でも後者の記憶は往往にして、まったく唐突に、ほとんど身勝手に、僕の前に姿を現すことになる。 | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?』

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ある小説家は風景には2種類あると言います。

 

ひとつは時系列と整合性の取れたクロノロジカル(年代別)な風景。「あのときあの場所にいて、あんな出来事があって」といったように、過去から順番に出来事を整合的に並べられた風景。

 

もうひとつは不意に唐突に身勝手に思い出される風景。それらは非整合的であり、筋道や一貫性を欠いていて、しかしそこには何かしらミステリアスな要素があります。

 

気功技術の「アジュナの光」を鍛錬していて訪れるようになるのは、後者の風景です。それらはちっとも整合性はありませんが、確かに僕たちを導いてくれます。

 

※アジュナ・チャクラ

 

ではでは、その高名な小説家の文章から引用しましょう。クロノロジカルな風景と対比させられることで、僕たちが求めるべき風景(ビジョン)の正体がつかめるようになってくるでしょう。

 

(引用開始)

僕は今、アメリカの郊外にある静かな大学町でこの原稿を書いている。窓の前には芝生の庭があって、そこにはリスたちがいる。今は秋で、彼らはあちこちと芝生の上を走り回って、夢中になって木の実を集めている。

白と黒の大きな雄猫が、少し離れた木陰に身を伏せて、じっとそのリスたちを狙っている。

猫たちはリスの姿を見ると、何はともあれ攻撃をしかけないではいられないのだ。でもその猫がリスを捕らえる確率はきわめて少ない—というかこれまでのところ僕は攻撃に成功した猫を見たことが一度もない。猫はいささか太りすぎているし、臆病なリスたちは自分が駆け登ることのできる樹木までの距離をいつも目の端っこの方で計算しているのだ。

だから猫はいつものようにその攻撃に失敗することになる。

仕事の手を休めてそのような風景をのんびりと眺めているうちに、自分はおそらくこの風景をいつか、何年か先に、ふと思い出すことになるだろうなと僕は予感する。

そしてその(この)風景を思い出しながら、こう考えるかもしれない。

「ああ、僕はあそこに三年間住んだんだな。あそこにはそのときの僕の生活があり、僕の人生の確実な一部があったんだな」と。

これらの風景のひとつひとつは、この時代にいたかつての僕自身と密接に結びついていることだろう。その場所にはある時代の僕の影が確実に落ちているし、僕の中にはその風景が確実にしみ込んでいるのだ。僕はそういう風景を記憶の引き出しの中にいくつもしまいこんでいる。

僕は必要に応じて、そういう過去の風景をいくつもありありと思い出すことができる。それらの風景は僕の中に、いわばクロノロジカルに収められていると言ってもいい。

僕は僕という人間が移動してきた軌跡の一部として、それらの風景を捉える。

 

(中略)

 

でもクロノロジカルな風景を収めたそういう引き出しとはべつに、僕のなかには旅行の過程で目にした「束の間」の通り過ぎていく風景を収めた引き出しもある。

そしてその二種類の風景のあいだには、かなり大きな質的な差がある。

おおまかに言えば、僕は必要に応じて意識的に前者の記憶を引き出すことができる。でも後者の記憶は往往にして、まったく唐突に、ほとんど身勝手に、僕の前に姿を現すことになる。

それらの記憶は多くの場合、非整合的であり、筋道や一貫性を欠いている。そしてそこには何かしらミステリアスな要素がある。

そういう記憶が頭の中にふとよみがえるたびに、僕はこう思う。

「やれやれ、なんでこんな風景をいつまでも覚えているんだろう。どうしてよりによって今、こんな風景を思い出さなくてはならないんだろう」と。

それはリアルな夢に似ていると言ってもいいかもしれない。風景の細部はとても鮮明で現実的なのだけれど、そこでは前後の順番や、相対的な位置の認識が失われている。僕は断片の再現の中にいて、その断片はどこにも連結していないように感じられる。

(引用終了)(「使いみちのない風景」p.p.42-60)

 

 

クロノロジカルな風景は、時間が過去から流れています。なので整合的にストーリーが組み立てられるのでいつでも思い出せることができます。

 

ちなみに記憶術のテクニックの一つにストーリーを使う方法がありますが、無理矢理でもある程度整合的なストーリーを作り上げることで、覚えたいものを記憶に定着させやすくなります。

 

ま、それはいいとして、クロノロジカルではない唐突に身勝手に訪れる風景の記憶は、それらと比べてまったく整合性がありません。少なくとも時系列では語られないものです。

 

それらの記憶は多くの場合、非整合的であり、筋道や一貫性を欠いている。そしてそこには何かしらミステリアスな要素がある。

 

それはなぜか?

 

ご承知の通り、それは未来からやってきたものだからです。なので現状から見てしまうと、整合性が取れません。しかし後になってそのとき見た未来の風景が現状になったとき、「これのことだったのか」と後になって整合性が取れるようになります。

 

そんな経験がある方も多いのではないでしょうか?

 

そのとき僕たちは時間が未来から流れることを腹落ちするのかもしれません。

c.f.未来から過去へと時間が流れるとどうしても思えない君へ 2017年07月27日

 

そしてできればクロノロジカルな風景の記憶は積極的に忘れていって、自分の頭の中を全部未来からのビジョンで埋め尽くしたいものです。クロノロジカルな風景の記憶は、ノスタルジーや懐古モードを生成するので、避けて行きたいのです。

 

個人的に悪い意味でヤバいと思うのは、そのようなノスタルジーや懐古モードに浸ることです。なぜならもうそこに未来はないからです。

 

「俺たちあのときすごかった」とか、「今はもうできないよねw」とか、「昔と比べて今は客のレベルが落ちた」とか、そういう言葉が出てくるようになったら、そういう人やコンテンツからは離れるようにしています。もちろん自分がそうならないように日々鍛錬します。

 

 

過去には中毒性がある(レミニセンス)

c.f.【募集開始】「過去には中毒性がある」(『レミニセンス』)〜情報と物理のはざま、リアルと夢の懸け橋 2021年09月22日

 

僕たちが用があるのは、あくまでも未来からのビジョン(風景)です。それは毎度ながらこのような感慨を僕たちにもたらすでしょう。

 

「やれやれ、なんでこんな風景をいつまでも覚えているんだろう。どうしてよりによって今、こんな風景を思い出さなくてはならないんだろう」

 

そのような感慨をもたらすビジョンこそ、未来からのメッセージです。それが送られてきたらきっちり捕まえて、言語化して自分のものにしましょう!!

 

でも後者の記憶は往往にして、まったく唐突に、ほとんど身勝手に、僕の前に姿を現すことになる。

 

唐突で身勝手に訪れる風景・ビジョンをきっちり捕まえましょう!!

 

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