疑っている私を疑っている私を疑っている私を疑っている私を疑っている私を疑っている私を疑っている私
確認していた
何度も何度も
タバコの火を
「我思う故に我在り」で有名なデカルトの哲学は
まさに、タバコの火を消したかどうかから始まる
デカルトの形而上学の主著『省察』は6つの省察から成り
各省察が1日という時間的枠組みとして構成されている
その一日目、つまり第一省察でデカルトは
絶対に疑うことのできないものを見つけるためにあらゆるものを疑うことから出発する
今まで生きてきて得た知識や自分の感覚、さらには 2+3=5といった、数学的真理までも疑い、それを偽と看做す
現代風に言えば
本気で自分探しの旅に出るために、まず自分の家をぶっ壊すシーンでしょうか
デカルト自身も述べているように、あらゆるものを疑っているその様は、まさに「狂人」である
しかし、一旦「狂人」にならないと真理に到達し得ないのもまた事実
家から出る前
「あれ、俺タバコの火消したっけ?」
「いやー覚えてねぇ…けど、消したかどうか疑っている俺は確実にいる!!」
自分探しの旅、終了である
デカルトの哲学は、そこ(私)から神・外界の存在を証明をしていくわけだが、
このデカルトという男、並の強迫観念症ではない
せっかく「私」という第一真理の立脚点を見出したのに
話の途中でつまづくと、また最初から「疑い」のステップを開始させる
「やべ、意味分かんなくなったからもう一回最初から…」
ふりだしに戻る
石橋を叩いて渡る
というよりも
そもそも石橋があるかどうかが分からない
最終的には「記憶」がセーブポイント足りうることを認め、ふりだしに戻ることなく自らの哲学を完遂させるわけだが
この天才、後輩にめちゃめちゃディスられる
スピノザという後輩は
「デカルト先輩、疑うとかアホがやることっすよ?」
「例えば、冷蔵庫買うじゃないですか」
「それを、寸分の狂いなくピッタリ収納できたら、めっちゃ気持良くないっすか?」
「スペースがあるから疑う余地ができるわけで、それがなきゃそもそも疑う必要なんてないんすよ」
両者の是非は今問わないが
デカルトの
「ねぇまー君、本当にあたしのこと好き?ほんとにほんとに大好き!?」
といったメンヘラ具合は
あながち嫌いではない