・2016/03/24という日 | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」



今日の予定に入る前に、
後で今の気持ちを味わうために、
覚書として今の気持ちを書き残したいのですが、書きたいことが多すぎる。

アポまで、
書けるところまで、
書く。

消えぬうちに、
忘れぬうちに。





今朝、まだぬくぬくとベッドの中にいる時間に母から電話がありました。

母から電話があることは滅多にないこと。

普段はラインだから。

月曜に母とラインをしたばかりでしたが、震えるスマホの画面に写る
”母”
の文字を見て、一瞬やな予感がしました。


母から電話なんて、きっと緊急事態。

しかも朝早い時間。



昨夜弟が事故に遭ったそうで、意識不明の重体だそうです。

明け方母たちは帰ってきたばかりで、
弟たちは昨夜遅く車にひかれ、ひかれたうちの1人が弟で、
他の2人も今治療を受けているそうです。

母からのこの話に、一瞬意識が遠のいたので、医師から聞いた話ではありませんが、
どうやら母曰く弟が一番ひどい状況で、脳内で出血が起きているということです。

二十歳の時、おじいが突然倒れICUに入り、意識不明のまま、言葉を介さないまま、あっちにいったときのことがよぎりました。

数年前、まだ母と絶縁していたとき、
おばあがくも膜下で倒れ、ICUに入ったときは、
おばあは意識を取り戻したので、わたしが母のいない隙に駆けつけたときな話せたのだけれど。


母の話をわりと冷静に聞く自分を感じながらも、
電話を切ったら数秒パニック。

目を覚ました夫に簡単に状況を話しながら、
頭を抱えてちょっと泣いてしまったけれど、
どうにもできない  とベッドを出る。





人は、こんな風に悲しいこと辛いことを感じることから身を守るのかと思った。

その後のわたしは、淡々とアイロンをかけ始め、洗濯機を回し、掃除をしたのだ。

アイロンをかけながら、
「あ、わりと冷静。
わたしもおじいのときほどテンパらなくなって大人になったなー」
とか思ったけど、
いやいや違う。

本当は感じたくないからじゃない?
と自問すると、涙があふれそうになる。

こうしてわたしたちは、
大人だから
みたいな言葉をかけられたり、自分にかけたりしながら
嫌な感情は感じない、冷静でいる
みたいなことがすばらしい  みたいになっていってるのかもしれない。

なんて、器用。

そして、
なんて、うそうき。

悲しくてたまらないのに、こうしてたんたんとブログを書くわたしもいるのだから。

ちびなほは今、
「ゆうくんどうなるの?」
って、不安そうに半べそをかいて、見上げてる。

つい、大人のわたしが、
「泣かないの」
と言いそうになる。


泣きたいね
泣きたいよね
悲しいよね
だいすきだもんね


わたしは、わたしを抱きしめながら、今日の予定をこなすしかない。

淡々と。



わたしと弟は、とても仲がいいんです。

わたしが母のことを毒親と呼び、怒り狂ってたときに弟から、
「育ててもらったくせに」
と罵倒され、一時期疎遠になったけど、
弟の結婚を機に弟とつながれ、絶縁していた母に会う機会となり、
そうくんが生まれたことで、わたしの家族は、彩りを取り戻した。


家庭なんて、いろいろある。

完璧なんてない。

完璧にすることも無理。

わたしは、うまくいかないときでも、分かち合いたいと思う。

素直になれなかった。

我が家は、素直じゃない人の集団だった。

でも、うちだけじゃない。

どこもそうかもしれない。

一番身近な人、家族には、
わかってほしい
と思ってしまうものだと思うから。

わかってほしいがゆえに、ややこしくもなり、こじれる。

素直になれば、早いのに。



おじいの死からわたしが勝手に学んだことを、アイロンをかけながら思い出した。

”時間は限りがある。
大切なものは、失ってからじゃないとわからない。
だから、
大切な人こそ、素直になろう”

おじいの死後7年、わたしは母を毒親呼ばわりして、絶縁した。

学びはどこへ?
だ。

今となれば、

「お母さん、
わたし、
もっとわかってほしかったよ。
味方になってほしいって思ったよ。
だいすきっていわれたかったよ。
もっと抱きしめてほしかったよ。
わかってくれないって思ってたよ。
我慢ばかりして、つらかったよ。
それを、ただただ、わかってほしいの」

さえ、言えればよかったのだと思うけれど、
当時は、そんなことは無理だった。

怒り狂い、殺意を覚えるほどにわたしは傷ついていたから、
このようなメッセージを送ってくる人の気持ちは、わたしはわかる。


ーーー
このような活動しないほうがよいです。

毒親という表現を散々しておいて
コロコロかわる

公に発言する立場を理解していない
幼稚さを
自分らしさでありしあわせですが?


わたしは、あなたが大嫌いです。
ーーー


この仕事をしている
 ”加藤なほ”  という人物は、
このような方に嫌われます。

周りの方が教えてくださることもあって、
わたしのところへ相談に来てくださった方々が、
ご自身のブログにわたしのことを書いていることや、同じ気持ちでいる方同士、いろいろ言っていることをわたしは知っていて。

この仕事をする前のわたしだったら、見に行って凹むを繰り返しそうだけれど、
今は敢えて見に行くことはしなくて。

でも、正直、傷つく。

でも、その 
痛いわ!
っていう、
傷に触られた時間や痛みはかなり短くなり、とても小さくなっているので、
傷つかなくなったものつまりわたしの中の癒えたものがたくさんあるんだなぁ、
自分で癒せてきたのだなぁ、
と気づきます。

気づかせていただくには、一見、
いやだ、辛い、困った、悲しい、寂しい
といった体験が必要なもの。

いいことも、悪いことも、
両方ないと、両方わからないの。

そして今は、
わたしのことを嫌う、私と会ったり話したりといった、関わりがあった人と、
分かり合えたらいいな
本音をすべてわたしが受け取る機会をもらえたらいいな
と思う。

本当に思う。

やっとそう思えるようになって、苦しさが減った。



いろいろ言われると、
一瞬どかっと傷つくものもあるけれど、
相手に、本当の本当の心からの悪意がないのは知ってる。

悪意ってなんだろう?って最近思う。

心からの悪意を持っている人って、いるのだろうか  と。


心からの心からの、悪意。

そんなのないと思う。

自分が否定されてるように感じてしまったり、
自分の正しさが脅かされる感じがしたり、
受け容れてもらえてないって感じたりしたから、
自分を守るためにした行為だと思う。

わたしもそうやって、過去知らないカウンセラーにコメントをしたことがあるし。


傷つき傷つけ、わたしたちは学ぶ。

傷つかないと、やさしさを持ち合わせられない。

傷ついたから、やさしくあろうとする。

傷つけたから、やさしくしようと思う。

平原綾香さんの大好きな曲、Jupiterの歌詞に、

”愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないものなど 起こりはしない”

という歌詞があって、私はつらくなるとこの曲を聞く。

両方ないとわからないの。


だから、

毒親育ちは、愛情深い。

毒親育ちは、優しい。

毒親育ちは、傷ついた人の気持ちがよくわかる。

毒親育ちは、小さな喜びを大きな喜びと幸せに変換する天才。

逆にいけるの。

本質は、そっちなの。


好きなんです、わたし毒親育ちさんが。

わたし、だいすきなんです。

だいすきなんですよ、可能性がありまくりなくせに閉じ込めて、閉じこもって、親の文句ばっかり言ってる人が。

じゃなきゃやってられるか、こんな仕事。

自分みたいな、めんどくせーやつばっかり。

すきじゃなきゃ、やってられんわれ。

いつまででも言っとけ、わたしの悪口。

だいすきだってこと、知ってんだからな。




わたしは、誰になんと言われようと、

毒親育ちは、愛情深い。

毒親育ちは、優しい。

毒親育ちは、傷ついた人の気持ちがよくわかる。

毒親育ちは、小さな喜びを大きな喜びと幸せに変換する天才。

これを謳い続ける。

楽しくね。


毒親で悩む過去のわたしのような怒りに満ちている人からこうして嫌われながらでも、
わたしは楽しい世界を創っていく。

「ほら楽しいよ
こっちにおいでよ!
もう鎧は、捨てていいよ!」
って、見せるために。


わたしちっさいから、
ときに、いつまでも自分を見てあげない(親のことばっかり言ってるうちは自分のことおろそかなわけ)人がいると、
「てめぇ、自分をなめんなよ」
と、叱責したくもなる。

ほんと、こういうとこ、わたしのダメなとこ…

その過程はわたしにもあったのに…


そんな過程も、その人の幸せへの道。

暖かく見守れる人を目指したい、在りたいと思う。





過去のわたしと似ているな
って、わたしが勝手に感じるあなたのこと、
わたしは大嫌いにはなれないです。

ごめんね。

わたしは今、むしろあなたを好きで、愛おしいと感じます。

伝わらないかもしれないけど…


傷つけて、ごめんね。

前にもメッセージくれたのに、
あの時小さなわたしで、受け止めきれなくてごめんね。

わかってあげられてなかったよね。

嫌われているわたしは、あなたに何もしてあげられないけれど、
ブログを読むのがつらかったら、読まない選択をしてください。





わたしは小さな人間で器も小さく、
カッと感情的になり、すれ違った人も何人もいます。

わたしに本音を伝えずとも、
静かに去っていた人もいると思う。

こういうメッセージが届くのも仕方ないのかな
とか、
その人の気持ちも、なんとなくわかるものな
と思う。

いろいろいろいろ、思う。

いつか、笑って話したいと心から思う、本当に。






この方からのメッセージ、
弟のこと、
数時間でいろんなことがあり、

わたしがずっと考えていたこと、
誰に、何を伝えたいのか
が、はっきりしそうな気がしています。

後ほど、落ち着いて考えたいし、
今日という日をわたしらしく過ごしたいし、
弟にも、会いに行きたい。
目を覚ましてくれることを願って。


おばあが一番テンパってる!!
とはっとして実家に電話しましたら、予想通りテンパっていらして、

「あの子が一番ひどい状況で意識もないんだけど、
あの子は他の2人をかばったんだと…
優しい子だから…」
と聞いた。

正直わたしは、メイクしながら話してて、泣き崩れそうでした。

泣きたかった。


でも、
「おばあが泣いちゃう」
と、
「めっちゃカッコええやんあいつ」
とか、元気に気丈に、いっちゃったよ。

心からそう思ったから出た言葉だけど、
本当は、
わたしは、
わんわん泣きたかった。


今も書いてて泣けてきます。

わたしの自慢の弟です。

なんて優しくて、勇気あるやつなの…

そういうときに、人格が出ると思うけど、
立派すぎて、わたしは泣けます。

 
NY前にいろいろ話せて、
「また2人でゆっくり話したいな」
って思ったのに。
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「神様お願い、大事なあの子を連れて行かないで」

これがわたしの本当の本音です。



”これも必要必然ベスト”
と、母と話してる時すぐ捉えられた。

もう、クセになっているんだろう。

でもね、
この、
”必要必然ベスト”
という思考が、
わたしの泣きたい気持ちを押さえたのも感じた。

すぐさま、家事を淡々とこなし、感じるのを止めてる自分に気づいたからね。

”必要必然ベスト”
ってとらえたら、大切な自分の気持ちを封じ込むこともあるのかもしれない
と学んだよ。

でもこうして、
弟への思いや、仕事への思い、
すれ違った人への思いや、今も関わってくださる方への思いを、
改めて思えたから、
結果、
”必要必然ベスト”
にもってこれた。

そして、
”必要必然ベスト”
と心の底からとらえることこそが、
心の平穏と幸福感でいっぱいにすることを、
わたしは知っています。



とりとめない記事ですみません…





facebookみてたらこれが出てきました。

今日は、朝日新聞に載せていただいて2年の日のようです。
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この記事のおかげで、たくさんの人に出会えました。

今でも、
この記事のおかげで、たくさんの人がわたしと関わってくれています。

ありがとう。


わたしがこれからもこの仕事を楽しくすることに変わりはありません。

わたしの天職なんです。

だいすきなんです、わたし、この仕事が。

だから、
こんな天職に出会え、母には感謝しかありません。

これからもわたしはわたしの日々を綴るし、
これからも母との関係をわたしの望む幸せな方へ変化させ、
その姿が誰かへの勇気づけになればいいと思うのは変わらない。


明日の東京も予定通りいきますので、みなさまよろしくお願いします^ ^

アイアイ完了チームもある。

みんなに会えるのが、本当に楽しみ(*^^*)






加藤なほ