木花咲耶姫と磐長姫の伝言-100「姫は秘め」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-99「関みゆ紀・アウトォ~!」より続いております。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-36「秘め」白山番外編は、

10月17日から19日まで「石川県の旅」に出ており、

帰ってきた翌日に家の中でスッ転んで、左足を負傷いたしました。

氏神様へ行って間を置け、ということだなと理解し、

境内社の浅間神社に氣が付いた、という話を書きました。

どういうわけか、浅間神社の存在が、

記憶からすっぽり抜け落ちてました。

どうして、浅間神社が、私のセンサーに引っ掛かってこないのか?

姫は、秘めって何か?




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-44「宣言神社」白山番外編は、

どうして、浅間神社が、私のセンサーに引っかからないのか、

その話をまきちゃんにしてみると、

「山とはそういうものだから

(大和はそういうものだから)」


という答えが返ってきた話を書きました。



氏神様へ向かっているうちに、アハ体験が来たんですね。

やっぱり、浅い間は取るものです。



ああ、そうだったのか!!

富士山は、自分だからセンサーに引っ掛からなかった。

富士山は、私=和多志だから。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-4「分け御霊」で、

2013年の出雲の遷宮で、自分の分け御霊の女性「明子さん」と

出逢った話を書きました。



【Quote】

「明子さん」の場合は、普通でした。

なんか、物凄い感動する訳でもなく、探り合いをする訳でもない。

瞬時の判断が、何もない。

フツーです。普通。

自然にある、自然にいる、そんな感じでした。


【Unquote】



人って、自然にあるもの=自分には興味を抱かないんですよ。

自分に不足していると思われるものを強烈に求めるんです。

持っているものには目がいかないのです。

本当は持ってるのに氣が付かない場合もある。

だからこそ、自分のことは自分でわからないものだ、とも言えます。



私=和多志
そのものが富士山だから、

呼ばれるも何もなかったのです。

ただ、そこに存在している。

有る・在るという象徴が富士山であること。

存在しているということ、そのこと自体が、愛だと思っています。

そこに理由なんかないんですよ。

愛に理由が要りますか?

理由があっても、理由がなくても、

愛はいつもある。

自分(愛)の根源(淵源)をもっと掘り下げろよ、だったんです。

何をしようと、しまいと、存在していていい。

生かされてる。

それこそが愛だから。



私=和多志と富士山の間は浅いんですよ。

だって、自分そのものだから。

吾こそが富士山なんだよ。







とは、身分の高い女性に対する敬称/貴婦人/貴人の娘などの意味をもつ漢字。​

でも、多くの女性の中で、自分の中の自分って、

もっともっと、身分が低いんだよね。

結構、粗末に扱ってるの。

は、秘めてるんだよ。

多くのポテンシャルを。

だから、姫=秘めなんだよ。






木花咲耶姫からのメッセージに書いたように、

自分が自らの人生のリーダーなんだよ。

自分が自らの国の姫なんだよ。



それにしても腑に落ちないことがありました。

私のお尻を叩かなくても、いつもの通り、

最初から背中への圧迫、背中へ突き刺せば、

ああ、氏神様へ行けってことよねって、氣が付いたんですよ。

ずっとその方法でお知らせが来てたから。



わざわざ、お尻の付け根が筋肉痛になるまで、

やる必要って何だったのでしょう?



その話をまきちゃんにすると、

「ああ、今、登山って来た。

そういう筋肉痛のなり方って、登山した時に起きるから。」




そこで、更に氣が付きました。



自分で山に登れって。

自分の人生の山に登れよって。

自らが能動的に動いて登れよって。



遠くから見る富士山って、なだらかなラインがホントに美しいですよね。







でも、実際の富士の登山道って

結構なボコボコっぷりなんですよね。

登ってる間は、その美しい姿って見えないんですよ。

それって、自分自身と同じだよね。



神社に設置されてる富士塚も、

富士山の溶岩でできてるから、

一歩一歩、丁寧に、慎重に、

足を地に着けて登らないと、

足を踏み外すんです。

だから、リスクは伴います。



他の山を眺めてるだけの人生じゃ、

自分の人生は動かないよ。

他の山を恨んで羨んでの人生じゃ、

自分の人生は変わらないよ。


動くのは、山でなく、自分なんだよと。



揺るぎない不動の自己の実存の意義と

揺らぐ自分の人生観の

ペアペアリペア。



酸素薄いかもしれないよ、

足が筋肉痛になると思うよ、

でも、頂上から見た景色って、

凄い爽快感なんだと思う。



それで、自分の言葉で宣言するんだよ。

私は和多志の人生を生きます!って。

言葉(音)がみちひらきするから。



これを、心身で、体感すること、実感すること、

それがチーム三五太郎の意図でした。



いよいよ、次回、ラスト!!!



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-101「西解脱門」に続く。



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