<この記事の続き>です。
中学時代、いい成績をとっていた私に対し、
医者になれだの、教師になれだの、いかにも
「あなたの娘は立派ね」
と、世間からうらやましがられそうな職業をやたらと進める母親。
「外科だと手術があるから血を見るし、精神科や眼科がいいんじゃない?
あんたも目悪いし、ちょうどいいじゃん♪」
という母親に、当時洗脳されっぱなしだった私は、
「そっか、精神科は血を見なくていいんだ!」
なんて思っていた。
恥ずかしいです・・・
医学部に入ることは、今では本当に難しいことであり、
医師とは大変な職業なのに・・・
医者になるためにどれほど勉強しないといけないか、
今ではよくわかります。
進学校へ進み、憧れの制服で高校へ通っていた私。
なぜだか、
「あー、もう勉強しなくていいや!
だって、私ががんばらなくても、周りみんな頭イイ子ばっかりだし♪
今までがんばったがんばった!」
と、燃え尽きてしまいました。
高校時代は、勉強はできなくなり、部活は時々行き、
恋愛と学祭だけは燃えまくる女子になっていました。
赤点だけはとらないように、テスト前になると必死で勉強するものの、
授業を聞いていないから、問題も解けず、
毎晩勉強がわからなくて泣きながら提出物をこなしていました。
中学のときは、勉強が好きで、わからないことはあまりなかったけれど、
高校ではわからないことがほとんど・・・
「勉強ができない子の気持ちって、こうなんだ・・・」
と思い知らされました。
勉強ができること、勉強ができないこと。
両方を味わった私は、
その後大学に入ってから始めた塾講師の経験に生かされることになるのですが・・・
高校に入り、燃え尽きた私ですが、
「勉強がんばって有名進学校に入ってあなたを喜ばせた。
もう満足したでしょ?」
という、母への思いが、心のどこかであったから、
もうがんばれなくなってしまったんだと思う。
この高校へ入ることを、母は期待していたってわかっていたから、
この高校へ入ることが、私の最大の目標みたいなものになっていたから。
結局、母親の思うとおりになっていたんでしょうね・・・
それに気づいてなかったから、私はあんなに中学時代に勉強ができたのかもしれない。
人生で一番がんばってたときだったもの。
高校以降、あれほどがんばれたのって、就活くらいしかないもの。
私は自分のためじゃなくて、母親のために、
一生懸命勉強していたんだと思う。
周囲の親からも賞賛をあびれるこの高校に娘が進学し、
母は「さすがなほちゃん。すごいねぇ!」
といわれ、
「そんなことないですよー」
と
笑顔を振りまきながらも、内心、
「私の育てた娘は立派だわ!」
と、思っていたと思う。
その証拠にもなりうることが、このあとあったから…
この続きは《私を使って見返したかった母親》に書きます。