小説 愛食家な彼女 28
見上げた先に見た物。
俺たちは、そこから目を離せなかった。
洞窟にゆっくりと流れる風と、潮の音が世界を満たして支配していた。
そこは、あの写真集の一枚のように。
月が、海に道を作っていた。
星が落ちそうな夜―俺達は吸い込まれるように、その景色のほうに歩いて行った。
ゆっくりと歩く俺の足が、早歩きで急ぐ紗江の足が、俺たちの距離をあっさりと無くしてしまって
気づけば、紗江はおれの横にいる。
あんなに遠くにあると思っていたのに、それはとても近くにあった。
でも・・・なんで・・・・
考えられることは一つだった。
「通り過ぎてたんだ・・・・・。」
呆然と呟いた。
潮騒が、
一ど
二ど
泣いて
風が止み始めたころ・・・・
とたんに可笑しくなった。
俺はこの景色の雰囲気を壊さないように必死に笑いをこらえていたけど
ついに腹を抱えて、声も少しづつ漏れ出していた。
それも紗江はおんなじだった。
紗江が涙を浮かべて笑いをこらえている。
それがまた可笑しい。
変だ、変だ、可笑しくて仕方ない。
俺達は馬鹿みたいに
「あは、はは、くくくく、なにそれ、あはははははっ!!」
「ぷっ、はは、本当になにそれ、通り過ぎてたって、ふふふ、ひどい!ふふふ、あはは!」
ひとしきり笑い終える前に、急に紗江が海に向かって走り出した。
駈け出した足が、海水をはね上げて、水しぶきを飛ばしていく。
その雫の一つ一つが、月の光で輝いて
きらきらと
光り 瞬き
紗江が写真の中の風景に入って行って、一つの絵画の中のように
そこにはただきれいというだけの絵ではなくなった。
紗江が海辺で、遊ぶ風景は
綺麗だというだけじゃない、心が・・・締め付けられるくらい、・・・暖かくなって。
また、泣いてしまいそうだ。
「ねぇ!!こっち着て遊ぼうよ!!!」
俺は、彼女のその言葉を聞く前に駈け出していた。
小説 愛食家な彼女 27
月明かりが照らし出した。
街灯の少ないこの町では、月の明かりがすべてだった。
僕はどんどんこの孤独に耐えられなくなりそうになっていた。
近くに紗江がいる。
本当は今すぐにでも紗江の横を歩いて、声をかけたかった。
だけど、実際のおれは情けないほど弱虫で、紗江の一メートル先を歩いている。
その距離が、ここまで着た長い道のりの何倍にも感じて、到底近づける気がしなかった。
そんな時、何の予兆もなく突然突風が吹いた。
島と島の間を吹き抜ける海風だった。耳にひゅるひゅると巻き上がるほどの突風が、僕らの淡々と歩き続ける足を止めさした。
「きゃっ」
小さな紗江の悲鳴とともに
ふわり
空に紗江の白い帽子が浮かんでいた。
帽子は、そのまま風に乗っていく。海のほうへ、海のほうへと。
気がついた時には、帽子を追いかけて駈け出していた。
不思議だった。
何も考えず、おれは走っている。
空に浮かんだ帽子に導かれているようだった。
道路のわきにあった海に続く半ば崖のような小道を転げるようにおりていく。
帽子は、ふわりふわりと飛んで、浜辺にあった小さな洞穴に吸い込まれるように入って行った。
帽子は、洞窟の中でやっと地面に落ちてくれた。
俺は、それを取り上げようとした時、目に青白い光がはいってきた。
俺は、その光の先を 見た。
信じられなかった。
まるで現実感がなかった。
そこから見えた光景は―あまりに・・・・。
紗江が息を切らして追いついてきた。
だけど、紗江にはきっと、途中の崖のような小道も、ここまでの浜辺の足を取られる砂も、きつい道程だったのだろう。
座り込んでしまった。
だけど、俺は、それでも目の前の光景から目が離せなかった。
きっと、紗江もそうなると思う。
俺は言った。
「紗江・・・着いたよ」
小さな
小説 愛食家な彼女 26
想像を超えて、時間はかかってしまい。
まだ、残りの道程を残しているというのに、日はゆっくりと傾きかけていた。
俺たちは、早めの夕食をとるため、予定より早いポイントで家から持ってきたおにぎりを食べていた。
道路際の防波堤に座る。そうか・・・・影は伸びていた。
太陽は、赤い色を帯びてきていた。
「もうすぐ、日も落ちちゃうね。」
「うん」
おもえば、紗江と会話をしたのは久しぶりのような気がする。
でも、俺はここまでの自転車こぎで疲れていて、彼女の顔を見ることもできず、水筒のお茶をのむのに必死になっていた。
「帰ろうか?もう・・・」
紗江がいった。
―言ってしまった。
急にさっきまで汗をかくほど熱かったからだが腹の底から冷えて行くような気がした。
半開きになった口が閉じない、閉じたときには歯ぎしりするほどかみしめていた。
ぼくは、頭が真っ白になっていた。
「な、なんで!?」
「もう、遅くなっちゃうし、家の人心配するし」
「もう少しなのに!?ここまで来たのに!!」
「わたし・・・疲れちゃった。」
お茶を持っていた手が震えた。
なんだよ・・・なんだよ!それ!
「もう少し頑張れよ!」
「―・・なんで?」
「俺も頑張るからッ!!!!」
「なんで、そんなに頑張るの?」
なんで!?なんでだって!?馬鹿にして!!子供だと思って!!!
「紗江が写真集を見てどこか行きたそうにしてたから!!!行きたかったんだろ!外に!!!遠くに!!!だから―紗江のために!!!」
「そんなこと・・・」
紗江は―
「そんなこと!!!私頼んでないよ!!!!」
―紗江は泣いていた。
何が―紗江の為だ・・・・。
何処が―紗江の為だ・・・・。
全部―おれの為だ。
俺が俺のために。
自分勝手に振り回しただけだ。
思い込んだだけだ。
なのに!!!だけど!!!
信じられなかった。俺は、俺は、本当にガキだ!!!
本当にガキだ!!!いやだガキだ!!!
泣いてる!感情を殺せない!!!
紗江が泣いてるのに―俺まで泣いて、しかも、わかってる。本当に分かってるんだ。
俺が悪いってこと。
それなのに!
頭の中は紗江への文句であふれかえって!
口を閉じろ、今口を開けたら、全部、思ってもないことを零してしまいそうで。
違う、違う、違う。
本当は、本当に、本当は!!!
俺も不安なのに!!!不安で仕方なかったのに!!!
昨日の晩からずっと不安で仕方なかった!紗江の為だって一生懸命になることでごまかしてたんだ!図書館に縛り付けた俺を紗江が俺を嫌いにならないかって不安だったんだ!!こぎ続けてる時も不安で仕方なかった!いつまでもつかない!日は暮れて!全然うまくいかなくて!!余裕がなくて!!嫌いになってほしくって、だから、だから!!!
それなのに!!帰ろうなんて・・・・そんなこと言わないでくれよ!!
俺と紗江は泣くだけで、ずっと奥歯をかみしめて声を押し殺した。
そうして黙っていないと、お互いがお互いを傷つけそうだったから。
一しきり泣いたら、僕のほうから帰ろうと言い出した。
紗江は泣きながら、こくりと頷いた。
紗江は自転車の後ろに乗ろうとしなかった。
俺は、自転車を押して帰っる。
太陽はどんどん下がる。
夜が近づくたびに、闇が僕らの心を不安にさした。
俺たちは二人で帰っているはずなのに、どうしようもなく一人の不安を抱えていた。
不安で・・・実際、そうだった。