「シラノ・ド・ベルジュラック」は大好きだ。「鼻が大きいことにコンプレックスを持つ男の片想い話」程度の知識しかないまま初めて観たのはジェラール・ドパルデュー主演の映画版で、ラストはほぼ号泣状態。映画館を出たその足で書店に岩波文庫を買いに行き、今日まで何度となく読み返してきた。
もし高校生のうちにこの作品に出会っていたら、「大学では仏文学を専攻する!」と決意しかねなかった。そういう意味では、とっくに大学を卒業した後で「シラノ」に出会って本当によかったとしみじみ思う——たかが第二外国語のフランス語ですらあんなに手こずったのだ、うっかり仏文学を専攻していたらマジで大学を卒業し損ねるところだった。あ、あぶねえええ……。
さて、昨日から日本の映画館で公開が始まった映画「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」は、無名の若手劇作家だったエドモン・ロスタンが「シラノ・ド・ベルジュラック」を完成させるまでのバックステージ物である。「シラノ・ド・ベルジュラック」が大好きという割に、エドモン・ロスタンのことは全く知らないままの私にとって、まさに恩寵のような作品だった。
が、逆に「シラノ・ド・ベルジュラック」のことを「鼻が大きいことにコンプレックスを持つ男の片想い話」程度にしか知らない(かつての私のような)人には、あんまりおすすめできない。あ、いや、ろくに知らないまま観てもそれなりに楽しめるとは思うけれど、こういう形で「シラノ・ド・ベルジュラック」の物語を知ってしまうのはあまりにもったいない気がするからだ。何せ「三銃士」にも「モンテ・クリスト伯」にもまるで心が動かなかった私をも、まんまと嵌めたくらいだからね。まずは何らかの形で「シラノ」を読むか観るかして、それからこの映画を観てほしい。
そういう意味では、来月公開予定のナショナル・シアター・ライブ「シラノ・ド・ベルジュラック」のほうが先に日本で公開されていれば言うことなかったんだがな。オリヴィエ賞のリバイバル作品賞を受賞したくらい評判がよかったようで、ジェームズ・マカヴォイ扮するシラノは私もすごく楽しみにしている——以前、ケヴィン・クライン演じる英語のシラノを映像で観てまんまと大号泣したことがあるので、「ふん、やっぱりシラノはフランス語でなくちゃ」とは言いませんよ。
追伸/ラストの有名なセリフ「Mon panache」、今回の字幕では「品格」と訳されていたが、どうだろ、私としては「心意気」とかのほうがよかった気も。ちなみに私が持っている辰野隆・鈴木信太郎訳では「羽根飾」に「こころいき」とルビをふられていて、テキストとして読む分には満点だと思う。