"愛されていない" 世界に身を置くか… | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」


今日はオフ。



今週も、おばあちゃんの法事で地元に帰り、
お寺でお経をあげてもらい、お墓まいり。


  
前からそうだったけれど、
お経の中でも御詠歌を聞いていると、
ほろっと涙が出そうになる…



おじいちゃんが亡くなった二十歳のときもそう、
そして、
今回もそう、
今日もそうだった。



心のもっと奥、
魂に触れてしまう感じ…



わたしの実家のお墓があるお寺さんのおっさん(和尚さんのことをこう呼ぶの。イントネーションが違うよ)は本当に声がよくって、

小さな頃からお盆になると聞けるおっさんのお経が心地よくてだいすきでした。



たいまつをたく送り火迎え火が
なぜか小さい頃からだいすきで、
なんだか大切にしたい儀式で、

バイトをし始めても、
社会に出て仕事をするようになっても、
(絶縁するまでは)

迎え火送り火の最低どちらかはわたしもできるように、バイトや仕事を休むほど、わたしはお盆がだいすきでした☺️



盆踊りも、
小学校の頃だいすきだったなぁ!





おばあのおかげで、
わたしは先月からたくさんの気づきをもらえて、意識が小さくだけど力強くぐわっと変わり、
また身軽になったのを感じています。



自分の大きな "勘違い" にも気づき、
これからありたい在り方がまた一つ決まり、
最後に大きなプレゼントを残してくれたおばあとの別れは、

悲しくなかったわけじゃないけれど、
とてもすばらしいものとしてわたしの中に生きています。







四十九日まで、
毎週父と母と一緒してくださる近所の方、
いとこのおじちゃんおばちゃん。



わいわい会えるのが
ちょっとした楽しみになっている☺️



たくさんのお野菜をもたせてくれて、
手づくりのピーナッツ豆腐をつくってくれる、
父の兄であるおじちゃん、おばちゃんに感謝。



どれだけ
"愛されていない"
って世界にこのわたしという存在を置いてきたんだろう…

って視点から、
おばあが亡くなってから特に、
30歳までの自分を振り返ることが増えました。



どれだけ取りこぼして、
勝手に一人で勘違いしていたんだろう

ってね☺️

着替えて、だいすきなふるさと 知多半島 を堪能中♡
夫に #男子旅! をなぜかもたされる…




これまでの未完了な感情が多いと、
振り回される。



"現実"
がトリガーになって、
"過去の自分の感情"
に振り回され、もっていかれる。



けれど、
その感情たちを大切にみてあげて、
包んであげていくことができると、
ちゃんと消化される。



すると、
感情に持っていかれないから、
自分を客観視することができるようになっていきます。



その力を高めていくと、
さらに "引き" で
大きな視点で自分を観れるようになる。



すると今度は、
その "視点" すらも選べるようになる。



どこからみているからこう思うのか、
なら、
ここからみたらどうだろうか

って、
操れる感じになります☺️



おばあの死は、
その力を高めてくれました。



もっともっと、
いろんな視点から
ものごとをみれるようになりたいな〜。







さてと、
この後はずっと行ってみたかった新美南吉記念館にいこうかな と思っています☺️

ここからはわたしが運転手🤣



てぶくろをかいに
がだいすきだった!


この絵が好きでした♡

ごんぎつねは国語の教科書にも載っていたけれど、最後の兵十のせりふを思い出すだけで涙が出る 涙




お子さんがいらっしゃる方は
もう夏休みですよね😊



みなさんステキな日曜の午後を…






追記

新美南吉記念館の紫陽花にカタツムリがいっぱいいるのを見つけた🐌✨


いなか育ちだからか小さいころはたくさんみてたのに大人になったからか名古屋に住んでるからか見なくなってたからうれしくなってパシャリ。


"童話の森"
を歩いていたからか、カタツムリをみたら、
実家にあって好きだった、食いしんぼうのカタツムリの物語を思い出した🤣


アマゾンで出てこなかった 泣



この絵本、だいすきだったなぁ!


  


南吉記念館では久しぶりにごんぎつねのストーリーにふれて涙がじわり…



絵本も本も、
小学校まで本当にだいすきだったなぁ!



地元の美浜にはわたしが小学生の頃、図書館がまだなかったから、隣町の図書館まで連れて行ってもらうのがうれしくて、たくさんの本を読んでいたことを思い出しました☺️



移り変わる地元の風景はちょっと寂しくもあるけれど、

こうしてときというのは流れていき、
世代交代を繰り返して続いていくのだな

とか、

ふと思い出す幼少期だったり昔の記憶から
今のわたしへのメッセージを拾うことの大切さを

地元である、知多の方へ行くたびに思います。



今日もたくさんのメッセージをもらった!



絶縁してたとき、
地元までも大嫌いになっていたけれど、
こうして生まれ育った場所を
好き
って思えるわたしに戻れて、本当によかったな☺️


帰り際に見つけた南吉の言葉に、心から同感。



今日もいくつかわたしを見つけたよ。



明日もまた、
わたし
を探そうと思う☺️



ありがとう。