~日々是ジーザス~ -13ページ目

kagami no nakami

「在るものは在る、無いものは無い」







古代ギリシアの哲学者パルメニデスの言葉










この当たり前すぎるトートロジーから、存在論としての「第一哲学」が始まった







パルメニデスの世界では在るもの(=存在)しか認められない





無いものは無いのだから






まるでお母さんが子どもを叱るときの文句のような理論









加えて、存在のみが跋扈するパルメニデスの世界では生成・変化も否定される








生成変化、つまり「無い」ことから「在る」ことへの移行は認められない








だって無いものは無いんだから















うぜぇ笑








そんな存在の一枚岩で構成されているのっぺらぼうのような世界









無が入り込む余地など一切なし








我が師匠デカルトも「無からの創造 creatio ex nihilo」は神のみがなしうると述べている






絶対的な無からは何も生まれてこない






むしろ、「絶対的な無」という形容さえするべきではない











「語りえぬものに関しては、沈黙しなければならない」









ヴィトゲンシュタインの言葉ほどサディステッィクなものはない








「無い」と言葉で規定してしまえば、「無い」という言葉・概念が在ることになってしまう







壁の向こう側にはどんな世界が広がっているのだろうか







その先は





その先は





その先は







語りえぬものに関しては、沈黙しなければならない










論理実証主義の「存在と無」に関する見解は、いささか盲目的のように思われる








俺は今、ものすごく「無」に可能性を感じている









確かに、今目の前に「リンゴがない」ことを証明するのは不可能かもしれない









リンゴじゃなくたっていい







無いのだからリンゴだってミカンだって、お前の好きなラ・フランスだって






でもそれは、裏を返せばリンゴだってミカンだってラ・フランスだって






何でも存在しうる可能性があるということ




















そういうこと?













我々は無に関して盲目的すぎる






「絶対的な無」という装置を使いたいなら






その制約として「相対的な無」を認めなければならない








この人にとっては在るけど、あの人にとっては無い









そんなものどこにだって転がってるじゃないか







スコラ哲学では「存在の類比 analogia entis」という考えがあった







神を頂点として、天使→人間→動物→植物みたいな存在の段階







プロティノスだってそうだ






一者からの流出








世界はいつだって正三角形だ












しかし、無にだって多様性はある









無にだって類比は作れる











それは鏡のような世界かもしれない











存在の裏返し、としての無









RPG後半で、色違いの敵が出てくる感覚












俺は今そんな感覚をふつふつと感じておられる











「必然的実在」という





論理の世界とリアルな世界が合致するのと同じように










「必然的無」













世界の始原は、まさにここにある








ビッグバンとか、量子のゆらぎとか言ってんじゃねーよ











これからは逆三角形だろ









































































はい、ぽかーん(゜-゜)