
子どもが 学校に行くのを渋ったとき、私はまず 話を聞きます。
うちの場合は、よーーーーく、聴いてあげるだけで 気が済んで、子どもの気持ちが切り替わることが多いです。
(その「聴く技術」は、とても奥深いのです。いわゆる「聞く」ではダメです。)
でも、子どもの様子を見て「こりゃ、よっぽどだなあ…」と思うときは、「行かなくていいよ」と言います。
…というような話を フェイスブックで書いたら、こんなコメントをいただきました。
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☆★「休んでもいいよ。」って言ったら、その後も ちょいちょい休むようになってしまい、行きたくないない理由はいくら聞いても言わない…(-ω-;)
☆★たとえ『休んでもいいよ』が言えたとしても内心、本当に休む!って言うんじゃないか‥癖になるんじゃないか‥とヒヤヒヤしてしまうと思います(._.)
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そうだねえ、不登校になることって こわいよね。私も少しこわい。
でも、基本的に 私は、娘には 学校に行ける力があると思っています。
(ただし、鬱を発症しているとき、いじめがあるときなどは、別ですよ。)
なんだかんだで、ここ4年間、皆勤賞です。
だから、たとえ今日休んだとしても きっと行く日が来るだろうと感じています。
・・・うーん、それにね。
究極 休み続けてしまったとしても、それはそれで しょうがない。
彼女なりの生き方をするだろうなぁ、とも言えるかなあ。
学校に行けないと 選択肢は狭まることは 確かです。行くに越したことはありません。
日本には、在宅で勉強するという制度もありませんしね。
学校に行かないことの デメリットは 伝えます。
でも「登校する=幸せ・いい子」「不登校=不幸せ・悪い子」ではないよね。
登校するかどうかは、生きていくうえでの選択肢の一つだから。
で、ですね。今日のテーマは、「学校に行かなくてもいいよ」という言葉です。
「学校に行かなくていいよ」と言ってあげたい、でも…という方が多いようです。
そうね~、う~~~~~ん。
実は、子どもたちは 言葉は聞いていません。
言葉の向こうから 伝わってくるものを 聞いています。
たとえ「行かなくてもいい」と言っても、「行かないと不安」「心配」と思っていたら、そっちの思いが伝わっています。
だったら、本音を伝えた方が シンプルです。
「『行かないでいい』って言ってあげたいんだけど、ママね、心配なの」って。
どうせ、ばれてるから(*^_^*)。
ムリに 理解のある親や、模範解答を言う親になる必要はない、と 私は感じます。
「行かなくていい」って言いながら、「行ってほしい」って思うのはね、ダブルバインド(二重メッセージ)。
子どもは 混乱すると思うよ。
でね、心の奥の奥では 信じてあげてほしいの。
この子は 幸せになるために 生まれてきた。
どんな選択をしたとしても、きっと 幸せになるはず。
根拠はいらないの。ただ信じるだけ(*^_^*)。
今、この過程は 人生のほんの一部。すべてではないということ。
長いスパンで子どもの人生を見ると、たいていのことは 修復可能です。
というわけで、長くなったので 結論。
・模範解答に 振り回されないこと
・本音で話すこと
ですよん。