縁は切れるのではなく解くものだよ 二の巻 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



縁は切れるのではなく解くものだよ 一の巻の続きです。

これから以下のことについて書きます。

一の巻 量より質の話

二の巻 結んで開いての話

三の巻 クオンタムリープの話

四の巻 能見ゆう子さんの話 軽やかさ

五の巻 能見ゆう子さんの話 開きと拓き




【二の巻 結んで開いての話】



他の受賞者の言葉もご覧になってみてください。

「手帳の高橋」さんのサイトへ飛びます。





縁は切れるのではなく解くものだよ

に関して綴っている過去ブログを検索してみました。

旅は息苦しさと自分の枠を外してくれる
東京世界旅行へようこそ!12「ニコライ堂」
「結んで開いて」を繰り返す



そして、9月18日に私の目の前になぜ再び、

「縁は切れるものではなく解くものだよ」

が提示されたのかな?って。

過去の私が、現在の私に、能見ゆう子さんを通して、

メッセージを送ってきているということでもあるワケです。



10月11日の授賞式の間に、答えが来るかなって。



10月1日のことです。

ネットマルシェを運営するに当たり、

義理と人情という理念で運営しないという話を、

まきちゃんに伝えていたところ、

突如、自動通信が始まりました。







義務と義理と人情はほどほどに。

私はそんな風に思っております。

吾を優先です。

我を優先では、ありませんよ。

自分の真ん中にいますか?ってことです。

自分の軸はどこにありますかを質すということです。

図にするとこれです。

吾から放射される八方の光です。







今、関わり合いがある方々を思い浮かべてみてください。

その人との縁を繋いでくれた人っていませんでしたか?

でも、その結んでくれた人、繋いでくれた人とは、

今はもう疎遠になっていたりすること、ありませんか?

人って、互いに縁を結びあって、円を創ってるんですね。

それぞれが、結ぶ役割というのを担っています。

結びという役割が終わったら、解きが来ます。

そして、次の縁の円へ向かうのです。



解いているから、離れてしまった、放してしまった。

だから、切れているように観えるかも知れませんが、

俯瞰の目で観ると、大きな和の中に組み込まれてるんですね。

それほど、人生というものは深淵な世界です。

またその時が来たら、縁を手を結ぶように出来ています。

脳の神経のシナプスみたいな感じ。



恩に報いるは美しい姿勢ですが、

必ずしも、受けた恩をその人へ返すことだけではないと思っております。

その人がその人の人生を歩むことの方が、

互いにとっての、ずっと大きな果報になったりするからです。

恩を着せるは、時に重い枷となります。

「~してやったのに」という言葉で、相手を拘束、束縛、しかねない。

その時のことを書いたブログが、これ☟なんですね。







色々と世話してやったのに、会社やめちまいやがって。

でも、幸せなんだな、今、幸せならそれでいい、

そう言ってくれた上司の話です。



損か得かで御縁を結ぶか解くかを決めることもあるでしょうが、

そこに、自分にとって、快なのか、不快なのか、

その人との関係の心地好さを問うてみるとよいのかも知れません。

そちらの方が、本質に近付いていくと思います。



結んで開いて

手を打って結んで

また開いて手を打って

その手を上に

結んで開いて

手を打って結んで



呼吸のように繰り返します。



開くとは、解くことです。

解くのではなくて、切った方がよい縁も勿論あります。



開くのか、解くのか、切るのか。

大切なことは、選択の権利は、

私たち自身の手の中に在る、ということなのですよ。



但し、投げ掛けたものは返ってくるので、

それを引き受ける覚悟の元にて。



罪悪感に囚われるな、また、人を罪悪感で縛るな。



もっともっと、自由な存在であるのが、人なのです。



縁は切れるのではなく解くものだよ 三の巻に続く




大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談に
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。