「母を殺すか自分が死ぬか」
まで追い込まれたアラサーOLが
「毒親から解放されて自分らしく生きたい…」
と書き始めたブログへようこそ
”毒親育ち” "アダルトチルドレン" と自覚し、
自分と向き合うことに本気で取り組んだ結果、
・自分を好きになれた
・「生まれてきてよかった」と思えた
・殺したいほど憎かった母親との関係も改善
という、夢のような現実を手にすることができました。
自身の経験、および学んできたことを生かし、
「自分を好きになりたい」
「自分の人生を生きたい」
という想いを持つ20〜60代の女性に
”本当の自分を取り戻す方法”
を主にマンツーマンでお伝えしています
5年ほど前、尊敬していた人に
「わたしはあなたを褒めませんよ」
とハッキリ言われたことがあった。
他の人たちの前でね。
なんだか否定された気がしちゃって、
(ま、わたしがそう捉えたのだけど)
恥ずかしかったし、
ものすごくぐさっときたのを覚えてる。
そして本当に、
他の人はその人から褒められるのに、
わたしは本当に褒められなかった。
なんでわたしだけ!?
とよく思った。
当時はとても尊敬していて、
こんなふうになりたい
と思う人だったから
そりゃ褒められたかった。
でもそれが手に入らない。
なんで?
と、自分と向き合った。
自分を深掘りたければ、
なぜ?
と、ちびっ子のように自分の中に問い続けるだけでいい。
褒められる他の人
と
褒められないわたし
の違いを見出したかった。
褒められたかったからだ 笑
尊敬していた人の見解、
どうしてそういったのか
はご本人に確認をとっていないので
実際はどんな意図だったのかわからないけど、
わたしはそのとき、
褒められたがり
認められたがり
な自分を見つけた。
すごい
と他者から言われたがる
だっさい自分
がいたことがわかった。
(わたしはこういうのを
ダサい
と思っちゃうだけで、世の中的には知らないよ〜)
もちろん人は、人からそうやって
褒められたり認められたりしたいものだと思う。
普通だと思う。
けれどわたしは、
ちょっと、
いや、かなり過剰だったのだと思う。
あのときの褒められたい
は
自分で自分を認められないことを
表していたと思う。
あのときあの人に、
「わたしはあなたを褒めませんよ」
と言われなかったら、
わたしは今も
イタイ自分に気づけなかったと思う。
嫌なやつのままだったと思う。
自分が褒められやすいコミニティを
どこか無意識に選び、
(ちやほやされやすいコミニティ って書くとわかりやすいのかな?)
小さな世界のお山の大将
ということをずっとしてたと思う。
成長することを選ぶのではなく、
とどまり続けることを選んでいたと思う。
あ、
褒められる場所を選ぶのがダメ
っていう意味じゃなくて、
褒められることに執着すると
危険だよ
っていう話をしております。
褒められる場所を選んだっていいんだよ。
自己肯定が低すぎるときというのは、
そんな場所に所属することは
大切なエネルギー源になるからね。
わたしも最初はそうだったよ〜!
ただ、
そこに執着すると危険だよ
ってことをいいたいのです。
わかるよね!?
わからない方は、文字だけ捉えるのではなく奥にあるものを頭使って読み取って読んでね。
なんであの人ばっかり!
って、
えこひいきにとらわれたり、
好きな誰かや憧れの誰かに
必要とされることや評価されることばかり目がいって、
不平や不満を口にしなくても
心で思っている人は
(もちろん口にしてる人も)
注意したほうがいい。
コミュニティを変えたって、
仕事を変えたって
その中のトップや誰かに、
"褒められるような行動"
を繰り返す。
そして、
認められなければ
トップや誰かの悪口を言う。
もしくは自分を責めていじめて
自信をなくしてその場を去るパターンもあるかもね。
それは、
依存
というのだと思うよ。
自立
とはいえないよね。
自分で自分を認められないことって
本当に罪。
自分自身にとっての罪
って意味ね。
嫌な部分も
ダサい部分も
嫌でダサくても認められずにいる部分さえも
認めることが生きやすさにつながる。
わたしはそう思う。
最後に
念のために
もう一度
書いておくけど、
褒められるのは悪いこと
とはどこにも書いてないからね。
頼むよ〜。
何事もバランスよ、
バランス♪
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母娘関係研究所
代表 加藤なほ