木花咲耶姫と磐長姫の伝言-95「もう一人の自分」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。







木花咲耶姫と磐長姫の伝言-94「自由意志は幻想?」より続いております。



2020年12月29日のまきちゃんと私の会話に戻ります。



「まきちゃんに、大鳥居へ行くのかな・・・

って言われてびっくりしたよ。

私、大鳥居のことを、

一言もまきちゃんに言ってないのに、

ああ、言われちゃったかって。」




「あれ?

私が、先に、大鳥居って言ったんでしたっけ?」




「そうだよ。

まきちゃんが言ったんだよ。

大鳥居へ行こうと思って調べてたけど、

もう、ヘロヘロで歩くの嫌だったから、

まきちゃんに言うのやめようと思ってたんだよ。

それなのに、言われちゃったからさ。」




「ああ、覚えてないわ(笑)」


そう。

私たちは、羽田神社の話以外は、何もしていなかった。

大鳥居の「お」の字も出さず、

うかつに言っちゃうと、行くことになっちゃうから(笑)

それが、今までの繰り返しのパターンなのを知っているから、

敢えて、まきちゃんには言わなかったのです。



だって、まきちゃん何氣無く口にする言葉は、


「もう一人の自分」≒「見えない存在」の意志だから。







なぜだかわからないけど、大鳥居の方向へ曲がっちゃったのもあるしね。

もう、これは、私の意志であって、

私の意志でないみたいな、そんな感じの出来事だった。



自由意志が全くないのかというと、

脳科学の実験に反することになっちゃうけど。

顕在意識の割合くらいの、

1%~10%くらいはあるのかも知れない。

と、思ってみたりする。

私は、チーム三五太郎が、

成長・進化を促そうとする意志を感じる時があるから。







それも含めた上で、

そもそも、自分ともう一人の私と和多志を切り離して考えることが、

ナンセンスなことなんだと思う。

二つは一つ一つは二つだから。






ただ、それは、脳科学で言う、

勝手に生まれてくる意志と共に、

共同創造しているんだ
と思っています。

それが、もう一人の自分であるということ。

それは、結構なポテンシャル=潜在的な力・可能性

を持っているのだということ。

私だと思っているものは、和多志で、

もっと奥が深いものなんですよ。







それが先祖の魂とか、自分の過去世とか、

宇宙の何らかの繋がりであるとか、

神と呼ばれるものの存在であるとか、

色んな要素なんだと思う。



それが、どうです!とは、私は言い切れない。

私のこじつけと思い込みと勘違いの世界の話なのかもしれない。



ただ、どうしても、何らかの意志と共に動いている

としか思えないことを経験してきているから、

その事実を事実として認めるしかないな、と思っています。







脳に起きる揺らぎみたいなものが、

無意識の自分の意志を表に出してくる。

常識・固定・既成の概念で、

自らを緊縛し続けると、その揺らぎを妨げて

結果的に魂の本当の輝きを曇らせていく。







魂の働きというのはあるんですよ。

それがもう一人の自分という神(宇宙)の働きです。

魂は循環という終わりが無い働きをしているということ、

だから、自らが、木花咲耶姫であり、磐長姫であることを、

二つは一つ、一つは二つであることを、




って認めないと、



自己否定し続けることが

自らの人生の創造神である自分を遠ざける。







それが基盤となって、

世界って循環して、

未来って創造されるんだよ。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-97「ニニギノミコトはおおわらわ」に続く。




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