宇宙の真ん中で愛智を学ぶー102「畏れをなくすサイン」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。







宇宙の真ん中で愛智を学ぶー101「月は両手で日を抱く」より続いております。



9月19日のことです。

夫と共に玉前神社と神洗神社へ訪れておりました。

ドライブの最中、通り過ぎる景色の中で、

目の前に来た氣になるものを写メして、

まきちゃんに送っていました。








8月にまきちゃんに房総半島のあるお寺に行こうと誘われており、

真言宗(空海開祖)のお寺かなと思っていたのですが、

記憶違いで、天台宗(最澄開祖)のお寺で

「笠森観音」のことだったらしい。

この笠森観音は、玉前神社から出雲大社を結ぶ、

ご来光のレイライン上にあります。

日本を縦断する、ある一つの「太陽の道」です。







まきちゃんのキャッチ能力の微細さと精度の高さが物凄いので、

ほぼ丸投げ状態で、行くタイミングも何もかもお任せしておりましたが、

富士山近辺の方が先になり、こちらは後回しになっておりました。

その3日後の9月22日に、観音様が視覚化して目の前に現れたんですね。







そして、9月24日のことです。

今度はあやちゃんからメッセージをいただきました。









この2つの印はセットで用いられることが多く、

釈迦如来像に多く見られる印相だそうで、

あやちゃんの前に現れたのは、

あやちゃんご自身の指導神仏である

釈迦如来様だったらしいのですね。







こういう感じのビジョンかな?

メキシココガネインコにまとわりつかれてるけど。

















その一週間前には、黒猫がいた場所であり、

山の寝床に帰っていた烏までもが、

一斉に赤い橋を目指してやってきた( ゚Д゚)

ちょっとおかしいなと思って写真を撮っておりました。











おそれ、畏れ、恐れ、怖れ、虞、懼れ。

人は「おそれ」に囚われて雁字搦めになっております。



ここまで書いて氣が付いたのは、

「太郎」とは、「社会」のことも表していたのだなと。



私が書いていることって、少数派の意見であり、

マジョリティ(多数者)かといえばそうではなく、

マイノリティ(少数派)ですよね。



社会的規範の中に、魂の視点を持ちましょうは無いんですよね。

それは、宗教の分野に振り分けられてしまう。

私は、特定の宗教の信仰はありません。

宗教に対しての敬意と尊重の念は抱いています。

誰もが繋がっている大いなる宇宙を観じているので、

特定の何かに偏るということができないのです。



「わかってもらえない」の枠の中で、

諦めて生きている節があります。



私が、夫に、私の世界観を話すことや、

理解してもらうことを諦めないことが、

マクロに繋がっているのだ、ということです。

それが、釈迦如来の示す

相手の畏れをなくすサイン

「施無畏印(せむいいん)」です。



その世界観を表に出していくということは、

決して、相手に強制力を発動するということでなく、

相手に押し付けるとか、支配するということではない、

ということが大切です。

それが、釈迦如来の示す

相手の願いを聞き届けようという姿勢

「与願印(よがんいん)」です。







共に在る、それが宇宙だから。

在るということ自体が、

宇宙の「コトワリ」で天意・愛なんですよ。

自ずと律する神の経路、これが魂でもあります。

自律神経って、勝手に動いてるんですよ?

生かされてるとしか思えない。

ずっとずっと、身体(神体)は、動き続けているのですよ。

私たちの意志に関わらずね。



夫には、夫の世界観があり、そのことを尊重しつつ、

自分の世界観を共存させていく。

夫が行きたくないと言っているところに、

無理矢理私が連れていく必要もなく、

夫の意志で動くことが最も大切なことであるということ。



その為には、丁寧さがとても重要で必要なこと。

私が夫と向き合う姿勢が、

女人が、女性が、社会に向き合う姿勢と繋がっている。



勘違いしないでくださいよ。

私一人が社会を握っている、と書いているのではないのですよ。

女人という、女性という、一人一人が、

竹の根(音)の繋がりを持ち、潜象世界のネットワークを持ち、







太郎というマクロの社会を動かすことに繋がっていますよ、

そういうことなんです。

その「型出し」を書いているのです。



だから、「私なんて」という言葉で、

徒や疎か(あだやおろそか)に扱ったらいかんのですよ。

それが、そのまんま、今の太郎という社会に反映されちゃうんだから。



女神たちよ、どうか、その自覚を持ってほしい。



私という月と日の中に、太郎という社会を抱いています。







私と和多志=魂の視点の中に、太郎という社会も在るのです。







ホント、危なかったんですよ。

あやちゃんからこのメッセージをいただいた後、

夫に無理強いして、笠森観音へ連れて行こうと思っちゃったんですね。

何の為に、釈迦如来様が印を示し、

何の為に、観音様が仏の意を汲めと伝えてきたのか、

オシャカにしてしまうところでした。



私がやることは、あやちゃんとの、この「あや取り」を

そのまま夫に読んでもらうこと。

夫との13年間の信頼関係に託す。

それのみでした。



私の仁王様であり、猿田彦だもの。



誰に強制されることもなく、自発的に動く。

それが世界を創っていくんだから。



後は「待つ理」の「待つ利」です。

人事を尽くして天命を待つ。

その日が、10月10日だったのですよ。



宇宙の真ん中で愛智を学ぶー103「烏に好かれたみみどじょう」に続く




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