夫婦で漢方薬生活
よければ漢方妻と漢方夫の漢方記事を読んでくださると嬉しいです
漢方医学のルーツをたどる 後編
▼漢方医学のルーツをたどる 前編です
前々回の記事の華岡青洲のところから再びお話をしていきます。
よろしくお願いします
華岡青洲は東西の医学を見事に融合させて成功を収めました有名な医師であるということをお伝えしました。
江戸時代の末期には、漢方医学と蘭方医学、
いわゆる東西の医学が我が国の医学としまして併存をしており、主導権争いをしていました。
牛痘種痘法の制定を機に緒方洪庵らが大阪に除痘館を開設するなどして普及に努め、
西洋医学の優秀さがより一層際立つようになりました。
その後は西洋医学が優位となり確固たる地位を築き上げるようになっていきました。
明治時代に入りますと、明治政府は医術開業試験を始めます
それまでは、医師の看板は誰でも揚げることができていましたが、
この試験に合格できなければ医師としての仕事に従事することができなくなりました
それまで漢方医師として活躍をしていましたものも、この試験を受けなければならなくなり、廃業する医師もいたといわれています
明治政府は国家資格とし医師法を定め、医師国家試験を課しました。
その受験科目の中に、漢方医学は含まれず、
明治政府に認められず衰退の道をたどることになりました
しかし、和田啓十郎や湯本救心ら限られた人たちの手によって、漢方医学はかろうじて伝えられ、生き長らえることができました
戦後直後、医師・薬剤師により日本東洋医学会が設立されました。
1967年に前々回記事に取り上げました十味敗毒湯、葛根湯、五苓散、当帰芍薬散の4剤から始まり、
1976年には33剤が漢方エキス製剤として医療用医薬品となっています。
今現在では、
148剤の漢方薬が医療用医薬品として処方されるようになっています
平成に入り、2001年に、漢方医学界におきまして、変革をもたらす大きな出来事が起こります
それが大学医学部のカリキュラムに漢方医学が科目として組み込まれるようになりました。
漢方医学を志すものたちにとりましては、まさに嬉しい出来事となり、
歓喜に満ち溢れる思いであったと想像ができます
しかし、現在、医療機関の医師の多くが医学生時代に漢方医学を学ぶ機会が少なく医学部を卒業していますので、
この148の漢方エキス製剤を上手く処方することが難しくなっているのが現状であります。
また、薬剤師や看護師などのパラメディカルたちへの漢方医学教育も医師に比べると遅れをとっています。
漢方医学が医療現場で上手く機能しきれていない原因がいろいろとありそうです
以上、
漢方医学のルーツを2回に分けて説明をいたしましたがどのように感じられましたでしょうか
漢方医学の歴史は非常に長く奥深いものです
未だにこの漢方医学が衰退せずに存続をしているということはなにか秘められたものを持っている証拠であると思います
漢方生活8年目を迎え、また、登録販売者試験にも無事合格することができました。
この立ち位置から漢方医学の秘められたものの正体を突き止めるべく、漢方医学の魅力にこれから迫っていきたいと考えています
どうか、これからもお付き合いのほど、よろしくお願いします。