私を使って見返したかった母親 | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」


 

《毒親である母の、”わたしを使った”夢②》に、

母は「私の育てた娘は立派だわ!」

と、思っていたと思われる証拠になることがあった

 

と書きました。



それは、高校に入って初めての学祭で、

母が友達と一般公開にやってきた時のことでした。

 



偶然にも母は、結婚前まで勤務していた会社の同僚と会ったそうです。

 



母はその人のことが嫌いだったようですが、

私と同じ学年の子の母親だったそうで、

「あらぁ、お久しぶり。なんであなたがここにいるの?」

と開口一番、こう言ったそうです。



カチンと来た母は、

「私の娘はこの学校に通ってるんです!」と言ってやったそうです。

 



・・・言ってやった っていう言い方が、母の心理を表していますが、

母は馬鹿にされて腹が立ったんだと思う。



この話を聞いた時、私は高校生だったし、機能不全家庭という言葉すら知らず、

母の思う通りに生きていたので、何も思わなかった。



むしろ、母に共感して、「馬鹿にされてムカつくねー」と言っていました。



でも、社会人になって、スクールで勉強していく中で、

この話をふっと思い出したとき、いろんなことがつながった気がしました。



話が少しそれますが、母の生い立ちを少し書きます。



母は、幼い頃に両親とともに引っ越してきました。



母の父である祖父が、仕事があるからおいでよと知り合いに呼ばれ、

こちらにやってきたそう。



母の両親である祖父母は、遠いところから一文無しに近い状態でこちらに来たため、

当然共働きの毎日。



働き者の祖母は家に帰ってきてからも内職をしていたそうです。

 



両親がせわしなく働き、兄弟もいない母は、さみしい子ども時代を過ごしたと思いますが、

さらにさみしくさせることが一つ。

 



ド田舎だったため、よそ者を毛嫌いする傾向がある地域。

 



友達の親からは、「あの子はよそ者だから、遊んじゃダメ」と言われたそうです。



この話を、母は私が小さいころから何度か話していましたが、

その時の母の様子は、さみしさというよりも、

「一生忘れない。見てろよ」

といったような、復讐心というか、憎しみに満ちていたように見えました。



これまでに書いた母が私を優等生に育て上げたことや、

ここに書いた母の生い立ちを考えた時、いろんなことがリンクしました。

 



きっと、母を仲間外れにした、田舎社会や周囲に対し、

「あの時は仲間外れにしたな。私は立派に娘を優秀な子に育て上げたんだ」

と見返したかったんじゃないのかな。



幼い頃、母に手をかけてくれず、母を褒める暇もなく働いていた祖母に、

なんとか認められたくて、なんとか褒められたくて、

私を立派に育てようとしたんじゃないのかな。



「ほら、私が育てた娘は立派でしょお母さん。ねぇ褒めて」

という心理じゃないのかな。



この2つが私なりの母の分析です。



スクールで勉強したり、いろんな本を読む中で気付きました。



愛情に飢えていることに気付かず、無意識に祖母へ尽くしたり、

無意識に娘を所有物のように扱う母。



可哀そうでもありますが、私の人生をめちゃくちゃにしないでほしかった。



母は今でも実母である祖母にほめられたいという思いがあるように見えます。

 



祖母を旅行に連れて行ったり、ことあるごとにプレゼントを贈ったり、

いろんなことをするのですが、

自己中極まりない祖母は、母を褒めたことは一度もありません。

 



見たことがないです。



でも、母は祖母への尽くしをやめません。

 



何かあれば母に話し、相談するのですが、

真剣に取り合わない祖母にあしらわれています。

 



その繰り返し・・・



母は、祖母が死ぬまで一生、祖母に認められたくていろんなことをはたらきかけるでしょう。



でも、何をしたって、プライドが高く自己中でわが娘を否定ばかりする祖母が、

母のことを認めること、感謝することはないのです。



母は、娘である私をお人形さんのように、偏った愛情をかけて育て上げ、

祖母からの称賛を期待したけれど、いつまでたっても、その思いは満たされることはないのです。



それに、お人形さんだった私は、就職・結婚と、

大事な節目で、母の期待を見事に裏切り、今では絶縁に近い状態。

 

 

▼発言小町

このトピ主はわたしです
「 毒母(実母)が結婚を反対しています 」
 




実母からの愛情をもらう手段でもあった私は、

もう母の言いなりではない。



ますます母の思いは満たされることはないでしょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この記事は

2011年に書いたものですが、

7年後のわたしは、

”教育虐待”

と言う言葉を知ることになります。
 

知っていますか?

”教育” を使った虐待を。

 

▼2018年 中日新聞からの取材

”アキバの傷痕 無差別殺傷から10年

虐待「教育」の呪縛 解けず”

「見えない虐待 "教育虐待"」

 

2022年 年末の加藤なほより