ナショナル・シアター・ライヴ「シラノ・ド・ベルジュラック」 | First Chance to See...

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 ジェームズ・マカヴォイがシラノを、それも付け鼻なしで演じる。どうなることかと思ったら、大胆なアレンジで大評判&大好評、オリヴィエ賞のリバイバル賞を受賞したというから、「シラノ・ド・ベルジュラック」好きの私としては観逃せない——たとえ、満席&飲食可になった映画館での新型コロナウイルス感染が怖くても。

 

 エドモン・ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」は1897年に初演され大当たりをとったが、シラノ・ド・ベルジュラックは17世紀の実在の人物である。つまり、1897年の初演の時点で当時のフランス人にとっても「コスチュームもの」だったことになるが、そんな戯曲を2020年にロンドンで上演するにあたり、上演台本を手がけたマーティン・クリンプと演出を手がけたジェイミー・ロイドは、元の戯曲に大きな改変をいくつも加えた。その結果、登場人物は絞り込まれ、ミニマムなセットに現代の服装の役者が英語で演じる「シラノ・ド・ベルジュラック」が誕生した。

 

 

 たいした創意工夫——と手放しで賞賛したいところだが、悲しいかな元々の「シラノ・ド・ベルジュラック」好きの私は、ここも違うあそこも違う、変えるなとは言わないけどわざわざ変える意味があるのかね、と、すっかり原作警察になっていた(元の戯曲ではラグノーのスペシャルデリバリーはあんな貧相なメニューじゃないぞ、ったくこれだからイギリス人は)。というわけで、これまでどんなに改変された「ハムレット」や「マクベス」を観ても「こういうのもアリかもね」と気楽に受容できたのに、「シラノ・ド・ベルジュラック」に関してはゴリゴリの原理主義者になっている自分を再発見する羽目に。あーあ。

 

 すべての改変が悪いとは思わない。フランス語の詩の語りを英語のラップ調にしたのはいいアイディアだと思うし、ミニマムなセットと道具を使ってのミニマムな演出もその多くがとても効果的だった(剣戟のシーンとか)。ただ、フランス色を極力排除したかったからなのか、あるいはコスチュームもの感を極力排除したかったからなのか、結果としてシラノの快男児としての魅力はあまり伝わってこなかったように思う——勿論、シラノをそういう風に描きたくなかったんだ、と言われればそれまでだけど。

 

 そうそう、映画「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」でも私が気になった、シラノの決め台詞ともいうべき「Mon panache」、これだけ大胆な英語訳でどう訳出する気だろうと待ち構えていたら、「Mon panache」のままだった(と思う)。でもこの単語じゃ現代の衣装と辻褄が合わないのでは、と思ったら、ドラマの一番の盛り上がりどころでセリフ改変ですかそうですか……。