宇宙の真ん中で愛智を学ぶー110「吾はどこに?」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。







宇宙の真ん中で愛智を学ぶー109「トランスサタニアンの月と太陽」より続いております。



ここまで書かないと、

宇宙の真ん中で愛智を学ぶー94「ミリオンバンブーの覚醒」

の謎解きに辿り着けませんでした。

この話です。



9月24日金曜日にあるビジョンが出てきて目が覚めました。

その時の普天間さんとのやり取りです。









こんな感じの映像の後に、「副島」ってきました。







インターネットで検索したら、トップが「副島淳」さん。

私が初めてお見掛けしたのは、

TOKYO MXテレビの5時に夢中!

(2013年4月 - 2014年3月24日)です。

黒船特派員として出演しておられました。

身長は195cmで、アフロヘアーを入れると210cmというインパクト、

日本人の母親とアメリカ人の父親との間に生まれ、

見た目は外国人なのに、英語は話せないというギャップ。

ポップなんだけど、落ち着いている話し方で、

聞き取りやすく安定感がある。

そういう全てが、副島淳さんの「個性」となっていて、

明るくて光ってるという感じでした。

何人かいる黒船特派員さんの中でも一押しのタレントさんでした。

氣が付いたら2017年からNHKの

あさイチのレギュラーにもなっていて、

ああ、全国区になったんだなぁって思ってたんですね。



決して裕福な家ではなく、

ハーフであることで、幼少期はいじめられ、

お父さんの顔も名前も知らないまま育ったそうです。



去年、たまたま、副島淳さんのお父さんを探す

という内容のテレビを観ました。

父親が日本で活動した俳優のウイリー・ドーシーさんで、

異母兄が元プロバスケットボール選手で日本代表でもあった

高橋マイケルさんであることが明らかになった、

という内容だったんですね。



兄弟姉妹はいないと思っていたのに、

アメリカには高橋マイケルさん以外にもいるらしい。

今まで知らなかったし、わからなかったのに、

自分の血の繋がり(ルーツ)が明らかになった。



どこで何の縁が繋がっているかわからないんだなぁと思ったんですね。

しかもただの縁ではなく、自分のルーツに関わることだから。

これは現在の話ですけど、これを先祖にそのまま当てはめると、

自分のルーツって、地球の裏側にあるのかも知れないし、

南半球にあるのかも知れない。

どうなってるかなんて、わからないわけですよね。

電車の隣に座った人が、縄文時代まで遡ったら、

親子だったことがあるかも知れないし、

その繋がりって図り知れません。



だから、人を分断させることって、

そう簡単にはできないということなんですよね。



で、大切なのは、日本人だろうが、アメリカ人だろうが、

副島淳さんは、副島淳さんだ、ということなんですよ。

ルーツがどこにあろうと、

アイデンティティー=主体性・自己同一性は、

国や家の前に、副島淳さんそのものに在るということ。



勝手な想像で申し訳ない想いなのですが、

生い立ちや境遇を含めて、受け入れて、乗り越えてきたそのものが、

副島淳さんという人物を構成していて、

その個性を生かしての今を生きているということ。

だから、光って見えている。



普天間さんとの会話には続きがあります。








闇を経験したからこその光だから強い。

ハーフから、ダブルになったから、光ってるんですね。







一方の眞子さまです。

皇室におられるわけですから、

これだけ、出自・ルーツが歴然としている女性は他にいない。

ご結婚に関して取り沙汰されていることや、

背負ってきたものがあまりに大きすぎて、

カオナシ状態になってしまったと思われます。

それもこれも、関みゆ紀の

こじつけと思い込みと勘違いの観点からでしかないですけどね。







アイデンティティーとは何だろう?

考えさせられてしまったんですね。



タイトルとか肩書の前に、吾はどこにあるのか。

私が和多志でいられなくなってしまうこととは何なのか。







宇宙の真ん中で愛智(フィロソフィー)を学ぶは、

宇宙の真ん中で愛智を学ぶー8「天之御中主神が呼んでいる」に書いてある通り、







平家を巡るツアーがきっかけで書き始めることになりました。



ここが、アカマ→赤間神宮へ繋がってました。







赤間神宮は、山口県下関市にあります。

壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀っております。

平家の象徴です。



有名な平家物語の冒頭は、この一節から始まります。



祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

奢れる人も久からず、

ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者も遂にはほろびぬ、

ひとへに風の前の塵におなじ。



祇園精舎の鐘の声(音)は、

世の中は常に変化していくものという

「諸行無常」の響きを含んでいる。

沙羅双樹の花の色も、いつか褪せるように、

人は必ず衰えるという理(コトワリ)を表わしている。

それは春の夜の夢のように実体は儚い。

奢ればそれは長く続かず、どんなに勇ましき者でも、必ず死は訪れる。

全ては、風の前の塵と同じである。



風の時代です。

ず~っと同じって有り得ないんですよね。

そのままのもの、変えるもの、

それを人は見極めながら生きていきます。

そこから目を逸らしたら、澱みながら朽ちるんですよね。



風が吹けば飛ぶよな将棋の駒のような我が身でございます。

それでも、吾を観じながら、桂馬で進もうではありませんか。







宇宙の真ん中で愛智を学ぶー111「LADYクシナダは現実化する」に続く




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