お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-94「自由意志は幻想?」より続いております。
2020年12月29日のまきちゃんと私の会話に戻ります。
「まきちゃんに、大鳥居へ行くのかな・・・
って言われてびっくりしたよ。
私、大鳥居のことを、
一言もまきちゃんに言ってないのに、
ああ、言われちゃったかって。」
「あれ?
私が、先に、大鳥居って言ったんでしたっけ?」
「そうだよ。
まきちゃんが言ったんだよ。
大鳥居へ行こうと思って調べてたけど、
もう、ヘロヘロで歩くの嫌だったから、
まきちゃんに言うのやめようと思ってたんだよ。
それなのに、言われちゃったからさ。」
「ああ、覚えてないわ(笑)」
そう。
私たちは、羽田神社の話以外は、何もしていなかった。
大鳥居の「お」の字も出さず、
うかつに言っちゃうと、行くことになっちゃうから(笑)
それが、今までの繰り返しのパターンなのを知っているから、
敢えて、まきちゃんには言わなかったのです。
だって、まきちゃんが何氣無く口にする言葉は、
「もう一人の自分」≒「見えない存在」の意志だから。
なぜだかわからないけど、大鳥居の方向へ曲がっちゃったのもあるしね。
もう、これは、私の意志であって、
私の意志でないみたいな、そんな感じの出来事だった。
自由意志が全くないのかというと、
脳科学の実験に反することになっちゃうけど。
顕在意識の割合くらいの、
1%~10%くらいはあるのかも知れない。
と、思ってみたりする。
私は、チーム三五太郎が、
成長・進化を促そうとする意志を感じる時があるから。
それも含めた上で、
そもそも、自分ともう一人の私と和多志を切り離して考えることが、
ナンセンスなことなんだと思う。
二つは一つ一つは二つだから。
ただ、それは、脳科学で言う、
勝手に生まれてくる意志と共に、
共同創造しているんだと思っています。
それが、もう一人の自分であるということ。
それは、結構なポテンシャル=潜在的な力・可能性
を持っているのだということ。
私だと思っているものは、和多志で、
もっと奥が深いものなんですよ。
それが先祖の魂とか、自分の過去世とか、
宇宙の何らかの繋がりであるとか、
神と呼ばれるものの存在であるとか、
色んな要素なんだと思う。
それが、どうです!とは、私は言い切れない。
私のこじつけと思い込みと勘違いの世界の話なのかもしれない。
ただ、どうしても、何らかの意志と共に動いている
としか思えないことを経験してきているから、
その事実を事実として認めるしかないな、と思っています。
脳に起きる揺らぎみたいなものが、
無意識の自分の意志を表に出してくる。
常識・固定・既成の概念で、
自らを緊縛し続けると、その揺らぎを妨げて
結果的に魂の本当の輝きを曇らせていく。
魂の働きというのはあるんですよ。
それがもう一人の自分という神(宇宙)の働きです。
魂は循環という終わりが無い働きをしているということ、
だから、自らが、木花咲耶姫であり、磐長姫であることを、
二つは一つ、一つは二つであることを、
う
ん
って認めないと、
自己否定し続けることが
自らの人生の創造神である自分を遠ざける。
それが基盤となって、
世界って循環して、
未来って創造されるんだよ。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-97「ニニギノミコトはおおわらわ」に続く。
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