昨日はチュータリング講座「三島由紀夫と唯識」であり、三島由紀夫没後50年の記念すべき日でした!三島由紀夫の遺したテキストを読むとともに、彼の死の意味とその臨場感をシェアできたように思います。
彼の芸術家として華々しく自決した人生と、僕たちが取り組むwant toやゴール設定をして生きる人生をあえて重ね合わせることで、自分は何のために生きるのかを問い直すことができます。「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。」と絶叫して三島は腹を切りましたが、これは僕たち自身にも問いかけ常に響かせるべき言葉です。
*セミナーで紹介したのはこちらの動画。北野武が三島由紀夫の自決と民衆(大衆)のリアクションについて語っています。
端的に言えば、何のために自分は生きているのかよくよく考えることです。それが自分のwant toやGoalsを見つけ出す起点となります。
人生には基本的に意味はありませんが、それでも僕たちは人生を意味付けることができます。それがwant toやゴールを設定することだと思います。
取り組んでいる中で「これさえあれば別に他はいらない」と思えるような強烈なwant toやGoalを見つけることができれば、自分の人生を自分で意味付けることができます。単に生き永らえるよりも大事なものにコミットすることができれば、僕たちは生まれてたことの意味を手にすることができるように思います。
三島由紀夫は美にコミットしその象徴・トリガーとして天皇や日本国に殉じて死にました。肉体は朽ち果てましたが、その代わり僕たちの情報空間の中で強烈な存在感を放っています。すなわちそれは情報空間で永遠に生きるということです。
正直僕は三島の国家観にも天皇観にも今は同意できないのですが(学生の頃はどハマりしましたが)、彼の鋭利な思考は驚嘆すべきものがあるように思います。特に戦後日本に対する分析は、日本のみならず世界全体を覆う先行きの見えなさを書き表したもののように思います。
二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。— 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」
無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう
という一節は広く知られていると思いますが、これは現代日本のみならず世界全体をも指摘しているように僕は思います。日本国家のみならず世界全体を覆う不機嫌の正体を表しています。
もしかして僕たちがwant toやゴールが見つけづらいのは、すでに三島由紀夫が指摘するように世界が終わり未来がなくなってしまったからかもしれません。その代わり資本主義だけが残りじわじわと世界全体を覆います。
資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい。──マーク・フィッシャー
希望が生み出せるだけの未来やゴールがなくなったのかもしれません。世界は豊かになり、乳幼児死亡率は下がり、寿命は延び、死が身近でなくなりました。それはまさしく「希望」が生み出したゴールが達成されたということです。
しかしゴールが達成されたのならゴールを更新しなければなりません。それを怠ってしまうと、文字通り世界を終わってしまいます。いや、もう世界は終わったように個人的には思います。
太陽はなぜ今も輝きつづけるのか
鳥たちはなぜ唄いつづけるのか
彼らは知らないのだろうか
世界がもう終わってしまったことを
❝THE END OF THE WORLD❞
*エピグラフより引用。
だけどまだ可能性はあります。それもまた三島由紀夫が先に引用した文章で予見しています。
二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。
僕たちには希望はなくなりましたが、その代わり絶望が残っています。それを使ってwant toやゴールを設定しに行きましょう。
これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。
僕たちには希望は残っていませんし、世界は終わってしまいましたが、絶望はまだ残っています。その絶望から始めていきましょう。多分、僕たちに残っているのは絶望だけです。だから絶望を遠ざけず、自分の味方にしましょう。
絶望しつつも、それでも求めてしまうものがきっと誰もがあるはずです。それをともに探しにいきましょう。絶望に駆り立てられる人だけが、want toを見つけ、ゴールを設定することができるのだと、個人的には思います。
「限りある命ならば永遠に生きたい. 三島由紀夫」