木花咲耶姫と磐長姫の伝言-93「平和」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。







木花咲耶姫と磐長姫の伝言-92「タイミング」より続いております。



やっとこさ、川崎駅に戻り、

美味しいパンと温かい紅茶にありつきました。

神社やパワースポットに訪れている瞬間は、

正直、そこに行くだけ、感じるをやるだけで精一杯。

それもその筈で、人間の脳というのは、

思考と感じるを同時に行うということは、できないらしい。

だから、ワケは後からわかる。

なんだと思います。

そして、この温かいお茶を飲む瞬間が、

頭の中が整理される瞬間でもあります。



まきちゃんがこう言いました。

「私が、羽田神社の鳥居を出た時に、

胃(意)を掴まれたのって、

みゆちゃんに、頭ぐるぐるになる時間を

作るためだったんだわ。」




そう。

おかしいなぁって思っておりました。

まきちゃんは、胃を掴まれた後、

いくつかならんでいるお稲荷さんの元へ戻りご挨拶しました。

こういう体験は、前回の穴守稲荷神社で起きているので、

まきちゃんも、ヘロヘロな私でも、

どこへどういう姿勢で向き合うかというのは、

精査しながらやっているんですね。

摂社末社、境内社などに対して、

ここは、目礼だとか、ここは目の前に行ってご挨拶するとか、

あそこは呼ばれてないなとか、

その場に立つ位置、距離感も含めて、

自分の感覚を頼りに丁寧に向き合っています。

まきちゃんが丁寧に精査している姿というのも、

羽田神社の境内を廻りながら、横目で確認していたんですね。

私は、ここに反応したけど、まきちゃんは反応するのかな?

という興味もあって。

それなのに、戻らされるとは、どういうことかと。

では、私は戻る必要があるのか?

でも、戻ってどこかへご挨拶する感覚も湧いてこない。

そうこうしているうちに、頭ぐるぐるが起こって、

曲がらなくてよい場所、平和交通の手前で曲がってしまった。

なぜならば、その先が大鳥居へ続いていたから。



「ホントだよねぇ。

私、平和交通のとこで曲がっちゃったよね?

"平和"で思い出せってことだったんだよね~。」




自分の「間抜けっぷり」に大笑いしておりました。

この時の私は、なぜ曲がってしまったのかの

真の理由に氣が付いていません。








間(真)が抜けている。

この笑う、というのがポイントで。

笑うと真ん中に戻るのです。

そうすると見えないチームと繋がりだす。

ゴールのテープしか見えてない状態で羽田神社へ向かっている私は

真ん中の状態ではなかったということです。

だから、頭ぐるぐるで、ストップ&軌道修正させられた。

目標を達成することに取り憑かれてるとも言えるし、偏っている状態。

本質を観てないし、本質から外れてた、ということです。



「あ~~~!うるさい!!」



まきちゃんが、急にコバエを払うような仕草を始めました。



「なんか、今、平和、平成、令和って、

ずっと頭で繰り返してる。

平成の平と、令和の和、

横、縦、横、縦、

平和、平和って。

もう、何~~~?!」








それは、これのことを言ってるのだ思います。







令和元年(2019年)5月1日

雨もまた天恵に書いたことです。

「平成」から「令和」に移行しました。

「平」(横)だったものが、

「令」(縦)に変わろうとしています。

時代の鍵は「自分軸を持った世界の調和」 であると感じています。



陰陽五行説で表すと、こういうイメージになるんですね。

分かりやすく言うと、中島みゆきさんの「糸」の歌詞ですね。







縦(男性性)だけでもダメで、横(女性性)だけでもダメ、




二つの線が交差したところに、山という自分、

私という和多志がいる。

その調和で成り立つ世界。

調和って、異なるものが共存していること、だから。







今こそ、自分の中の強さ優しさを認める時なんですよ。







それこそが、敵とするエネルギーではない、

平和に繋がっているから。



いつまでも、自分攻めして快感覚えている場合じゃないし、

いつまでも、自分卑下して悦に浸ってる場合でもない。

いつまでも、自分に敵とするエネルギーを向けてどうするよ。



女性性(優しさ)が主導する時代に来たのだけれど、

男性性(強さ)もあってのこの世界なんですよ。

どっちかに偏るんじゃないってこと。

その調和が平和なんだということ。



だから、海と陸と空という異なる空間が重なる地に建てられた

大鳥居の平和というゲートを、

私は見る必要があったのだということ。



私の、こじつけと思い込みと勘違いだと思います?

そうだとしたら、ここまで結び付けて

ストーリーにする才能って大したもんだと思いますよ。

自分で言うかよ、って、ホントに恥ずかしいけど。

な~んてね、

やっぱりね、

計り知れぬところで、

人智を超えたところで、

シナリオがあるんだなとか、

私の意志であって、私の意志ではないところの何かなんだなって

どうしたって感じてしまうんですよ。



では、本当に私の意志は私のものなのかな?



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-94「自由意志は幻想?」に続く。




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