一度書いてみたいなあと思っていた内容でもあるので記事にしてみました。
ちょっと本ブログの趣旨には適していないかもしれませんが、癒しをご提供をなさる立場になった時、
もしかしたらお役に立つことがあるかもしれません。
私たちはさまざまな才能を持っています。
絵や音楽、芸術的な感性である人、
化学や物理、研究がお好きな人、
先駆者としてリーダーシップになっていく人、
なんらかのビジネスセンスや創造性を持っている人、
人を支えることがお得意な人、
本当に人それぞれです。
とはいえ、時に社会のシステムにおいてそれらを発揮することが難しい場合もあります。
育児やおひとりさま、あるいは、何らかの社会的な弱者という立場で。
スピリチュアルの世界では魂は生まれた時からその人生を選ぶということが言われています。
私はその考えに同意しますが、同時に、理不尽だなあと思うことがあります
なぜなら、魂は望んだとしてもそれを生きている自分が望んでいなければ大きな苦痛になるからです
だからというわけではないのですが、
人間として生を受けている方が心穏やかに過ごすことができるそんな癒しをご提供したいなあと
思うのです。
少しお話はそれましたが、
以下に記載する内容は女性学で知られる上野千鶴子さんの東大の入学式における祝辞文章です。
賛否両論ありましたが、女性性という概念にあてはめたとしても、
人的リソースや社会システムの構造にあてはめたとしても、肯定できる内容なのでよろしければ。
以下より一部転載します。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
リンク先 東京大学学部入学式 祝辞
尚、リンク先および上野千鶴子さんと当HPは一切関係がありません。
抜粋は一部にとどめ、全文は上記リンク先よりご確認願います。
入学式ということもあるので、勉強したら報われる、といった内容が書かれていますが、
前提条件となる【頑張ることができなかったご状況の人】に触れられています。
長年、女性の地位向上をなさってきた方なので先駆者としていろいろなご経験をなさってきたのだと
推察します。
けれども、日本のシステムはそれ自体が【弱者切り捨て】に舵を切っているように見受けられます。
誰もが社会的弱者になり得る時代です。
実際、明日、私の下半身がいつものように動くことを誰が保証できるでしょう?
人ひとりの個性だけなら小さなものかもしれませんが、文殊の知恵もなんとやら。
私はスーパーバイザーさんと出会ったことで大きく変わりました。
そして、今後も変わっていくと思います。
自らの個性を唯一の物として育んでそれを自分のために。
将来的にはより他人のために使っていくことができたらいいなあと祝辞文を思い出したので
書いてみました。
東大に限ったことではありません。
学びはいろいろな場所に存在しており、何歳になってもその門戸は開かれています。
学問と経験の世界は望めばどこにでも存在し、年齢を経ていることで得られるものもあります。
開くか開かないかは常に自由です。
本祝辞には複数のトピックが記載されています。
お時間がある方はぜひ、上のリンク先から全文ご覧くださいね。