第一章 自己消失 1-17 起っていた殺人 ―小説
言霊
東洋の小さな島国―ここ日本には、古代、一つの概念があった。
『言葉には命がこもる』
『言葉には力がある』
あらゆる文化において言葉をないがしろにした文化は存在しないであろう。言葉を恐れるにしろ崇めるにしろその存在は文化の根幹をなすものであるのだから当然だ。
言葉が、我々の思考を高次元化させたのだ。
それを考慮すれば、このような思想を表わす概念が生まれたことは必然であろう。
だが、文化云々を引き合いにするよりも、もっと身近なことでこれを実感するならば、そこに難しい説明はいらないだろう。
なぜなら、この現象に遭遇したことのない人間など存在しないだろうから。
映画の一言に感動したことは?
何気ない一言に涙したことは?
音楽を聴いて高揚したことは?
故郷からの手紙に郷愁を感じたことは?
あるいは、愛しているという言葉が言い出せないのは?
それは、それぞれその言葉に命が宿り、変化を伴いながらも僕らに影響する力があるからだ。
わからないだろうか?では、情動に作用するよりも、もっと低俗な作用をご紹介しよう。
君が、不意に後ろから
『止まれ!!』
と叫ばれたとしよう。
君は身を固くして。驚いて一瞬止まるだろう?
何なのか理解する前に、まずはとりあえず止まるはずだ。
ほら、『止まれ』という言葉には、君を止める力があるだろう?
つまり、そう言うことだ。
言葉は生物相手ならば、物理的に作用する力を持つのだ。
『言霊』
それは、人が手に入れた最初の力。最後の心。
二日目の朝・・
「ねむい・・・」
実に眠い。
そして思いのほか暇だった。
DSくらい用意するべきだった。
深夜番組のアニメは面白かったけどその他は、あんまり好みの番組はなかったし、かといって朝まで生テレビなんてまったくもって興味ねぇし・・・ああ、くそ、魔法使い来ないじゃんか・・むしろ来いって感じだぞ。
当然のことながら、来たら『帰れと言ってやる』。
早朝のテレビから流れる朝のラジオ体操及び、太極拳の音楽が実に睡魔を誘う。
ともかく、テレビを消そう。
ああ、なんだか自信がなくなってきた、2日間くらい起きていられるだろうとたかをくくっていたが、緊張しながらの徹夜というのは奇妙な疲労感が・・・。
そんなことを考えながら意識をどうにか『ここ』にとどめていると、ふと横から、視線を感じた。
「弓端さん?」
いつからそこにいたんだろうか?
弓端さんは、こちらを見つめている。
ただ見つめている。感情も何もない。
表情も何もない。おそらく意味すらそこにはないだろう。ただこちらを見ている。
ただ。
・・・・・。
・・・・・・・。
「あの・・・」
沈黙に耐えられずこちらから声をかけた。
しかし、反応がない。いや、こちらを見ているということは、それ自体、僕を認識しているということだ。反応など求める必要はない。
そう、不安になった。
また、
壊してしまったんじゃないかと・・・
しかし、
弓端さんの眼は
瞳は、
暗い、暗い、暗い
深く、脆く、淀んでいる。
あれほど、きれいな瞳に、誰が墨を零したのか?
弓端さんは、視線を一度下げると、何もなかったように、ふすまの陰へと消えていった。
「弓端さ―」
呼び止めようとしたとき、入れ替わるように、入ってきた古矢さんと正面衝突しそうになった。
「おや、ご苦労様です。徹夜明けなんですよね。今、朝食を用意しまから」
そう言って、古矢さんは、台所に向かうが・・・気づいてないのか?
「あの、弓端さんの様子、ちょっと変じゃありませんか?」
「いえ、そうは思いませんが。まぁ、お嬢様は、朝が弱いお人ですからね。」
そうか?
気のせいなのか?
あれが?
その時、テレビのから、ポーンと気の抜けたような音が頭に響いた。
テレビが、朝の忙しい時間帯に限りご丁寧にも通告するあの時報だ。
このなんとも間の抜けた音は、妙に頭に響き、インターホン同様、人間の思考にいともたやすく入り込む。
どうやら、六時になったらしいな。
と、そうか・・・。テレビ、消そうと思って忘れてたな。
と、朝のNEWSが始まる。まぁ、今現在のぼくとしては、そんなものには興味はない。当初の予定通り、消してしまおう。
と、リモコンのスイッチに手をかけようとしたとき、残念ながら、ついに人差し指は、動かなくなってしまった。
そうか、一度に『この人数』ならば、さすがにNEWSにせざるおえまい。
殺人は、起こっていたのだ。
◆ ◆ ◆
― 今日のヘッドラインNEWSです。
―昨晩から、今朝にかけてC市の住人23名が、相次いで意識を失い―
―警察は、『大虐殺』との関連を―
『大虐殺』との関連性を疑われているせいか個人情報は伏せられていて、C市のどのあたりでそれが起こったのかは分からない。
だが・・・これは間違いなく―。
何で今更?
まさしく今更だ。
何で今更、弓端さんとは関係のない人たちを殺す必要がある?
あまりに、あまりに今更すぎる。
弓端さんを追い詰めたからこその予告状ではないのか?
こんな無駄な大量虐殺、何の意味があるんだ。
遊んで・・いるつもりか?
いつだって殺せると
何人だって殺せると
生は無意味だ・・と
思ったよりくだらない奴だったな・・・
魔法使い
「どうしました?」
「いや、弓端さんを呼んできます」
「あ、はい、お願いします。」
少々むかっ腹が立ちまくっている、そういう単純な理由でいいだろう。そんな理由でもかまわないだろう。この場合に限り、僕は決意した。
弓端さんは、呼ぶまでもなく、すぐに食卓へと来た。さっきの弓端さんの様子は、どうも気がかりだが、今こうして見る限りでは、無口なだけで、いつもの弓端さんのようにも見える。といっても元から無表情だった弓端さんが無口になれば、もはや感情を表に現すのはそれこそ身振り手振りくらいしかないのだろうが・・・。
「さぁ、どうぞ」
食卓を彩る品々は、昨日と同じく純和風だ。
『THE日本の朝ごはん』を挙げるなら間違いなくこれのことなのだろう。
ご飯に味噌汁、塩鮭、納豆、卵焼き海苔に漬物、そして御浸し。最高ですな、特に納豆。いや、感動ものですよ特に納豆。
涙出てくるね特に納豆。そうですよね日本人なら、納豆ですよね。
ごめんなさい、納豆嫌いです。
と、ともかく、納豆以外は好物だ。出来るだけ目に入れぬように心がけよう。仕方ないじゃないか。大阪弁を話していなくても、関西人なんだ、僕は。納豆嫌いでも犯罪ではないはず。何言ってんだ、僕。
弓端さんの様子をそっと覗き見る。
・・・・・・・
まただ・・・・
弓端さんはじっとご飯を眺め続けている。なんか、これ見たことあるぞ。僕の記憶違いでなければ、昨日の買い物や料理の時そっくりだ。昨日まで食事時は普通だったのにここにきてなんなんだ。弓端さんのこれは異常ではないのか?これでもまだ寝ぼけているのか?あんなに眼は、開いているではないか?何かを探すように動いているではないか?その時、弓端さんの口がゆっくり、ゆっくりと丁寧に奇妙ななめらかさを持って動いた。
「 」
声が・・・でない・・・のか?
しかし、何かを伝えようとしている。
何かを表現しようとしている。ぼくは、その、一歩間違えれば奪いたくなるような唇の動きをゆっくりと追った。滑らかな、滑らかな動きが、何かを求めるような眼で・・・・・・。
(・・ソ・・・ユ・・・ソ・・・ス・・・)
ソユソース・・・・・醤油かよ。
醤油とってほしいだけかよッ!
つか何で英語的表現?
マジで寝ぼけてるだけじゃねぇのか!?
もう、マジ弓端さん萌えっす!
いいな、このツンデレ手法。もっと使っていこう。
なお、納豆の時の表現をデレツン手法と名付けよう。
「どうぞ、弓端さん。」
僕は、弓端さんに醤油を手渡す。
弓端さんは、醤油を持つことはなかった。
まるで、・・・どうしていいか思い出せないように。
彼女は中身が溶解していた。
「死にかけてる・・・」
第一章 自己消失 1-16 たった一言の世界 ―小説
たった一言。
僕はそれですべてを失ってしまった。
世界から嫌われてしまった。
恐ろしいほどに、その一言は僕の心の中に住み着いてしまった。
母の言っていた穢れは僕を飲み込んだ。
神を殺すという大罪
それは、言葉以上に大きかった。
しかし、その悲劇を生みだしたのも また 言葉 だった。
僕の言葉が死を編み出す。
常世の国へと門を開いてしまう。
涙が流れた。自分のしたことに絶叫した。自分を殺したくなった。でも、できなかった。
思考は分断され、やがて空いた隙間に、殺してしまった人たちの悲痛な叫びが、悔恨が、呪いが、脳を隅々まで浸食しだした。
僕は口を閉ざした。
もはや、叫ぶことすら許されない。
この口を開けば、またもそこから死があふれ出す。
呪われたのだ。いや、己を呪ったのだ。
自らが発したあの言葉は、世界を恨んだあの言葉は、人の心の支えを罵ったあの言葉は、宇宙を否定したあの言葉は、僕を殺したあの言葉は
呪いだった。たった一言、怨嗟の塊。
それがなおも世界を侵食している。
僕を侵食し続けている。
僕はただ・・・その痛みに・・・悲鳴に・・・・耐えるしかなかったんだ。
第一章 自己消失 1-15 蔵 井戸 離れ ―小説
「おお」―と、おもわず感嘆の声を『上げそうになった―上げてはいない』。
が、目の前にはそれにふさわしい感動があった。
今日の夕食は純和食だった。メインはマグロの刺身だ。家ではもっぱら洋食党のアリスが調理場を仕切っているので、こういうのは久しぶりだ。日本人に生まれたからには、こういう和食は、魂の回帰とも言おうか、そのようなものを感じる。ご飯、味噌汁、万歳である。
さて、食卓に並んだ皿を紹介しよう。
当然メインは、刺身、マグロ、大トロ・・さすが金持ちだ。イカ、鯛、そして、これは・・。
「ああ、それですか?鰤ですよ。そろそろ、寒くなってきたので。」
解説ありがとう、古矢さん。
さて、副菜にいこう。冷奴、味噌汁、卵焼き、じゃこと胡瓜の酢の物、で、お?茶碗蒸しまでついてやがる。きっと、卵の賞味期限が迫っていたのだろう、古矢さん、いいお嫁さんに・・・・おえ・・。
いかん、想像した瞬間、廃人になるかと思った。破壊力A☆RI☆SU☆GI☆だぜ。ともかく、おいしくいただくとしよう。実際、空腹も限界まで来ているわけだしな。
うん、・・・これ・・・うまい。すごくうまい!なんだ?食材がいいのか?いや、食材の大方は、近所の商店街で買ってきたものだっけか?しかしうまい。
「おいしいでしょう?古矢は、ここで働く前は板前の修業をしていたんです。」
そりゃさすがと言うべきなんだろうな。でも、そしたら何で古矢さんは、板前にならずに、ここに雇われているんだろう?
「ええ、中学生を終えて、すぐに板前の世界に。四年くらいしてやっとこちらにつとめることができたというわけです。」
ん?もしかして、弓端家に雇われるために板前の修業までしたのか?どんだけ年収良いんだ?ここ!
「実は、古矢家は代々、弓端家に仕えている一族でして、ここに仕えることは、私が生まれた時から決まっていたことだったんです。そのために、武道を始め、色々勉強させられました。その一貫として板前修業というわけです。」
旧家というのは侮れない。まるで、漫画やドラマの中の設定だ。そんな現代になってまで守る必要もない約束を延々律儀に守り続けているなんて、僕には想像もつかない。なんというか、現実離れしている感じだが、なるほど、そういう世界もきっとあるのだろうな。
しかし、この夕食も8時半を迎えようとしている。そうなってくると、遅いなぁ。そう、弓端さんのお父さんだ。それらしき靴もあったし、一緒に暮らしているのは間違いない。何の仕事をしているのかは、今だに胸の鼓動を不安定にさせる要因の一つだが、なにしろ、このみぃちゃんのお父さんだ。会ってみたい気もする。まぁ、仕事が夜遅くまである人なんて珍しくもないが、娘の命が狙われている状況下だ。早めに帰ってくる。もしくは、仕事を休むことも選択肢としてあり得る。いや、そっちが一般的だろう。
「そういえば、弓端さん。ご両親はいつ帰ってくるんですか?」
「両親?」
「ええ、お父さんとか・・・」
「父親なんて知りませんが?」
・・・・
まさかの喧嘩中!?
しかし、そうか帰ってこないとなると、・・・出張中というのが普通か。
携帯のムービーではあんなに仲がよさそうだったのに・・・何があったんだろう?
祇園精舎のなんとやら、時代は移りかわり蜜月は短いものである。
ふむ、まだ見ぬ弓端さんのお父さん、どういう経緯かは存じませんがご愁傷様です。
きっと、娘がどこの馬の骨とも知らないような魔法使いに命を狙われているなんて知らないのかもしれないな。
知っても理解はできないだろうけど。
◆ ◆ ◆
遅めの夕食も終わり、いつもならそろそろテレビの一つでも見てゆっくりまったりきっかりと、今日一日のことを振り返りつつ、ゴロゴロしようというところだが・・・。
「さて、あなたの部屋なんですけど。」
という、みぃちゃんの言葉で、なんとなくではあるが、仕事中だという意識が不意に蘇ってきた。
リビングルームでくつろぎながら、テレビのニュースを見ていた僕は、すぐにみぃちゃんに向きなおる。
―ええ、『大虐殺』以降、欧米を中心に数年にわたる世界的な経済のパニック状態は漸く回復の―ピッ
テレビを同時に消した。
「ああ、それならできるだけ弓端さんの部屋の近くでお願いします。あいてる部屋がないなら、リビングの床でもかまいません。とにかく、母屋に」
そう、弓端さんの部屋からできるだけ近いほうがいい。何より、母屋の正面にはこの家唯一の出入り口の正門がある。
「わかりました。古矢に部屋を用意させます。」
確認したが、例の外壁に設置された感知装置とやらの電源は母屋にあるらしい。場所も確認させてもらった。これは案外楽かもしれない。この状況だとみぃちゃんを守るだけなら、この母屋より動かず、正門を監視していれば、問題なくみぃちゃんを守ることができるだろう。ここは、僕の助けが入るまでも元から鉄壁の要塞なのだ。昼間見たあの『電信柱の陰に隠れていた悪意』の主が、仮に今回の魔法使いであったとしても、外から来る分には、たいして怖くない。僕としては、むしろ一番怖いのは、内部の人間が魔法使いであった場合、この場合、古矢さんのことだったが、どうやら大丈夫だ。古矢さんからは、魔法使い独特のあの『重苦しい感じ』が無い。
けれども用心にこしたことはない。なにしろ、相手は魔法使い、どんな方法で突破してくるのか分からないのだから。
「あの・・・」
「どうしました?」
「私、魔法というものがいまいちまだ分かっていないのですけど。魔法を使えば、どこにいようと簡単に侵入されたり、侵入する必要もなくあっさり殺されたりするのでしょうか?」
・・・・・・。
まぁ、普通はそう思うだろうな。だが、忘れてはいけないことが一つある。前述、あのさわやか神様→カザト君が説明していたように、魔法も科学も世界法則の一つにすぎない。科学が万能でないというなら、魔法だって万能ではないのだ。とはいえ、みぃちゃんの意見は的をついている。サイキック的なテレポーテーションができるかといえば、まぁ、ぶっちゃけてしまえば、上位の魔法使いならば出来る。
だが、今回はと言えば、おそらく無い。
なぜならば、魔法というのは、本当に、難解なのだ。その法則を、理解し、科学同様に使いこなそうと思えば、話にならないくらいの研究と研鑽をつみ、なおかつ才能がなくてはならない。99・99%の魔法使いは、はっきりいって使える魔法などたった一つなのだ。そして残り1%に満たないたぐいまれない上位(ハイエンシェント)と呼ばれる魔法使いは、有名すぎてそれぞれに常時魔法使い狩りがわんさか狙っているので、こんな辺境の島国で、―こういっちゃなんだが、彼らにとっては暇つぶし程度にもならないような殺人にこまごまと精を出しているはずもないだろう。
ついで、みぃちゃんの言うような遠距離からの魔法による殺人だが、こちらも今の状況では大丈夫だ。遠距離から魔法をかけるなんてことは、異界の中でしかできない。なぜなら、魔法をかけようと思っても科学が充満する通常の空間では魔法使いの魔法は、空間に放たれた時点で、科学という世界法則によりその存在を否定されてしまうからだ。カザト君がいうには、このあたりは、『未だ』異界にはなっていないようだし、魔法使いが魔法を行使しようと思えば、直接接触するほかないだろう。
「魔法っていっても何でもありではないんですね。」
「といっても、それはここが異界になってないからだけどね」
とはいえ、要塞のようなこの屋敷にもどこかに抜け道があるのかもしれない。
「弓端さん。少し母屋以外の場所を案内してもらえますか?」
「ええ、いいですけど。母屋以外といっても、古矢のいる使用人用の離れと、向こうに見える蔵くらいしかありませんよ。」
「それで結構です。」
使用人用の離れは母屋と渡り廊下でつながっている。母屋もなかなかの広さだが、離れのほうも普通の三世代型同居住宅並みに大きい。ここを古矢さん一人で使っているというのは・・なんとも不自然な話だ。母屋の大きさからも考えると本当はもっと沢山使用人がいたのだろう。母屋の管理だけでも古矢さん一人では大変なはずだ。
「昔は、使用人がたくさんいたんですか?」
「ええ、そうですね。いたのでしょうね。」
とだけ、弓端さんは答えて、中を案内した。
母屋が平屋形式なのに対し、離れは二階建てになっていた。入口からすぐ目の前に談話室があり、西側にらせん階段、一階に4部屋、二階に6部屋の使用人用の洋室がある。
「古矢の部屋は2階ですね、あの一番東側の部屋です。」
どうせだから、ということで古矢さんに「お休み」を言おうと思い、僕は弓端さんと共に、古矢さんの部屋をノックした。
・・・・・。
返事はない。
「いないのかしら?」
弓端さんはノックもしないで急に扉を開けた!
ああ、もうこの人。
なんでこういうこと平気でするかな。そりゃ、気心知れた仲かもしれないけど、僕ならマジ嫌だね。―でも美人だから許します。
開けた扉の向こうには誰もいなかった。明かりも付いていない。古矢さんは不在だった。と、なると母屋でまだ仕事中だろうか。弓端さんは、明かりをつける。ま、古矢さんが部屋の隅で隠れてるなんて可能性は皆無だが、一応だろう。ふと、窓の向こうに蔵が見える。ちょうど塀の角にぴったり収まるように建てられたそれは、三階建ての建物ほどの大きさがある。高さだけで言うならもっとも高い建物だろう。
!?
その蔵の一番高い窓からチラッと明かりが見えた。
心臓が高鳴る―あまりの自分の迂闊さに怒りさえも感じる。
まさか―もう侵入されたのか!?こんなにも簡単に?
「弓端さん!!」
「はい、なんでしょう?」
相変わらず無表情で、それでいながら声だけしっかり驚いてこちらにこたえるみぃちゃん。
「今、蔵に明かりが見えました。侵入されたかもしれません。古矢さんと合流しましょう。」
いや、まて・・・古矢さんと合流してどうする?
彼女を逃がすことが最大条件ではないのか?
奴の狙いは彼女―いや・・・・本当にそうか?
なら、なぜ最初から彼女を狙わない。
知り合いから狙って奴は溶解させる。縁の浅い方から襲っていく。
それは彼女に恐怖を与えるためではないのか?
ならば、その段階が一つ上がり、今度はみぃちゃんに縁の深い人間を襲うようになったのなら?
最初から狙いは古矢さんではないのか?
古谷惣一こそ、彼女を恐怖に陥れるのに格好の贄(にえ)ではないのか?
そう、襲われるべきはきっと弓端さんじゃない。古矢惣一。もっとも、弓端さんに近い存在だ。
―だから、正しい。 ― イイワケ ―
―だから、これでいいんだ。 ―本心 相対スル 不信―
離れから、駆け出た僕と弓端さん。
渡り廊下を出て母屋のほうに戻る。
「古矢・・いませんね」
が、いない、古矢さんがいない。
最悪の事態を想定する。
このまま、合流するのに時間をおいてもいられない。逃げるならば、外ヘでなければ・・。
母屋の窓から、のぞきこむように蔵のほうを見た。
蔵の門がゆっくりと開く。
鉄製の扉は重く、悲鳴のような軋みを立てながら外界へと通じていく。
明かりを持った誰かがそこから出てきた。
その瞬間、僕は弓端さんを隠すように腕にだき悲鳴を立たせぬように口をふさぐ。
同時にかがんで身を隠した。
弓端さんは何が起こったか分からず目をパチクリさせていた。
足音が妙に大きく聞こえる。砂利を踏む足が、心の中の不安を石ころとともに搔き乱す。
まずい・・・きづかれたか?
音はだんだん大きく・・・。
近ヅイテクル
みぃちゃんも事情が理解できたらしく大人しくしている。
震えてる?僕が、いや、みぃちゃんが?
僕は、少し彼女を抱き寄せた。
砂利の音はすぐそこまで近づいている。
一歩
二歩
もうそこは
―窓の前!
?
足が止まった―そう、いるんだ。すぐそこに。壁を隔て、すぐそこに。
月明かりに照らされて影は動く。それはゆっくり窓へと近づき
ついには こちらを覗きこんだ・・・・。
「古矢さん?」
「え、ええ、どうしたんですか?お二人とも。」
蔵の中から出てきたのは古矢さんだった。僕はあわてて、みぃちゃんから離れる。
やばい、変な風に誤解されたかも。。
「いや、あの、こんな時間に蔵で何をしていたんです?」
ぼくは、ややかみ気味に尋ねる。
古矢さんは、手に持った明かりを振って見せてコレですという。
「いえね、最近物騒なんで戸締り点検も兼ねて、見回りしてたんですよ。」
「蔵を?」
「まぁ、確かに蔵までは見る必要はなかったかもしれませんね。あそこから侵入するのは不可能でしょうから。」
「不可能ですか」
「ええ、だって蔵には一番上の階にしか窓がないんですが、高さはずいぶんありますし、何よりこの屋敷は二重外壁になっていますから。しかも堀に張り巡らされた感知センサーも含めると三重と言っていいでしょう。わざわざ蔵から侵入しようと思えばハングライダーでも必要なんじゃないですかね、まぁ、それも電線に引っ掛かりそうなものですけど。」
なるほど、そう言われると、蔵がいくら外壁に最も近くとも、侵入経路としては、そんな所を選ばないよな、むしろ正門から入ったほうがましなくらいだ。
まぁ、とはいえ、一応。
「蔵、僕にも見せてもらえますか?」
「ええ、いいですけど。」
「弓端さんは・・」
「私は、もう今晩はお休みします。」
暗がりで表情こそ見えない物の(みぃちゃんはどうせ無表情だけど)
その声は、やや震えている。
怖がらしてしまったか・・・早とちりで悪いことをしてしまった。
「では、どうぞ。」
僕は、古矢さんについて蔵の中に入った。
蔵の中は、窓が一番上にしかないこともあり、空気が淀んで、息苦しい空間がそこに詰まっていた。
なんか、いやな感じ。
これだけ年季の入った蔵だと、実家の蔵を思い出す。
あそこも空気が淀んでいた。子供の頃叱られて閉じ込められたこともある。
その性だろうか、あまり好きになれない。
肌に感じる空気の温度が若干下がったような気がした。
暗い蔵の中だと、12月の気温とあいまって体感温度はやや下がるらしい。
「窓は、一番上だけなんですよね?」
「ええ、直射日光は物の保管には大敵ですからね。」
窓を見せてもらえますか?と尋ねると、古矢さんは一番上の階まで案内してくれた。
なるほど、と思う。古矢さんの言ったことに間違いはない。二重外壁もそうだが、何より、ここにきて、堀の重要さが上から見るとよくわかる。思ったより
幅が広い。この幅に蜘蛛の巣のように感知センサー取り付けられているのだ。だが、逆に・・・逃走経路としても使えそうにないな。正直、正門以外に出て行く場所がないこの屋敷は、一度侵入を許してしまえば逃走経路も正門しかないということになる。誤って堀の中に入れば袋の鼠だろう。だが、ここからならばうまく道具を使えば堀も超えていけそうだと思ったが。
(・・・・ま、無理だな。)
ま、今晩は安心して正門に集中して見張っていればいい、と思い直して、僕らは蔵から出たのだ。
蔵から出た後、古矢さんは離れの自室へと戻り、僕は、早々と母屋に戻ろうとしたその時、ふと蔵の横に設置された井戸が気になった。
まぁ、まさかとは思うが、井戸が外と繋がってるなんて言うベタな落ちはないよな。
と、思いつつ観察するわけだ。
なんだ、石で蓋をされているじゃないか。これじゃ、つながっていても問題ないな。ご丁寧に、セメントで塗り固められている。
・・・死体でも入ってんじゃないだろうか・・・なんてね。
たとえそうだとしても、今はどうだっていいことさ。なおかついえば、知ったこっちゃないのさ、そんなこと。
母屋に戻る。
さて、寝ないように気を付けないとな。