愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている(シェイクスピア) | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?〜パクリ気功団の挑戦』

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もしかしたら僕たちはエフィカシーが低いのではなく高すぎるのかもしれません。そしてそれが僕たちを現状に縛り付けているのではないかというのが僕の最近の仮説です。

 

 

あ、エフィカシーというのは自分の能力に対する自己評価のことで、自己効力感とも訳されます。コーチングのみならず元々は心理学の用語でもあります。

 

「自分は何らしかのプロになれる」とか、「自分には価値がある」というような気持ちのことを、エフィカシーが高いと言っていいでしょう。

 

もちろんゴールに対するエフィカシーは上げていったほうがいいです。なぜなら普通は現状の外のゴールを見たときに、僕たちのエフィカシーは下がるからです。

 

うまく現状の外のゴールを一瞬でも見えるようになると、大概は次のようなセルフトークが心を支配します。すなわち「そんなのできるわけない」「まさかそんなのがゴールのはずがない」「もっと無難なものの方がいい」などなど。

 

 

現状の外のゴールを見てエフィカシーが下がると、そのようなCreative Avoidance(創造的回避)が心を支配し、僕たちを現状に縛り付けます。そのような創造的回避に反論し、ゴールへの臨場感を強めてホメオスタシスにそちらの世界こそが真だと勘違いさせるために、僕たちはエフィカシーを上げます。エフィカシーを上げる技は大周天など、色々あります。

 

「そんなのできるわけない」←「まだやってもないのに判断できない」

 

「まさかそんなのがゴールのはずがない」←「ゴールは現状の外にあるものだからまさかと思うのが普通だ」

 

「もっと無難なものの方がいい」←「それはただの現状維持だ」

 

そのようにエフィカシーを上げてひとつひとつ反論して、ゴールの世界に対する臨場感を高めていきましょう。そうすることで現状の外のゴールに行きたい、行くことこそ正しいと思えるようになります。

 

 

しかしこれはあくまでも「ゴールの世界に対する」エフィカシーです。これが間違って現状に対して高いエフィカシーを持ってしまうと、何もしなくなります。

 

ゴール設定、気功、瞑想、トレーニングなどなど、様々なやるといい、やると自分の心身を書き換えるワークや技術がありますが、それを現状の自分に対するエフィカシーが高すぎると取り組まなくなります。なぜなら現状の自分の能力に対して満足しているのなら、わざわざ自分を変える必要性は生じないからです。

 

それを日本語で傲慢、ギリシャ語ではヒュブリス(hybris)、英語ではプライド(pride)といいます。端的に言えば僕たちは謙虚に行きているフリしてその実傲慢になっているのです。

 

 

そして現代は僕たちの現状に対するエフィカシーが上がるようにできています。すなわち能力以上のものや快楽を安価やフリーで手に入れることができるのです。

 

映画、漫画、絵画、音楽、ドラマ、小説、ポルノといったコンテンツや、自分で作ると手間がかかる料理も、お金を払えば、あるいは無償で簡単に手に入れることができます。そしてその全てに共通するのが、テクノロジーの存在です。

 

テクノロジーと資本主義が組み合わさることで、僕たちは努力なしにコンテンツを得て満足することができるし、美味しい料理に舌鼓を打つことができます。要するに人類史上最上級に豊かな時代を生きているのです。そしておそらくそれは今後も続くでしょう。

 

ペイパル・マフィアの首領であるピーター・ティールはテクノロジーは我々の能力を押し上げると言いますが、もしかしたらそのテクノロジーが我々の現状に対するエフィカシーをも押し上げて僕たちを傲慢にしているのかもしれません。

 

 

テクノロジーは奇跡を生む。それは人間の根源的な能力を押し上げ、より少ない資源でより多くの成果を可能にしてくれる。(ZERO to ONE)

 

テクノロジーができることと、僕たちができることを分けて考えるべきかもしれません。そうしないと僕たちはいとも簡単に現状に対してエフィカシーを上げ満足し、現状の外を見出さないヒュブリスの罠に陥ります。

 

大衆社会論の嚆矢であるオルテガ・イ・ガセットはその代表作「大衆の反逆」でこう言います。

 

普通人は、技術的・社会的にかくも完全な世界をまのあたりにした時、それは自然が生み出したものであると考え、それらを創造した優れた人々の天才的な努力にはけっして思いいたらないのが事実だからである。いわんや彼らが、こうしたいっさいの便宜が、今日でも人間のきわめて稀有な能力に支えられているものであり、その能力が少しでも欠如すれば、この壮麗な構築物もたちまちのうちに瓦解してしまうであろうという考え方を認めるのはなおさら不可能である。

 

20世紀初頭の時点で既に普通人、大衆(=我々)は創造した優れた人々の天才的な努力にはけっして思いいたらない存在であるとみなされ、その考え方は認めるのはなおさら不可能であるとオルテガにぶった斬られていますwwましてやその100年後のさらに豊かな時代に生きている僕たちなんかは、ますます傲慢になっているでしょう。

 

すなわち、僕たちは知らず知らずのうちに傲慢に成り下がり、自分のことを優れている、頭がいい賢者と思い込んでいるのです。これが現代社会における呪いのようなものです。ましてやそんな時代に少し成功してチヤホヤされると、ますます傲慢へと至るでしょう。

 

最近の傲慢の象徴でいえば、テレビ局が挙げられます。以前から僕が好きでtwitterをフォローしているサブカル系のライターの方々が声をあげていますが、テレビ制作者はどこか研究者や専門家がテレビ番組の制作に無償で協力するのは当然だと思っていて、さらに酷いことに平気で資料を返さなかったり、資料を壊したりして迷惑をかけています。これぞ傲慢でしょう。

 

 

 

 

*テレビ局、芸能界の不合理なシステムや傲慢さがよくわかるトーク番組でした!

 

逆張りではないですが、自分の本来の能力とテクノロジーが底上げしてくれる能力を分別して、大概は無能である自分の能力を見つめることができれば、僕たちは傲慢の呪いから脱して、真摯に現状の外のゴールを求めて生きていけることができるはずです。

 

まずはゴール設定の前に僕たちは与えてもらって当然という態度を深く反省し、自然と傲慢になってしまう現代社会の構造を見つめ、傲慢にならないために自分本来の能力を見極め、現状に対するエフィカシーをいい意味で下げることから始めるべきです。その上でゴール設定のワークで試行錯誤し、頑張って現状の外にゴールを見つけうまく設定していきましょう。

 

そのときになってはじめてゴールに対するエフィカシーをあげることの必要性が真に迫ってくるはずです。もちろん既に現状の自分に対するエフィカシーが低い人(そういう人は大概社会的に成功していますが)が、まず最初にエフィカシー上げることは有効です。そうすることでも現状の外が見えてくるからです。でも大抵の人が現状に対するエフィカシーが高すぎるので、まずはそれを下げた方が現状の外が見えやすくなります。

 

最初はシェイクスピアのこんな言葉を唱えてみることから始めてみるといいかもしれません。唱えるだけでも臨場感空間が変わりいい意味で現状に対するエフィカシーが下がります。

 

愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている

(シェイクスピア/お気に召すまま)

 

A fool thinks himself to be wise, but a wise man knows himself to be a fool.

 

*近代英語を作ったと言っても過言ではないシェイクスピア

 

まだまだ「現状に対するエフィカシーが高いから現状の外にゴール設定できない説」(長いw)を支える学説や知見は紹介したいのですが、少し長くなってしまったので、また改めて紹介します!

 

お楽しみに!!(?w)

 

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