母との関係に悩んでいたとき、名前も写真も公開するのが怖くて、
このブログを地元の同級生や知り合いに知られるのが怖かった。
けれど、
その抵抗もなくなり、とても気楽になり、Facebookに仕事のことを書くようになったら、地元の同級生からセッションの依頼を受けることが増えました。
とってもうれしい(*^^*)
「あれから、こんな人生を送ってきていたんだね。
話してくれて、本当にありがとう」
と嬉しく思います。
ありがとう♡
関係ないですが、ここ最近のわたしのスマホの待ち受けです。
谷間はわたしの永遠の憧れ。
無意識さんのパワーを使うために、スマホの待ち受け、手帳、駆使しています。
NYもこれらの手で引き寄せました。
話は変わりますが、
人は、未知の世界を怖がったりするものです。
”未だ知らない”
そりゃ怖いよね!
でも、ですね、
その、 未知 ってのを知ってみたり体験してみると、
”あれま、なんであんなに怖がってたんでしょ!”
と、ちょっと前の自分を笑えたりします。
この、笑い飛ばす感じ、
”やってみる”
↓
”大丈夫だった!”
の流れが、自分にOKを出すということでもあるのですが、これはわたしの大好きなアレに似ています。
お化け屋敷。
どこかで例えで使われてたような気もするけれど、自分なりに書いてみます。
わたしはお化け屋敷がだいすきなんです。
入る前や、入ってる渦中は怖さ満点。
叫ぶ叫ぶでやかましい。
ジェットコースターも同じで、怖いだろうなぁとか言いながら乗るタイプ。
でも、終わってみたら、
”は~、怖かった~!
あんなに大騒ぎしてアホかいなw”
と思うのですが、それでもなお、夏になるとまた入りたくなるのが、お化け屋敷、
なぜか乗りたくなるジェットコースターな訳で。
そんなにやかましく叫ぶなら、入るのやめろや
と自分でも思うのですが、好きなのですw
人生もこれに似ている気がして、
何かを決意したり、
何か行動を起こす前は、怖かったりするものです。
ぢんさんがバンジージャンプを例えてよくお話されるけれど、飛ぶ直前とか落ちてる時とかがきっと一番怖いんだよね。
でも、
終わってみれば、
”は~…生きてたわ
あはははは!”
ってな感じなのではないでしょうか。
わたし高所恐怖症なので、バンジーは飛んだことがなく、妄想で書いてます↑
わたしはこの感覚を、映画やら世にも奇妙な物語系の番組でも感じるのが好きなのか、
映画の後、映画館から出てきたときのあの安堵感が病みつきなのかよくわかりませんが、
パニック映画やいろんな映画をみてはハラハラし(映画館ではどっぷり映画の世界に入り込めちゃうタイプです)、
終わって出てきたときの、
”は~、生きてたわ、平和だわ、よかった~
映画というアミューズメントをつくってくれたひと、ありがとう~”
と感じるのが好きだったりします。
…こうして書いていると、わたしの人生もそのまんまだな…
と感じてきました。
”何も起こってない”
を体験するために、
”怖い”
をあえて体験する…
そういうことかと、ちょっと恥ずかしくなってきました。
お化け屋敷やジェットコースターをわーきゃー楽しむかのように、
人生で起こる、
”悩みや問題”
と私が感じるものを楽しめればいいのですが、
大きなものだと私が感じるものほど、お化け屋敷やジェットコースターだと思えず、どっぷりつかって振り回される。。。
誰に?
他人
に見せかけて、
自分に振り回される。
一人芝居。
わかっちゃいるけど、しちゃうよね~w
人生からお化け屋敷を排除するのは無理だけど、
お化け屋敷を楽しんだり、お化け屋敷だって気づいて、走って出てくる力があればいいですよね^ ^
2年前までは、
無意識さんのパワーによって、自作自演のお化け屋敷にしょっちゅう入ってる
だなんて、気づかなかったけれども、気づけると、この世の仕組みもわかってきて、生きづらさをどんどん手放す過程をさくさく進むことができます。
気付くのにも、過程がありますよね。
気付く分だけの体験がある。
その体験の積み重ねという過程を通っていく。
そのタイミングは人それぞれ。
体験は、ヒントであり、それに気付くかどうか、それだけなのです。
そのヒントを与えるお仕事なのですが、
わたし自身もたくさん見落としているのでありますw
なほ