私のブログは2012年から始まりました。

 

その間、心の内について書くことは

ほとんどなかったように思います。

 

 

体調のことは書けました。

 

体調に関する、

悩みごとや困りごとも書けました。

 

 

でも、心の奥を明かすことはしませんでした。

 

 

 

 

 

私は幼い頃から、

何となくいつも不安を覚えていました。

 

不安と感じるか感じないかの、

本当に居心地の悪い不安。

 

何か変、という感じです。

 

 

理由が分かっていれば

対処することができたかもしれません。

 

撤去するとか、

離れるとか。

 

 

でも、何に不安なのかが分からない。

 

だからずっと、

性格の問題だと思っていました。

 

ジストニアになってからも。

 

 

そんな私がとった対処法は、調教でした。

 

自分に厳しくして

心を鍛えようとしたんです。

 

 

弱音は吐いてはいけない。

 

悩んでいる素振りも見せてはいけない。

 

前向きな言葉しか使ってはいけない。

 

 

常に自分を監視して、

鞭を打つ準備をしていました。

 

 

 

 

 

でも昨年、

日記を振り返って気づきました。

 

私の体は、

土台自体が不安定で

ぐらついていたんだ!

 

 

土台が不安定な家と、

その家から一歩も出たことがない自分を

想像してみました。

 

 

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生まれた時から、

その家に住み続けている私。


いつも、

なんか不安だなと感じている。

 

でも

土台が不安定だと気付けていないから、

そして

教えてくれる人もいないから、

なぜ不安なのか分からない。

 

 

電話越しで話すお隣さんたちは、

いつも元気で

楽しそうで、

笑っている。


 

なのに、自分はいつも不安で、曇った顔。

 


この差は何なのだろう。

 

 

自分は小さなことにいちいち反応する、

神経質な人間なのだろうか。

 

自分は今の暮らしに満足できない、

欲張りな人間なのだろうか。

 

自分は日常を楽しむことができない、

つまらない人間なのだろうか。

 

 

それとも、もしかして?

 

もしかして、お隣さんたちもみんな

実は不安を感じているのかもしれない。

 

 

でも、元気で、楽しそうなのは

それを何てことなく

さらっと押し隠せるくらいの

心の強さがあるからかもしれない。

 

 

それなら、自分も強くならないと。

 

もっと、もっと、もっと。

 

お隣さんたちのように……。

 

 

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私は、

これと同じ状況に何十年も陥っていたようです。

 

 

 

 

 

ブログに心の問題を書いてこなかったのは、

書かなかったのではなく

書けなかったから。

 

 

書いてしまったら、

お隣さんたちと自分との埋められない差を

認めることになってしまう。

 

 

心に鎧をつけて生きてきた私にとっては、

絶対にあってはならないことでした。

 

 

それに、

そもそも何に不安を感じているのか

分かっていないわけです。

 

 

だから、言葉にすること自体

できなかったのだと思います。

 

 

でも、

今は不安定な家を外から眺められています。


 

ずっと不安に思って、当然だったんだ。

 

 

そう思えたから、

こうやって書けるようになりました。

 

 

自分に優しくなって

治るスピードまで

一段上がってきた気がします。

 

 

自分と向き合うって

すごく体力がいることです。

 

 

心も身体も弱っている時なら、

なおさら大変なこと。



でも、それでも

少しでも今より体調が良くなりたい。


少しでも自分を好きになりたい。


そう願っている人が

自分と向き合うことができるように、

その手助けができるように、

ブログを書いています。

 

 

 

 

 

 

それではこの辺で☺︎

今日もありがとうございました。