こころと身体の繋がりを取り戻す実践 | ハートフリースペースのSimple days

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心と体はひとつです。体が不調な時、心は何かを訴えている。 心が不調な時、体は何かを訴えている。
心と体に耳を澄ませて、ラクに、シンプルに生きることを大切にしませんか。

センサリーアウェアネスについて

せっかくなのでもう少し話したくなりました

その特徴を一言で言えば

いわゆるメソッドではない、ということでしょうか

 

方法論を持たないことが方法だと言えるかもしれません

 

この実践の創始者(ギンドラー)は名前をつけませんでした

センサリーアウェアネスという名前は

ギンドラーの教えをアメリカに持ち帰って広めた

シャーロット・セルバーが名づけたものです

 

ここからは単なる私の考えに過ぎませんが

方法論は当然「AのためにBをすると効果がある」あるいは

「Bをすると、Cという結果が得られて、Cという結果が、Dにつながる」

のように、目的や方向を指し示すものです

 

筋トレのいくつもの方法を思い浮かべると

わかりやすいかもしれません

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椅子に腰かけて足をまっすぐ上げる

床に横になって足と上半身をV字型に上げる

横になって膝を曲げて足裏を床につけ、頭を上げる

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どれも腹部筋肉増進や筋力維持という目的のための方法です

それぞれの背景には

腹部の「この部分」に効果がある等の方法論があります

 

センサリーアウェアネスはこういった方法論を持たないのです

なぜでしょう?

 

「感覚の気づき」は、すでに私たちに在るものです

痛み、熱っぽさ、かゆみ…

これらの感覚には馴染みがあるでしょう

この感覚に気づくから必要な手当てをする選択ができるのですが

どのような手当てをするかは

その時の状況、状態によって、あるいは

同じ状況、状態であっても人によって違いがあるでしょう

 

だから

センサリーアウェアネスは感覚の気づきを探求するだけなのです

方法論を持とうとすれば

かえって豊かな自在さを邪魔してしまうでしょう

 

「わたし」である身体、感覚と繋がり

「わたし」以外(環境・他者)との関わりに生きている「わたし」が

気づきから何がわかり、どのように選択肢が広がり

何を選択するのか

それは本当に一人ひとりによって

その時その時によって違うのですから

 

そして

その選択はすでに「わたし」の中に始まっていて

ただ気づいていないだけなのかもしれないのですから

 

良かったら

SAJ(SensoryAwarenessJapan)のサイトに体験記があります