こんにちは。和久田ミカです。
テレビがないのですが、NHKは好きなので オンデマンド(ネット配信)で見ています。
朝ドラ「なつぞら」もおもしろくて、移動中の特急で よく見てます。
先日のこれ。
主人公の ”なつ”は、居候先の亜矢美さんの服を借りていますが、どれもこれも 派手。
それを見た、今でいうバリキャリ ”まこ”さんが 不機嫌な声を出します。
「男 探しに来てるだけなら、目障りだから」
なつは「はぁ~~!?」と思うのですが、言い返せません。
憤慨している なつに、亜矢美さんのお店のお客様が 諭します。
「(まこさんは)自分がどう思われているのか 気にしすぎている」
「(まこさんは)自分がどう思われているのか 気にしすぎている」
つまり、
「自分が男からどう思われているのかを、キミの目を通して 気になっているんだよ」
なつは 腑に落ちない顔をしていましたが、まさに これ↑。
”自分が恐れていること”
は、ちょっとしたすきに 口から飛び出していきます。
たいていは、人へのアドバイスとして。
バリキャリまこさんは、真剣に仕事をしている。
だからこそ、「結婚が目的でこの仕事を選んだ」なんて 思われたくない。
当時は 女性はまだまだ 結婚したら仕事をやめる時代だし。
そのおそれが、口からもれてる。
これね、正直に言えてたら、他人を通して 言わなくても済むだよね。
たとえば、
「結婚が目的だと思われたら、と思うと、悲しくなるんです。
私は、命を懸けて仕事をしたい。
だから、虚勢も張っちゃうし、女性らしい服装にも抵抗を感じるのかもしれません。」
みたいに。
でも、その本音を 心の奥にぐーっと隠してるから、発酵していく。
発酵したら 膨らんでいくから、抱えきれなくなる。
それが「怒り」の感情を借りて出てくる。
他人への助言や、いやみとなって。
(ちなみに、なつの上司には「その服装は、”変な人アピール”でしょ?」と言われます。
人は見たいように見、聞きたいように聞く、ということが わかるエピソードでした)
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さて、話は変わりますが もうひとつ 似たような事例を。
初級講座をしていたとき、受講生のMさんからこんな質問がありました。
(Mさんのご了承を得て、ご紹介します)
初級講座をしていたとき、受講生のMさんからこんな質問がありました。
(Mさんのご了承を得て、ご紹介します)
「子どもたちが遊ぶ様子を見ていると、きまりを守らない子がいます。
先生たちは、順番を”抜かす”子には 注意をしますが、抜かされてしまう子には 何もサポートがありません。
私はそのとき、どう声をかければ よいのでしょう?」
列に並んでいても、いつまでたっても 遊具が使えない子が気になったそうです。
わかるわー、うちの娘もそうだったもん。
遠慮して どんどんうしろへ行ってしまい、常に損な役回り。
せっかく持ってきた遊び道具も、口のうまい子に持って行かれてしまう。
そんな子でした。
「Mさんご自身は、それに対して どうしたいですか?」
とお聞きしたところ、私に答えを求めている様子。
質問を変えました。
「列を抜かされていく子を見ていると、どんなふうに感じるのですか?」
すると、Mさんは
「我慢しているようで、かわいそう…」
とおっしゃいました。
実はMさん、講座中のキーワードも
「我慢」
でした。ご自身に対しても
「私は我慢している」「我慢させられている(ように感じる)」
という言葉が何回も出てきていました。
そこで、
「Mさん、他人に対して思うことは、たいてい 自分へのアドバイスなんですよ」
とお伝えすると、Mさん 涙ぐまれました。
我慢しているように見える園児に対して、
『我慢しなくていいんだよ』
と思ったとしたなら、それは、自分へのアドバイス。
自分に対して、
「我慢しなくていいんだよ」
と いうことなのですね。
”投影”と言ったりしますが、自分の課題は たいてい他人を通して 映し出されるのです。
「どうしたらいいですか?」
と問われると、私たちはつい
「こうしたらいいですよ」
と答えたくなります。
でも、たいてい答えは そこにありません。
答えは、自分の中にあります。
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