一石何鳥が動くー82「秦氏と賀茂氏」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



一石何鳥が動くー81「もののべはそれぞれの内に」の続きです。



ラスボス「玄武」が登場いたしましたが、

「ようこそ!日本のはじまりへ」の奈良より、

「ようこそ!1000年の都へ」の京都へ戻ります。

「八咫烏with後ろの正面」の話がありますゆえ。



「平安京」=「山背(山城)国宇太村」へ遷都の理由の一つが、

渡来系氏族の秦氏の開拓した土地(太秦)だったから。

(八幡(はちまん=やはた)神社も、秦(はた)氏の氏神と言われている)

都の選定地に絡み、桓武天皇(桓武平氏の祖)と手を結ぶくらいですから、

相当な技術力に伴う財力、相応の影響力があったと思われる秦氏でございます。







そう、この京都奈良の旅の始まりの

「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」も

秦氏の本拠地です。

一石何鳥が動くー38「もとただす」







平安京は、東に川(青龍)西に大きな道(白虎)

南に窪地や海(朱雀)北に山(玄武)


東西南北に神が棲むとされる地形、四神相応に基づいた都です。







そう、これから訪れる「上賀茂神社」と「下鴨神社」は、

平安京の「青龍」である「賀茂川」の傍に鎮座しております。







賀茂川の上流に位置するのが「上賀茂神社」

賀茂川の下流に位置するのが「下鴨神社」

賀茂氏の井上の二枚看板です。







系図で表すと、八咫烏が祖父、玉依姫が母、孫が別雷命のタテのラインですかね。







玉依姫を十字の中心として考えるとこんな感じ。







2022年5月3日京都奈良の旅最終日。

令和元年以来の上賀茂神社へご挨拶です。







立砂と共に、「干支の寅」が仁王様の如く守りを固めております。







神山の水清く







境内に流れ







風が通り抜けます。







「上賀茂神社」と謡曲「賀茂」の看板を見つけました。

上賀茂神社御神話について







この謡曲「賀茂」って一石何鳥が動くー5「対シンクロリレー」に掲載した
加茂まんがのことですね。



「加茂」という演目は、「金春禅竹」(世阿弥の娘婿)が作者と言われていて、

金春流の代表される演目の一つだったらしいのです。

大山咋命(猿が神遣い)と、鴨玉依姫が結ばれ、

別雷命が生まれた話がモチーフです。







鴨玉依姫と別雷命の「母子」は、

高瀧神社の御祭神でございます。

一石何鳥が動くー2「左手の白い蜘蛛」







秦氏の妻女玉依日売が、

当地の御手洗池で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。

軒に挿しておいたところ、懐妊して男子を産んだ。

その子が三歳の時、父は雷と知り、別雷の神となる。







秦氏って書いてありますよね( ゚Д゚)







謡曲は、創作だけど、賀茂(加茂)の話に、なぜ秦氏が?

秦氏の玉依姫と、賀茂氏の玉依姫。

また、「対・ツイン・双子」が出て来た。



ちなみに、玉依姫へ矢を送った神が、

『山城国風土記』では、火雷神(ほのいかつちのかみ)とあり、

『秦氏本系帳』では、「大山咋神」になっているそうでして。

私は「猿」ですから「大山咋神」(猿が神遣い)の方を採用しております。







秦氏と賀茂氏が密接な関係であったらしいというのはわかります。

これって、こういうこと?







賀茂氏の看板に隠れて、元糺の秦氏の看板が小っちゃくなっちゃった?



一石何鳥が動くー83「タカオカミの結び役」に続く。




 

 

 






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