木花咲耶姫と磐長姫の伝言-4「分け御霊」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-3「力石」より続いております。



女躰大神へ行った後、うっかり眠ってしまいます。

逢魔が時はご勘弁なので、慌てて稲毛神社へ向かいました。











なぜ、稲毛神社は、祓砂を受け入れてくれて、

女躰大神は、拒んだのか。

祓砂ですから、氣枯れ=穢れ=ケガレを祓うが本質なわけですよね。

何かではなく、何を。で書いたことがあるのですが、

女躰大神は、幼稚園を併設しています。

これ、中庸ポイントです。

園児たちのエネルギーって、

素直に楽しくリラックスして生きてるから

中庸なのです。

天竺=天の軸=自分の軸状態ですね。

大人と違って「取り繕う」ことが無い状態。

他人軸で存在していない、ありのままに近い状態。

だから、常に「新宮」の状態だから、

場の再生が行われています。

それと、「双子・二子・ツインズ・ダブル・相似」は、

離れていても繋がっているから、

敢えて繋ぐ必要はなかったのでした。



恐らく、このことをもう一度改めて伝えることを

示唆されている氣がするので、書きますね。



異なるものからわかることに書いたことです。

結婚して「関」になってからの私は、

ちょっと変わった体験してるなぁと思っていました。

今ならわかるのですが、

人にその本質が何なのか伝える為に体験していたことだと。



2013年は特別な年でした。

伊勢神宮と出雲大社の遷宮が重なる年だったのです。

20年に一度と、60年に一度の

遷宮のサイクルがピッタリと合う年でした。

ということは、「統合」の始まりの象徴だったとも言えます。



出雲大社の遷宮の時に、

私は、自分の分け御霊と出逢います。



この年、ぷれし~どの高島亮さんが、

3つのツアーを企画されていました。



1.東国三社ツアー

2.伊勢神宮ツアー

3.出雲大社ツアー



このツアーを行う前に、

普天間さんからこんなことを言われておりました。



「亮さんは、観光だけど、あんたは、ドサ回り。」



ドサ回りとは、

二線級が地方巡業すること。

左遷や転勤などで地方の営業所や子会社に赴任する勤め人をも指す言葉



何故に、私が神社を巡ることが、「ドサ回り」なのか。



その意味するところが、

その時の私には、

全く以て、わかりませんでした。



巫女の三五太郎さんが後ろについていて、

私も現代の巫女の役割をしていくからだったんだけどね。



東国三社=鹿島神宮 息栖神社 香取神宮 を巡り、

その後に伊勢神宮と巡り、

それぞれの神社の空氣感というものの違いを味わうことになります。



後に自分がツアーを組むことになるとは思ってもおりません。



神社巡りが趣味でも何でもなかったので、

それぞれの場所の氣の違いというのを味わうのは、

初めてのことだったのです。



そして、2013年11月12日、出雲大社。

訪れた瞬間に、あることに氣が付きます。



「全く同じだ」



このツアーには、普天間さんもいらしていました。



普天間さん、私、出雲大社の氣と全くおんなじだ。

出雲大社と同じってことを氣が付くために、

他の神社回ってたんだ。」



「氣が付いた?

あなたは、僕と同じ、出雲の直系の魂(笑)」



ありがとう御庭(ひろば)主宰の

亀甲和子さんもいらしていました。

奇しくも、私と幼稚園と高校が同じだったという、

川崎から沖縄へ嫁いだ方です。



亀甲和子さんの周りには、

不思議な能力を持った人たちが集まるので、

その方々のお世話をしたり、

人と人を結び付ける役割をされており、

私たちの間では「沖縄のゴッドマザー」と呼んでいるのです。



「ね~、ちょっと、みゆ紀さん、来て来て~!」



亀甲和子さんの隣には、私より少し年下だと思われる、

一人の可愛らしい女性が佇んでいました。



「ね~、彼女とあなた、

目のあたりそっくりなの。何かあると思うわ。

一緒に写真撮りましょうよ。」



旅行から帰ってきた翌日、

亀甲和子さんから電話をいただきました。



「あなたと似ている「明子さん」ね、

あなたと分け御霊だって。

普天間さんが一言、

「うーん、分け御霊だね。

って言ってわよ。」

他にもね、デジカメの写真、

他のスピリチュアルな能力のある人に見てもらったら、

双子だねって言われたわよ。」



双子とか分け御霊とは、

ツインソウルとか、ツインフレームとか

呼ばれているもののことでしょう。

1つの魂が、もっと多くのことを学ぼうと思い、

2つに分かれて生まれ変わるっていうものです。



私は、これを、複数ある過去世の一つを、

もしくは、複数のうちのいくつかの記憶を、

共有している存在だと考えています。



すなわち、今世に持ってきた何かの課題やテーマを

互いに共有しているということですね。



私の知人で、

男女のツインソウルに出逢った時の衝撃を語っていた方が

いらっしゃいましたが、

それはそれは、強烈な出逢いのようです。



が、同性の場合は、極めて普通でした。



初対面の人って、この人はこんな人かな?って

探り合いをしたりしますね。

真面目そうだなとか、面白そうだなとか、暗そうだなとか、

その瞬時の判断というものがありますよね。



「明子さん」の場合は、普通でした。

なんか、物凄い感動する訳でもなく、探り合いをする訳でもない。

瞬時の判断が、何もない。

フツーです。普通。

自然にある、自然にいる、そんな感じでした。



同質のものだから、探り合いをする必要がないからです。

芝大神宮と女躰大神が同質のものなら、

祓砂という土で繋げる必要はなかったと言えるかも知れません。



人は、異なるものに出合うからこそ、知りたいと思い、

それが欲しいと思って渇望し、反発し、惹かれ合うのです。



だからこそ、

受け入れる(受け止める)ことがポジティブであり、

抗う(あらがう)ことって、ネガティブなんですよ。



男女間の愛について照らし合わせてみるとよくわかります。

そんな風に思いました。



それでね、「あ、私は鏡を見たんだな」って思ったんですよ。

それはね、「私は私のままでいていい」っていうメッセージです。



私よりも数歳年下の「明子さん」も

私のように不妊に悩み、

その結果、「明子さん」ご自身は、

「二人のお子さん」を授かっておられました。



「明子さん」は、

「出雲のゴッドマザー」とも呼ばれるべき女性の

義理の娘さん(長男のお嫁さん)でした。



「沖縄のゴッドマザー」と「出雲のゴッドマザー」は、

親友であり、

お二人とも「みちひらき」の役割をされている事実も

面白い一致です。



今だからこそ思うのですが、

私は「子供を授からない選択」で良かったのだと。



「明子さん」と私が、

同じ一つの魂を分け合っている存在であるならば、

私が味わうことは、「明子さん」も味わうことであり、

「明子さん」が味わうことが、私も味わうことになるからです。



「これでいいのだ」

そういうことです。







あ、そうそう、「明子さん」を見つけた時、

一つだけ思ったことがあります。


「うわぁ、かわいい人だなぁ。」



私、自分のこと愛してるんだなって思いました。




今まで、色 数 文字 音、名前、

様々な暗号について書きました。



「明子さん」は、 日(陽)+ 月(陰)ですね。



私にとっての「同質のもので、陰陽の存在」

であることの「暗号」です。



それにしても、同性の分け御霊の存在を知ることにより、

どれほどまでに「女性」=「女性性」

というものを学ぶ必要があるのかということを、

目の前に突き付けられた瞬間でもありました。



伊勢と出雲。

2013年は異なるものが一つになったという

統合の象徴の年だったのです。



点と点を結ぶと、糸(意図)になります。

「明子さん」も様々な霊的現象を乗り越えてきたそうです。



私がなぜ今これを書いているかというと、

「時間のみなもと」に辿り着いた-9「女性が先」

「女性が先」がとても重要なことだからです。



これから先の時代は、今までの在り方に縛られてたことに

氣が付いて、破壊と再生を繰り返していく時代になったんです。



それをシンプルにできるのが女性だからです。

「子宮」という宇宙のリズムを感知できる機能を持っているから。

重い石を抱えて生きている「おのこ」が多いから。



私は、小さい頃から、何の疑問も無く、

世間の人が普通に辿っているように

(普通に辿っているように観えてるだけ)

結婚して、子供を生んで、「型にはめられた」

幸せに生きていくのだと思っていました。



30後半になり、

結婚していない自分に劣等感を抱きます。

子供を生んでいない自分に罪悪感を抱きます。



でも、魂が描いてきた人生の青図の中に、

結婚をすることが必須である、

子供を生むことが必須である

と書き込まれているわけじゃないんですよ。



それを決めているのは「世間軸」だから。

何を生み出すかなんて、

その人の「青図」によって違うんだから。

宇宙にそんな理(ことわり)ないんだから。



音を観るって、宇宙のリズムを感じることに繋がってるんですよ。

周波数ってそういうもの。



ましてや、今、新しいフェーズ、新しい時代に入っちゃったんだから。

シンプルに言います。

無ければ創ればいい。

その時代に入ったということです。



子供を生まない人生を決断した時、

私の分け御霊のことを想い出しました。

もう一人の私が、私ができないことをやってくれている。

だって、その記憶は、後に一つになるわけだから。

だったら、私は、安心して、自分の想う・望む・ありのままの私で、

人生を生きていいということなんですよ。



これは、私だけの話ではありません。

これを読む皆さんも、どこかに分け御霊が存在している。

だから、安心して、自分の人生を想うまま生きていい。

自分が想うことに対して罪悪感なんて抱かなくていい。

自分の存在に対して劣等感なんて抱かなくていい。



何かの為に生きるという価値観が、

何かの犠牲になって生きる価値観に、

すり替わっていることに、

もう、氣が付いて、自ずから立ち上がる時なのです。



すわ!あわあわ?!過去と未来の自分の伝言8「諏訪神社編」に書いたけど、

諏訪神社って女性性と男性性が混在している場所だったんですよ。

もともと一つなんですよ。

流れる源流は一つ。







それが、芝大神宮と女躰大神に分かれて、

それぞれの役割を果たしているだけですよ。






昔の巫女さんは、神に仕える、人に仕える、

犠牲的精神の元に生きていました。

現代の巫女さんは、現代の女性は、そんな価値観、

もう、脱ぎ捨てていいんですよ。

「私を生きる」と、周りも幸せになっちゃうから、が本質だから。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-5「ワケミタマ」へ続く。






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