どぅばの倉庫 -9ページ目

どぅばの倉庫

煩悩廃棄物倉庫

 アイスクリーム屋さんの青い目が、まるで湖の水面のように波だったかと思うと涙があふれた。

「君は、心のどこかで、あの日のことを後悔しているね。
 サーヤが死んでしまったのは、
 外へ連れ出した自分のせいじゃないかって」

 その時、あのオルゴールの調べがひときわ高く響いて、ぼくはハッとした。

「思い出したかい?…そう、サーヤがつくった曲、
 いつも口ずさんでいたメロディーさ」

 アイスクリーム屋さんはしずかに言った。

「サーヤが死んでしまったのは、君のせいなんかじゃない。
 この音楽は、サーヤから君への贈り物なんだよ。
 一生で、いちばん楽しい日をくれた
 君への”ありがとう”なんだ」

 バサバサバサッ…その時、大きな鳥が空にはばたくような音がした。
 瞬間、目をあけていられないほどまぶしい光が、あたり一面に満ちあふれた。

 やっと目をあけた時には、アイスクリーム屋さんも馬車も、すっかり消えてしまっていた。

 けやきの葉が、さやさやと風になっているだけ・・。

 ぼくの手には、ひとつのアイスクリームが残されていた。“WING”に描き入れた模様と同じ、二枚のつばさのかたちをしたアイスクリーム…それは、まるで天使の羽のようだった。







 あれから、いくつ夏を数えただろう。
 ぼくたちも大人になった。

 トムは、人をびっくりさせるような絵をいまも描いている。ただし、家の壁にではなく、白いキャンバスの上にね。

 恥ずかしがりやのソフィーは女優になった。われるような拍手に包まれて、彼女は今日も舞台に立っている。

 ぼくは設計技師になった。毎日、大きな机に向かって、座り心地のいい椅子や、いろんな乗り物のデザインを考えている。ぼくの夢は、からだを自由に動かせない人たちでも、こわがらずに一人で出かけられるような、そんな乗り物をつくることなんだ。そう、自由にはばたく『つばさ』のような乗り物をね。

 完成したら、きっとあの模様を描くだろう…エンジェルの羽のような二枚のつばさを。

 ぼくは信じてる。


 いつか晴れた夏の日に、あのアイスクリーム屋さんの馬車がまたやってくることを。

 だからその日のために、とっておきの楽しい日をつくって、待つとしよう…。

 太陽がすこしかたむいて、けやきのすきまから、チラチラとこもれびがゆれていた。

 いつのまにか、馬車の前には、もうぼくしか残っていなかった。

 ぼくは、どうしてもアイスクリーム屋さんの前に立てずにいたんだ。
なぜって?それは…いちばん楽しかった日のことを思い出すのが、とてもこわかったから。

 ぼくが、馬車の前を立ち去ろうとしたその時、それまでかすかに聞こえていたオルゴールの音色が、馬車の中から、ひときわ高く響き始めた。

『ああ、なんてなつかしい音楽だろう…』

 ふと気がつくと、アイスクリーム屋さんの目の前に、ぼくは立っていた。

 アイスクリーム屋さんの”瞳”は、彼のうしろに広がる夏の青空とおなじ…どこまでも澄んだブルーだった。どうしたんだろう…その目を見つめていると、さっきまでの不安などすっかり消えて、とても素直な気持ちになれる。

 まるで夢見るように、ぼくはただ、あの『いちばん楽しかった日』のことを思い出していた。

その日、ぼくはサーヤと一緒だった。

サーヤはぼくの妹…生まれたときから体が弱くて、ずっと病院のベッドの上で育った。だから、水しぶきをあげて泳いだことも、思いきり走って草むらにねそべったこともない。サーヤのただ一つの楽しみは、毎日、ぼくから外の世界の話しを聞くことだった。ラテン語のヒルダ先生のポケットに、トムが今日カエルを入れたとか、食いしんぼうのビルが、古いドーナツを10個も食べておなかいたになった…なんて、どうでもいいような話だったけれど、サーヤは、ほんとうに楽しそうに聞いていた。

「たった1度でいい、
 自分の目で外の世界が見られたら
 楽しいだろうな…」

 ある日、サーヤがつぶやいた。

 まるでひとりごとのような、小さなつぶやきだったけれど、ぼくはその時、こころに決めたんだ。

『サーヤに外の世界を見せてやろう』

 ぼくが最初にしたことは、サーヤを連れ出すための『手押し車』をつくることだった。手押し車は、家の地下室で、ひそかに何日もかけてつくった。設計図を書き、木を切って、やすりをかけ、くぎを打ち…仕上げにはうすいブルーのペンキを何度もぬった。
 こうして、手押し車はとうとう完成した。なかなかの出来だったと思う…でも、何かが足りない気がして、ぼくはしみじみ、手押し車を見つめていた。

『そうだ、車に名前をつけよう!』

 ぼくは手押し車に“WING”という名をつけた。生まれてから、ベッドの中だけで暮らしてきたサーヤに、自由にはばたく『つばさ』をプレゼントしたかったんだ。そして、絵も描いたよ。エンジェルの羽のような2枚のつばさが、今にも空にはばたこうとしている。ぼくは、そのつばさのマークを手押し車の両脇に白いペンキで描き込んだ。

 そして、ついにその日がやって来たんだ。

 朝の食事が終わったところで、ぼくはサーヤを背中におぶって、こっそり病院を抜け出した。そして、あらかじめかくしておいた“WING”にサーヤをのせた。“WING”をはじめて見た時、サーヤがどんなによろこんだかわかるかい?ぼくは、それだけでも、手押し車をつくってほんとうに良かったって思ったよ。

 ガタガタ道や坂道を、しずかに行くのはむつかしかったけれど、人に見つからないよう気をつけて、病院のうらから森につづく小道を行くことにした。

 その日はとてもよいお天気でね…長い冬のあとにやって来た春が、森のいたるところで楽しい歌を口ずさんでいたよ。

 生まれたばかりの緑の葉っぱが、風にゆれて、光りながらサヤサヤとなるのを聞いて


「サーヤ、サーヤってみんながよんでる!」

 小さな妹は声をたてて笑った。
 アリがいそがしげに動くすがたに歓声をあげ、レース編みのようなクモの巣が、太陽の光りにキラキラ輝くのをキレイと言った。草、土、花のつぼみ…ひとつひとつ自分のゆびでたしかめながらサーヤは、ほおずりをした。

 お昼は、きれいな水が流れる小川のほとりでピクニック。病院ではいつも少ししか食べないサーヤが、ぼくのつくった、ぶかっこうなサンドイッチを、おいしい、おいしい…と全部たいらげたのにはおどろいたよ。

 町の子どもたちが遊んでいる広場のはずれに“WING”を止めたころには、空はもう、夕焼けで赤く染まりはじめていた。

「あっ、きっとあれがトムね…それからあの太ってる子がビル」

 ぼくの話しによく登場する子の名前を、ピタリと当てながら、サーヤは、みんなが駆け回る様子をとても楽しそうに眺めていた。

 夕焼け空が、サーヤの頬をバラ色に染めていた…。

 そのアイスクリーム屋さんの馬車が、ぼくたちの町にやってきたのは、とてもよく晴れた夏の昼下がりだった。馬車は、町でいちばん大きな、けやきのこかげに止まっていた。中からかすかに聞こえてくるオルゴールのしらべ…なんて、こころにしみるメロディーだろう。

「夢のように甘くておいしいアイスクリームはいかが?
ひんやりひろがる幸せの味…
世界でいちばんおいしいアイスクリームだよ」

 ひょろりと背が高いアイスクリーム屋さんの売り声は、まるで歌のように心地よかった。とろけるように甘いバニラの香り…いつのまにか、馬車のまわりには、町中の子どもたちがならんでいた。みんな、ポケットにお金をにぎりしめて。ところが、アイスクリーム屋さんは、お金を受け取らずにこう言ったんだ。

「このアイスクリームはお金では買えないんだよ。
でも、だいじょうぶ。手に入れるのはとっても簡単!
ぼくの目を見て、
いちばん楽しかった日のことを思い出すだけさ」

「ただ思い出すだけ?」

 すっとんきょうな声をあげたのは、町でいちばんのいたずらっ子、
トムだった。

「そうだよトム、口に出して話してくれなくてもいいんだ。
 ただ、その日のことを思い出してくれさえすれば…
 それが、このアイスクリームの代金なんだから」

 はじめて会ったはずのアイスクリーム屋さんが、どうしてトムの名前を知っているんだろう…それに、『いちばん楽しかった日の思い出』が、アイスクリームの代金だなんて聞いたことがない。ぼくたちは、おもわず顔を見合わせて、首をかしげた。

 その時、おずおずと、一人の女の子がアイスクリーム屋さんの前に立った。おどろいたことに、それは、町でいちばん”恥ずかしがり屋”のソフィーだった。いったい、ソフィーがどんなことを思い出しているのか、ぼくたちにはわからなかった。でも、ソフィーの目をじっと見つめていたアイスクリーム屋さんは、しばらくすると満足そうにうなずいて、こう言ったんだ。

「ああ、なんて楽しい思い出だろう…
 はじめて海を見たとき、裸足で砂浜をかけたとき、
 君はほんとうにうれしくてドキドキしていたんだね。
 波の音も、光る水しぶきも、どんなにステキに思えたことか…」

 アイスクリーム屋さんはそう言うと、どこからともなく、パッと大きなアイスクリームを取り出してソフィーにわたした。あんなきれいなアイスクリームを見たのは、はじめてさ!コバルトの海の色をしていて、白い波のもようがついているんだから…。

「ソフィー、君は今日までずっと、
 そのことを誰かに伝えたかったんだね。
 これからは、ステキだと感じたことは、みんなに伝えてごらん。
 きっと、聞いた人も幸せになれる…このぼくのようにね」

 ソフィーの目は、おどろいたようにパチクリしたあと、キラキラ輝きはじめた。あんなうれしそうなソフィーを見たのは、ぼくたちもはじめてだった。

 トムのときは、彼の目を見つめながら、アイスクリーム屋さんは、笑いをこらえるのに、たいへんそうだった。

「お父さんが、やっと白くぬりかえた家の壁いっぱいに、
 口から火をふく怪獣の絵を描いたとはね。
 しかも、高いはしごによじのぼって…
 もし、落っこちたら大変だったよ」

 トムは、叱られた子犬のようにうつむいた。すると、アイスクリーム屋さんはトムの顔をのぞき込んで、ウインクしながらこう言ったんだ。

「でも、あの怪獣は、サイコーにイカしてた!」

 トムがもらったアイスクリームが、どんなだったかわかる?そう、トムが描いた怪獣そのまんまさ。まるでいまにも動き出しそうだったよ!

 子どもたちは、つぎつぎにアイスクリーム屋さんの前に立って『いちばん楽しかった日』のことを思い出した。それから一人ずつ、ちがうアイスクリームをもらって帰っていった。だって一人ずつ、ちがう『いちばん楽しい日』をもっていたからね。