そろそろ「わたし愛されてたかも」ってことにしてあげない? | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」

 

先日配信した一番素のわたしが出ているであろう《こちらのメルマガ》にも書いたのですが、自分がわからなくなったときや、そもそも自分がわからなくならないために定期的にノートを使ってワークをする習慣をわたしは持つようにしていて。

 

今日のメルマガに書いたのは、好きな人・憧れの人から自分を知ることについて。

 

 


わたし、

ずっと自分に自信がなくて、

人目ばかり気にして、

正解を探して生きてきたから、

 

うっかりしちゃうと、すぐにまただれかの目を気にして自分に嘘をついてしまうクセがひょっこりと現れちゃう。

 

 

 

だから、ゆるーく自分を見守るようにノートを使うようにしています。

 

 

 

でね、不思議なことに、ノートを使うと、

 

どんなに嫌なことがあっても、

 

本当の本音はここか…

 

っていうのにたどり着く、共通の答えがある。

 

 

 

それは、わたしだけじゃない

って思う。

 

 

 

たくさんの人が発信もしているし、昔から偉人たちが言っていたことも同じだから、人類共通のものなんだっていう方をわたしは信じている。

 

 

 

その答えは、この記事の後半の方に書くとして…

 

 

 

 

 

 

 

母親のことは、長い間ずっと好きになれなかった。

 

 

 

一時期は

”わたしは親に愛されていなかった”

って、親のことを毒親だって認識し殺意を抱いていたことがあるくらいだから、

 

世の中は優しく愛あるものだ

という考えはなかなか受け容れられなかった。

 

 

世の中は、苦しいもの。

 

苦労した人や特別にがんばった人だけが幸せになれるもの。

 

 

 

わたしの中の、世の中の定義は30年くらいこうだった。

 

 

 

だから、それまでは、

 

ゆるく楽しそうに生きている人を見るとすごくイライラした。

 

 

 

「わたしはこんなにがんばってるのに!」

って、いつもどこか怒ってた。

 

 

 

でも、

嫌われたくないから、顔でもいい顔をして、笑顔をつくって、差し障りないように生きてきたつもりでした。

 

 

 

 

 

愛だ

とか聞くともうすごく気持ち悪くて、心の中でおぇってしてた。

 

 

そのくせ、

ものすごく愛されたくて必死で、誰かの特別になりたくて、カメレオンのように人に合わせて、好きになった男性好みになるよう、一生懸命無理してた。

 

 

捨てられるのが怖かった。

 

 

 

友達にまで見返りを求めたりしていた。

 

 

友達の1番にさえもなりたくて、わたしの友情の築き方はおかしいなって、小学校低学年のときには思ってた。

 

 

わたしはこの漫画の "比呂" みたいな異常さを持ってるかも…って思ってた

 

 

 

振り返ると、ものすごく面倒でものすごい嫌な人間だったなぁ!

 

 

それを、

こうして笑える今が、ネタにして生徒さんに話せることが、本当にうれしく愛おしい。

 

 

 

 

 

今は、

”世界はやさしい”

っていう方を意識的に選んで生きていけるようになった。

 

 

ステキな人とたくさん出会え、仲良くしていただき、へんちくりんめんどくさ時代には見えなかったであろう世界の中にいる。

 

 

 

そうなれたのは、紛れもなく母のことで悩んだおかげ。

 

 

 

先日、《ワタシの母は、毒親でした 〜毒親から解放されて愛されて自分らしく生きる方法〜》の主催をしていただくアクチュアルミー代表 の赤土千恵さんと、

 

 

「母のこと毒親だって思ってたけど、

毒親じゃなかったなって後でわかったんですが、

でも、本当はどこか知ってたと思う。

 

 

人生がうまくいかないのは母のせいじゃない

って、

自分のせいなんだ

ってこと。

 

 

でも、

それをわたしは引き受けられなかった、

自分なんだ

って、当時はしたくなかったんだと思います。

 

 

だから、毒親っていう言葉を知ったとき、

これだ!

って、全部母のせいにしたんだと思います。

 

 

自分は悪くないっていう正当化するものができた感じたったと思います。

 

 

そうすれば、自分は変わらなくて済むし、自分と向き合うこともしなくていいから。

 

 

楽だから、人のせいにしてたほうが」

 

 

って、お話していたんです。

 

 

 

わたしは、

”お母さん”

になったことがないから、体験したことはないのだけど、

 

赤ちゃんは3日間放って置かれたら死んじゃう

 

という話を聞いたことがあります。

 

 

だから、

今こうしてあなたが生きているのは、誰かが面倒を見てくれたからだ

って。

 

 

千恵ちゃんは、お母さんでもあるのでいろんなことを教えてくれましたsmile

 

 

 

母親になって思うことは
子供を1人育てるってとっても面白いけど大変ってこと


痛い思いして産んで、体がボロボロのままお世話して。
 

おっぱい痛くても授乳して、眠たくても赤ちゃんに反応して起きて
 

自分のことは後回しになっても赤ちゃんのことをして。
 

ミルク作って、離乳作ったり用意したり、寝返りをしたとかしないとか 笑


子供は放っておいても育つっていうけど
やっぱり赤ちゃんの時にはそうはいかない。

だけかに預けるのだって親が用意して預ける。


みんなそうやって育ってきた。

どんな親だって大なり小なりそうやってる。

これって 愛 以外ないんじゃないかと。


みんな 愛されて生まれてそして育ててもらってきた。

どこかでちょっと掛け違えただけ。

(世の中のすべてはこの愛の掛け違いでこじれてるだけな気がする)


だからそろそろ 「自分は愛されてた」って気づいてもいいよね。

 

 

って。

 

(この文章は、千恵ちゃんが書かれた《アクチュアルミー》さんのメルマガから引用しました)

 

 

わたしの周りのママである友人たちも、同じことを言いますニコニコ

 

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わたしも今ではまっすぐに受け取り理解できますが、

悩んでいた当時はそんな話も

「うっせーよ!」

と思っていたし、

 

子どもは母親を選んでくる論

も真っ向反対だった!笑

 

 

でも、

わたしは分かってしまった。

 

 

愛のかけ違いだった

って。

 

 

ボタンの掛け違いと同じだって。

 

 

愛がなかったら、

生まれてもいなかった って。

 

 

 

あるお母さんに、虐待のことなどについて母親の立場の意見を聞きたくて聞いたことがあるのですが、

 

例え子どもを育てられずに施設に預けるしかなかったとしても、

産んだということは、

産むという決意をしたということは、

そこに愛はあるんだよ

 

愛が全くなかったら、産まないよ

 

 

って。

 

 

そうだよなぁって思いました。

 

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本当は言いたいことがあったのに、

愛されたくて、

愛しているから、

言えなかった、我慢した

 

 

 

本当はこんなことしたくないのに

ついしてしまった

 

 

 

世の中のいろんないざこざもきっとそうで、

お母さんと子どもという、誰しもが持っている関係が平和になっていかないと、世界は平和にならないとすらわたしは思う。

 

 

 

母親を殺しそうだったわたしが、

殺人犯になりそうだったわたしが、

 

今こうして、

親のことを良い意味で気にせず生きられるようになったよ

っていうことを発信するのは、

 

とっても小さなサンプルだけど、

ちょー小さな存在だけど、

世の中は愛がベースだったということを、

”毒親育ち” という切り口から話せる小さな証拠かな

 

っていつも思ってる。

 

もちろん反対の恐れすらも含めてこの世は愛 の意味だけど。

 

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めざましテレビを見るみなさんなら懐かしいと思うのだけど、

昔、テーマソング、

 

みんなで言おう歌おう

本当は愛が足りないの

だからいやなやつになっちゃうの

もっと必要とされたいの

 

ってあります。

 

 

自分を愛していれば、愛はあふれてくる。

 

 

そうすると、人に優しくできる。

 

 

でも、大人だっていろいろある。

 

 

子どもに優しくできないときもある。

 

 

でも、大人であるわたしたちから変わっていかないとね!!

 

 

未来ある、子どもたちのために。

 

 

 

自分を犠牲にしている人や我慢ぐせが強い人、

 

居場所がなくて悲しい思いをしている人はこの日本にもたくさんいて、

 

自分が必要とされていることを感じられず、

 

生きている意味を見出せない人がすごく多い気がする。

 

 

それが、事件にもなっていっている。

 

 

わたしもそうなりそうだった。

 

 

わかって欲しくて、

そのわかってくれない対象(母親)をこの世から消し去るか、

自分という存在を消し去るかして、証明しようとしそうだった。

 

 

 

 

 

わたしたち人間の一人一人の本当の望みというのはきっと、

 

愛したい

愛されたい

誰かの役に立ちたい

誰かのためになりたい

分かち合いたい

与えたい

仲良くしようよ

 

なんじゃないのかな?

 

どんなに嫌なことも、掘り下げていくとノートにこれが出てくる。

 

 

これが心底嫌な人って、いるのかな?

 

 

 

じゃなきゃ、イッツアスモールワールドがいろんな言葉でディズニーランドで歌われたりしないよね。

 

 

 

でも、

 

愛したい

愛されたい

誰かの役に立ちたい

誰かのためになりたい

分かち合いたい

与えたい

仲良くしよう

 

 

できなかったから、

うまく伝わらなかったから、

うまく受け取ってもらえなかったから、

 

寂しさ、孤独、虚しさ、無価値観、怒り、殺意、みたいな気持ちがわいてしまうんだとわたしは思うの。

 

 

 

家族という身近すぐる関係ほど、怒りなどは大きくもなる。

 

 

 

 

 

親子もそうで、

 

 

こう愛して欲しかった

 

それはわたしの望むものじゃなかった

 

でも小さかったから、うまく言えなかった

 

我慢するしかなかった

 

自分が生きていくために…

 

 

なんだと思う。

 

 

 

毒親がいるいない という議論をしたいのではない。

 

 

 

自分を幸せにしてあげよう

 

そうするとあふれてくる

 

そうすると、もっと幸せを感じられるからなお満ちていく

 

そうすると、自然ともう人の役に立てている

 

それがさらに、あなたをあなたとして幸せにするよ

 

 

そういうことを伝えたい。

 

 

わたしはそうだった。

 

 

あなたは、どうしたい?

 

 

ずっと、そのままでいる?

 

 

愛を感じる世界に行く?

 

 

いつからでもいけるよ

 

 

 

 

こんなお誘いを、

主にブログというだいすきな場からわたしはしていますニコニコ

 

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そろそろ、

「わたしは愛されてるのかも」

っていうことに、自分をしてあげませんか?

 

 

自分でニコニコ

 

 

もう戦いを終えさせてあげて、

あなたを楽にしてあげても

幸せにしてあげても、いい頃なんじゃないかなsmile

 

 

 

見える世界を変えませんか。

 

 

そんな人の力に、わたしはなりたいですはーと

 

 

丁寧にカウンセリングさせていただきますのでご安心くださいね



 

特別プログラム

オープンカウンセリング

 

《ワタシの母は、毒親でした

〜毒親から解放されて愛されて自分らしく生きる方法〜》

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9月23日(日)14:00〜16:00  @名古屋

主催:アクチュアルミー



 




HahaCo Labo

(ハハコラボ)

母娘関係研究所

代表 加藤なほ