、私は、「核兵器はなくさなければならない」との教皇のメッセージを糧に、「長崎を最後の被爆地に」との思いを訴え続けていくことを決意し、「平和への誓い」といたします。
「核軍縮、共通の基盤形成に努力」 長崎原爆の日 首相式典あいさつ全文
8/9(日) 12:07配信
長崎市で9日に行われた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での安倍晋三首相のあいさつ全文は次の通り。 本日ここに、被爆75周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠をささげます。 そして、いまなお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。 新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。 75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆さまのご努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。 長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めていくことは、わが国の変わらぬ使命です。 現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。 特に本年は、被爆75年という節目の年であります。わが国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしてまいります。 本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。わが国は、結束した取り組みの継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。 「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を超えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、承継する取り組みです。わが国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆さま、ならびに、参列者、長崎市民の皆さまのご平安を祈念いたしまして、私のあいさつといたします。
長崎平和祈念式典に寄せるアントニオ・グテーレス国連事務総長メッセージ(長崎、2020 年 8 月 9 日)
プレスリリース 20-053-J 2020年08月09日
中満泉国連事務次長・軍縮担当上級代表が代読
本日、75 周年という重要な節目の年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典におきまして、ご挨拶ができますことを光栄に思い感謝いたします。
原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げます。
この街は、「再生」、「復興」、そして「和解」の真の実例です。長崎市民の皆様は、被爆でのみ定義されるのではなく、あのような大惨事が決してほかの街や人々に降りかからぬよう一身を捧げて来られました。国際社会は、核兵器のない世界を達成するための皆様の献身に常に感謝しています。
私は、何十年にもわたり健康上の、また社会的、経済的な苦難を耐え抜かれた、長崎の被爆者の方々に、心からの敬意を捧げます。原子爆弾の苦難に囚われるのではなく、その逆境を転じ、核兵器の危険に警鐘をならし、人間の精神の勝利を世に示して来られました。
長崎の例は、世界にとって完全な核兵器廃絶を実現するための日々の動機となるべきです。しかし悲しいことに、この街が原子爆弾によって焦土と化した日から75 年経った今、核の脅威は再び高まりつつあります。
故意に、あるいは偶発的に、もしくは誤算によって核兵器が利用されるリスクが危険なほど高くなっています。核兵器をさらに探知されにくく、より正確で、より速く、一段と危険なものにするために近代化が図られています。そして、核兵器保有国間の関係は、不信感、透明性の欠如、そして対話の不足により危うい状態にあります。冷戦終結後は見られなかったような好戦的なレトリックを使った、核による威嚇行為が行われています。
核兵器の危険性を低減し、その廃絶をもたらすための条約や協定の網の目がほぐれ、今までの核軍縮の成果が失われる危機に瀕しています。私たちは、この恐ろしい傾向を覆さなければなりません。
国際社会は、核戦争には勝者はなく、また決して行われてはならないという認識に立ち戻らなければなりません。徐々に進みつつある既存の核軍縮体制の崩壊に早急に歯止めをかける必要があります。核兵器を保有する全ての国には、率先してこれに取り組む義務があります。
私たちは、核軍縮のための共同の努力を再開すべく、第10 回核兵器不拡散条約運用検討会議を活用しなければなりません。私たちは、核実験に反対する規範を擁護しなければなりません。そして、国際的な核軍縮体制を保持し、強化しなければなりません。私は、新たにその重要な一部となる核兵器禁止条約の発効を心待ちにしております。
75年という長い歳月が過ぎたにもかかわらず、いまだに核の恐ろしさと被爆者の方々からの重要な教訓が学ばれていません。私はこの機会をお借りして、国際連合が、勇敢な被爆者お一人お一人のメッセージを受け継いでいくことを誓います。そうすることで、冷徹な核戦略の論理がもたらし得る人々の悲劇を世界が知ることになるでしょう。未来の世代が核の大惨事の陰影から脱け出すことに手を貸すためにも、この歴史を、明日の平和構築者である今日の若者へ継承していくことは、私たちの責務でなければなりません。
この日を機に改めて申し上げます。二度と広島の惨事を繰り返さないように。二度と長崎の惨事を繰り返さないようにと。
2020 年(令和2 年)8 月9 日
国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス
* *** *
バイデン氏「核なき世界」の継承表明 広島と長崎に言及
2020年8月7日 17時44分
11月の米大統領選で民主党候補に内定しているバイデン前副大統領は6日、広島への原爆投下から75年を迎えたことを受けて声明を出し、「広島、長崎の恐怖が二度と繰り返されないために、核兵器のない世界に近づくよう取り組む」と表明した。
副大統領を務めたオバマ政権が掲げた、「核なき世界」の理念を継承する考えを明確にした。
バイデン氏は声明で「75年前のこの日、米国が初めて、そして今までで唯一、戦争で核兵器を使った国になり、核の時代が到来した。広島、長崎の死と破壊の光景は今も、我々を恐怖に陥れている」と言及。オバマ政権の実績について「イランの核の野心を封じ、米国とロシアの核兵器を過去60年で最少に減らす条約交渉を主導した」と述べ、イラン核合意や新戦略兵器削減条約(新START)の発効を強調した。
一方、現在のトランプ政権については「結果を顧みることもなく、複数の国際合意を破棄してきた」と非難。北朝鮮の核兵器開発も抑止できず、イランは再び核開発の道に乗っているなどとして、「より危険な世界を生み出した」とした。