お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
縁は切れるのではなく解くものだよ 二の巻の続きです。
これから以下のことについて書きます。
一の巻 量より質の話
二の巻 結んで開いての話
三の巻 クオンタムリープの話
四の巻 能見ゆう子さんの話 軽やかさ
五の巻 能見ゆう子さんの話 開きと拓き
【三の巻 クオンタムリープの話】
今朝、縁は切れるのではなく解くものだよ、
を書き始めるとすぐに、
まきちゃんからメッセージが来たんですね。
という経緯の後にアップされたのがこのブログです。
2010年からブログを開始して、11年になります。
その間にも、外側の世界で色々経験し、内側の世界を見つめ、
を繰り返してきました。
その継続期間の中で、最も少ない読者数50人なんですね。
これは、ブログのフォロー数ではなく、
実際に読んでいるくださっている人数です。
通常の概念からすると、本を書きます、出します、
のレベルではないかも知れません。
現に、一番身近な身内、一番身近な他人(社会=太郎)である夫は、
そう言って、何年も経ってるよね?
って、狼少年扱いですから、ワタクシ。
(本当は、それが夫の私に対する愛情なのですが)
多数決の論理が正しければ、
ホントに、口ばっかりの狼少年なんですよ。
現実化させてないんだから。
でも、多数決って本当に正しいの?
多数決が物事の本質なの?
マジョリティが全て正義なの?
そうではないですよね。
そこも、価値基準の判断の一つではあるかもしれません。
全てではないですよね?
皆がいいって言ってるものがいいものなの?
偉い誰誰さんが言ってるからいいものなの?
だから、それを選ぶの?
丸呑み・鵜呑みにするの?
咀嚼しないの?
違うよね。
私が何を選ぶのか、何を選択するのか、
そこだよね?
大切なのは、吾が何を大切にしているか、
そこをわかっていることなのです。
自分にとっての重要なキーパーソン(私の場合は夫)を前にして
その言葉を投げ掛けられても
吾の真ん中は吾にあるか?
のお試しなんですけどね。
「私と和多志の純度」にひたすら邁進していました。
そんな中での、突然の降ってわいた「手帳の高橋」MATTER。
58,491の作品の壁を突破する現象を
私の目の前で見せることによって、
クオンタムリープとは何かの、
一つの型出しを伝えてほしい意図があるようです。
「クォンタムリープ≒非連続の跳躍」以外の何物でもない。
私自身が、応募したものではないのですよ?
応募したのは、能見ゆう子さんなんです。
不思議なことに、過去の私自身から出た言葉が
他者の力を通して、58,491の壁を突破したということなのですから。
で、これ、能見ゆう子さんである必要があるんですね。
なぜなら、彼女も継続の人だからなんですよ。
だから、選ばれちゃったのね。
縁は切れるのではなく解くものだよ 四の巻に続く
大変申し訳ございません。
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