”毒親” ってdisってたわたしは、わたしをたんまり傷つけてた最低なやつだった。
だいすきな親を悪くしたくない、親のせいにしたくない という、幼心からの、
「わたし(ぼく)が悪いんだ…」
ってことにしておけばいい、愛。
だから、生きづらさは全部、自分への愛なの。
愛
って、時に薄っぺらい言葉で、
でも、
生き物すべてがほしがっている尊いものでもある。
自分への愛のために持った生きづらさ、愛おしくないですか?
わたしは感動して泣けます。
NY行きの飛行機の中での体験から、もうよく泣いてます。
「めちゃくちゃ自分のこと愛してて大事にしてたのに、全然気づいてなくて本当にごめん!」
と、自分を制限してしまう生きづらさ、観念、マイルール、べきを見つけると、自分によく泣いて謝っています。
おとついもそれで泣きました。オエオエした後に。
生きづらさをどうにかしないと!!
と焦っていた日々もあったけれど、
今となっては、それまでして、自分を守るべくして持ったのだと思うと、涙がでる。
自分は、悪だと思ってた思春期。
嫌な奴だと思ってた思春期。
違う。
違った。
しかし、
生きづらさという、これまた自分への愛が、もう一つの愛を出にくくしていたりするだけで、すべて愛なのだ。
そして、親を愛していたいがゆえに、自分が悪いんだっていう自分への罪悪感というものをもちながら親を思いたい愛でもあった。
そのときのことを、こう書いています。
【親に支配されていた人生だったと気づくまで】
幼いころのビデオを見ると、私は歌ったりおどったりするのが大好きな、かなりのお調子者の、若干イタいわがまま娘でした(汗)
しかし、保育園、小学校と、社会へ出てみたら、おとなしく聞き分けのいい「優等生」に変身。
そして、中学では学年トップの成績をとり続け、運動もそこそこ。
そしてそして、周りの期待を裏切ることなく、地域で一番の公立高校に入学。
「これで母親も喜んでくれただろう…」と燃え尽きた私は、恋愛と学祭に突っ走り、勉強がまったくできない子に…
しかし、奇跡的に国立大学の教育学部に現役合格。
母は、「娘は教員になるものだ」と思い込んでいたようです。
そんなわたしの人生は、その後一気に崩れ始めます。
教師にならずに塾講師になるという私を、母は許さず、大学の教授に説得に来てもらったほど…
社会人になって勤めるようになってからは、
人生で初めての挫折というものを味わい、泣きながら仕事に行く日々…
そんな不安定な心の状態の中、勤務時間が15時間を超える日も…
そして、プライベートで経験した恋愛は不・倫、
その後の相手からはDVを受け、レイプまがいなこと、言葉の暴力は日常茶飯事…
「どうして幸せになれないような人とばかり、付き合ってしまうのか…どうせ私は幸せになんて、なれっこないんだ…」
と思いました。
なぜ、DV被害にあったのか、
なぜ男運がないのか、
「もしかしたら、私に原因がある?私がおかしい?」
と、理由が知りたくて、とあるカウンセラー養成スクールに入りました。
そこで出会った、私の心を揺さぶる言葉が私の人生を変え始めることになります。
「自分の人生の地図は、自分で描くもの。誰かのために、描いていませんか?」
…自分の人生を描いたことなんて、一度もなかったことに、気づいてしまいました。
そう、いつもいつも、最後は母の言いなりの人生。
母の言うとおりにしていれば、結局うまくいってきたし、うまくいくものだと思って生きてきた。
自分のこれまでの恋愛に、母との関係が大きく影響していたこともわかりました。
私は、「男がいないと、生きていけなかった」っていうくらいに、恋愛に、男に、依存して生きていました。
母親との関係を見直し、母親が毒親であること、自分は機能不全家庭に育ったアダルトチルドレンを受け容れるまで、かなりの時間がかかりました。
受け容れた後は、母を罵倒する日々が続きました。
当時、親のことを相談しても、
「そんなこといっても、親でしょ?感謝の気持ちはないの?」
「勝手に結婚して、子どもできたらどうするの?里帰りできないよ」
「あなたのお母さんがそんなひどいの?信じられない~」
と友人や恩師から言われ、誰も理解してくれませんでした。
自分がおかしいのか、母親がおかしいのか、何度も何度も悩み、
誰か助けて…という思いで、毒親から逃れ結婚するまで、こちらに相談していました。
≫毒親(実母)が結婚を反対しています(読売新聞「発言小町」)
ここでのやりとりがあったからこそですが、私は母と絶縁し、家を飛び出ました。
▶︎参考記事「はじめまして」 より引用
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母親との関係を見直し、母親が毒親であること、自分は機能不全家庭に育ったアダルトチルドレンを受け容れるまで、かなりの時間がかかりました。
とあるけれど、
わたしたくさんの本を6年前読んだんです。
過去記事にも書いてるけど、
親から愛されてたって思いたかったから。
親がおかしいんじゃないよ
あなたはおかしくないよ
って本を必死で探したの。
でも脳は、
”ワタシオカシイ
ハハニゲンインアリ”
スイッチを心理学スクールでの学びの中で自分で入れちゃってるでしょ。
だから、そんな、わたしが求める、
今のわたしがブログを通して伝えているような、
”毒親育ちこそHAPPYになれる(感じやすい)”
”アダルトチルドレンかどうかなんて、結果、問題じゃない”
的な、幸せへ向けた本には出会えるわけがなく…(フォーカスがマイナスになってるから、おかしくなってるから)
今日このときのわたしのことを、ある尊敬する年下の子に話していたら、
「それって、めちゃくちゃ愛ですよね。
なほさんのお母様への愛を、わたし、めちゃくちゃ感じました。
だってわたし、家族のために、そんなに本読んだりしませんもん」
って言われたの。
「!?!?!?」
って一瞬なった後、
自分から母への愛をものすごく感じました。
わたしは当時、
母に愛されてたって認めたかったし、
わたしの中で、愛されてない母から育てられたわたしは欠陥品だなんてイヤって思ってたからだ
って思ってた、認識してた、今まで。
でも、ちがった。
そっかわたし、
お母さんのことがだいすきだから、
お母さんのことおかしな人って、したくなくて、あの人を守りたくて本読み漁ったのかって、自分の中で認めた。
この、
本読みまくってたという行動
が母への愛だったのかってこと、気づかなかったな~って、じーんとした。
結局のところ、
わたしは母がだいすきで、母の期待に応えたかった。
↓
応えるべく、母がつくりあげたわたしアバターになるべく必死で別物になっちまった。
↓
疲れた。
↓
母が大嫌い!殺しそうになるし、罵倒する。
↓
最後、あれれれれ?大好きじゃん、毒親じゃないじゃん と気づく。
な流れで、結果、
”だいすき”
からの、
”だいきらい”
からの、
”だいすき”
って流れなんだよね。
ってことは、
”母が大嫌い!殺しそうになるし、罵倒する” ってだいきらいなわけで、
「これは批判とか否定とかdisることと似てるな。
てことは、だいすきなのか」
とこーちゃんとやりとりしてて改めて思ったの。
”だいきらい”
はやっぱり
”だいすき”
の裏返し。
”だいきらい”
は、
”だいすき”
からしか生まれない。
無関心
では、だいきらいも否定や批判も生まれないのだ。
つまるところ、
だいきらいや、否定や批判などは、
だいすきを認めてない証拠かも。
自分にウソをついているってことかもね。
だから、苦しいエネルギーになる。
自分に嘘ついてるときは、苦しくなるからね。
どこか、罪悪感見たなものを持ったりね。
だから、
”毒親” ってdisってたわたしは、わたしをたんまり傷つけてた最低なやつだった。