お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー171「光の十字」より続いております。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー1「烏帽子の鳥が動く」の
「えぼしのとりが動く」の続きが、
「とりがとびタカが勝つ」なのかなぁって。
2021年2月21日、
あやちゃんからメッセージがやって来ました。
2022年3月4日、その日から376日後になります。
東京オリンピックから北京オリンピックへ移り、
今日から北京パラリンピックが開幕です。
マクロを振り返ってみたら、様々なことがありました。
飛ばされた烏帽子もあれば、更に深く冠る烏帽子もありました。
今度はタカが勝つって言ってるんですよね。
烏が飛んでいて、何かを掴み取るイメージで。
その中には、強さが潜んでいる。
それには、ミクロを観ることより他ありません。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー78「もののけ姫と神殺し」にも書きましたが、
もののけ姫には、たたら場(コミュニティ)の長、
「エボシ御前」という女性と、
人間社会と山・森の世界を繋ごうとする主人公の、
「アシタカ」という男性が出てきます。
これ「かぶく十字」なんですよね。
横線(━)の役割を、男性のアシタカが担っていて、
縦線(┃)の役割を、女性のエボシ御前が担っています。
二人とも強さと優しさを兼ね備えた人物像です。
エボシ御前は、「たたら場」という火(┃)を、
エボシ御前という水(━)が統制し、
全ての人々が平等に人間らしく生きられる社会(十+〇)を目指していました。
その為に、「かぶく十字」として、愛が縦線になりました。
ところが、 自立と自力の過信(┃)により、
自然を敵に回す力⇒「神殺し」(〆)へと方向性が向かい、
かぶく十字の愛の縦線の質が、変容(分離)してしまいました。
その変容を調和の方向性(十+〇)へ導こうとしているのが、
他のコミュニティ(トリの目)からやってきたアシタカという男性です。
自然と人間って自律と自立でもあるんですよね。
そもそも、生命って生かされています。
起きている時も、寝ている時も、呼吸はしているし、心臓は動いている。
「おのずから」動いています。
これ、自力のようでいて、自律であり他力です。
自然の働きであり、生かされている。
それに加えて生きようとする意志や行動が、
「みずから」です。
双方は、相互関係で成り立っています。
心が焦っていると思ったら、深呼吸するし、
深呼吸したら、心も体も整う。
眠くなるという自律が、心の健康という自立を助けている。
切り離すことができないし、どちらかに偏り過ぎると、
不調和が起こる。
「自」という漢字の成り立ちは、
正面から見た鼻の形を描いた象形文字だそうです。
真ん中という「ハナ」が自分。
1人1人のこじつけと思い込みと勘違いで世界はできているので、
自律と自立の真ん中が自分であるという認識から外れると、
余計なものを生み出し、必要以上のものを求めるようになる。
例えば、早食いの私は、焦っているわけです。
そんなに何を焦ってるんだと言われると、焦る必要ないのですよ。
と、吾(今)に還るわけです。
味わう、咀嚼する、というその行為(時間・空間)を大切にすることは、、
心の氣付きと体の調子を整えることに繋がっている。
満腹中枢に到達したら、必要以上のものを取らなくてもよいことになるから。
必要以上のものを採る行為が、心の枯渇から来ているのなら、
その枯渇の元が何か「みずから」の目を向けることが必要となる。
で、この自律と自立の中にいる自分を観じることって、
「タカが勝つ」に対しての、「みずから」の問い掛けだと思うんですね。
「何を掴みとりたいの?」
「何を掴むことが勝つことなの?」
自分の内側(芯)の十字はどうなっているのか?
丁寧に丁寧にをやらないと、不要な摂取、不要な破壊、
自律と自立のバランスを崩していく。
まず、「みずから」と「おのずから」の世界を認識することが、
外側の世界へと繋がるのだと観じています。
「おのずから」が自然であるのなら、
「みずから」が「神殺し」をしていないかを問い続けることです。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー173「女人が立つときです」に続く
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