前回、「緊急・拡散希望」という文字をタイトルに入れたのですが、今までそんなかたちで情報を発信することはなかったんじゃないかと思います。 どちらかといえば、ぼくはあまり人に注目をされたくない性格なのです。 ただ、やはり今は、非常に重要な時期なので、「これを伝えないと大変なことになってしまう」という強い危機意識があって、あえてそういうタイトルにしました。
ただ、その強い危機意識が湧いたのは、ぼく自身の置かれている環境の影響も大きいです。 どういうことがというと、ぼくの身近に、その危険な新型コロナワクチンを打とうとしている人がいて、なんとかして止めてもらいたかったからです。 もちろん、その”身近の人”以外のできるだけ多くの人に新型コロナワクチンを打たないでもらいたいのは本当です。 もし、ぼくの周りがワクチンを打たない人ばかりであれば、こうしてワクチンの危険性をブログで訴えたりすることはしてなかったかもしれません。 「だれか自分よりも発信能力の高い人がやってくれてるから、自分はいいや」、と。
先述のワクチンを打つつもりでいる”身近な人”は、ぼくが何度もワクチンの危険性を示唆したにもかかわらず、結局19日に病院に予約を入れようと電話をかけました。 受付開始直後の午前9時ごろには繋がらず、一時間後にまたかけたときは 「6月以降にまたおかけ下さい」と言われたようです。 よくは分からないけど、どうやら接種の体制が整っていなかったのではないか推測しました。
今のところ、少し猶予ができたわけですが、まだ気持ちが休まる感じではありません。 まぁ、こうなっては祈るしかないのかもしれませんね。 連日 テレビで、「感染者数が過去最多を記録」などと報道されて、新型コロナに感染する恐怖を煽られまくっていたら、そして、ワクチンの有効性なるものを聞かされていたら、情報に対しての自己検閲能力が低い者は、「打ちたい」となってしまうだろう。
( 余談でいえば、「東大に入りたい」とか「甲子園に行きたい」とかも、だいたいは環境による洗脳でしょうね。『 ♬ ノウズイはものを思うに、ものを思うにはあらず、ものを思うは、ものを思うはむしろこの街 ♫』 筋肉少女帯の楽曲「サンフランシスコ」の歌詞より )
ワクチンを接種したがる高齢者がたくさんいるみたいだけど、言葉を選ばずにいってしまえば、その人たちは情報弱者なんだろう。 人体実験をしてほしいと言っているようなものなんだけど、誇張でもひねくれた見方でもなくて。 mRNAワクチンに対しての懐疑的・否定的な観点が欠落しているんだよね。
科学の発展で社会が豊かになったという経緯はあるわけだけど、それに関連して公害問題等が発生したこともまた事実だろう。 有名なところでいえば、農薬として幅広く使用されたDDTなどは、世に出回った頃は、画期的な発明だったわけだ。ところがその後、有害性が判明して禁止されてりしている。
参考 ⇓ 農薬工業会さんのHP
■ DDTの功罪とその歴史 (より一部を抜粋)
DDTは、戦後、農薬としても稲の大害虫であったニカメイチュウや果樹・野菜の害虫の防除に広く使用されてきましたが、DDTの分解物(DDE、DDA)が、環境中で非常に分解されにくく、また食物連鎖を通じて生物濃縮されることがわかりました。そのため、わが国では、1968年(昭和43年)に農薬(製造販売)会社が自主的に生産を中止し、1971年(昭和46年)には販売が禁止されました。 世界的にも、環境への懸念から先進国を中心に、2000年までには、40カ国以上でDDTの使用が禁止・制限されています。
そして最近、国の賠償責任を最高裁が認めた、石綿(アスベスト)訴訟問題の石綿も、初めは優れた素材として重宝されていたはずである。
参考⇓ 下はWikipedeliaの「石綿」より(概要)
石綿の繊維1本は直径0.02-0.35 μm(髪の毛の5000分の1)程度である。耐久性、耐熱性、耐薬品性、電気絶縁性などの特性に非常に優れ、安価であるため、「奇跡の鉱物」として重宝され、建築材料、電気製品、自動車、家庭用品等、様々な用途に広く使用されてきた。しかし、空中に飛散した石綿繊維を長期間大量に吸入すると肺癌や中皮腫の誘因となることが指摘されるようになり「静かな時限爆弾」と呼ばれるようになった。以降、代替品としてグラスウール(ファイバーグラス)やセラミックファイバーが用いられる傾向にある。
これらDDTやアスベストも初めのうちは、有用なものとして、広く使われてきたのだが、のちにデメリットがそれを上回るものとして、使用を禁止されたわけです。
ここで、今回のmRNAワクチンについて話は戻りますが、新型コロナウィルス対策として、世界的な規模で、今までのワクチンとは全く別く異なる原理で作用するワクチン(※)を、人の体に打ち込むことのリスクは、とんでもなく大きいということは確かだろう。
( ※ そもそもワクチンではなく、”遺伝子治療薬”と呼ぶべきものであるという声もある)
他国の事情は知らないが、わが日本では政治家やマスコミが「新型コロナ対策の切り札」とか「対策の決め手」として、新型コロナワクチンの名前を出している。 もしも、その新型の未知のワクチンに根本的な欠陥がのちに発覚した場合、いったいどうなってしまうのか?
国家運営におけるリスクマネジメント(というマクロな観点)から見れば、大半の国民に未知のワクチンを打たせることのリスクと、自然にできる集団免疫および治療薬(アビガンやイベルメクチンなど)で対処した場合のリスクは、どちらが高いのかということを考慮しないといけないだろう。
もしも未知のワクチンが、「効力が無い」だけならまだしも、有害だった場合のリスクを考えると、確実に一人一人の体内に薬液を注入させるワクチン接種の方が、ごく一部の人間が重症化もしくは死亡する新型コロナウィルスそのものよりもはるかに危険だろう。ぼくはそう判断する。
ワクチンを接種しなければ人口の約1パーセント程度のダメージですんだものが、国民の大半を対象にした大規模接種では 数十パーセントの人口が、自立的に生きることもままならなくなる可能性だって十分想定できる。 そんな壮大な賭けをしてしまっているのかもしれないということ。
( その意味では、ファイザー社と契約を結んだ世界各国の首脳はどうかしていると思う。 日本と同様の
”製薬会社が損害賠償請求を免れる”という無茶苦茶な契約をしていたのであれば。 ほぼ全国民を対象としたワクチン接種計画というのは、理解しがたい。なにせ、未知のワクチンで 今まで何の実績もないのだから。 こういうのは、学問で云えば、社会科学で扱う問題なのだろうか。詳しくないのでよく分からないですが)
それがぼくのただの勘繰りにすぎないのならそれにこしたことはないんだけど・・・。 だけれど今、主要メディア以外では、製薬会社に都合のよくないワクチンに関する知られざる情報が、じわじわと広がってきているんだな。 SNSを通じてすでに知っている人もけっこういるだろう。 ”ワクチンの接種済みの人が未接種の人の健康を害している”という話。 まだ不確かな所があるし、話が長くなるので、ここでは割愛しますけど。
ハイ、そろそろ終わります。
結果的に、あまりフランクに述べることができませんでした。( ^ ^ ;)
いろいろ調べながら、記事をつくってしまいました。次回は、なぜフランクになれないのかの考察を含めて、フランクに述べたいと思ってます。 (ですます調が、すでにフランクじゃないんだけど。)
なかなかキツイ状況が続きますね。
とりあえず、大手メディアが垂れ流す、とにかくワクチン接種にもっていこうとする、邪悪な波動にたとえ微力であっても対抗していこうと思う。 自分一人が頑張っても仕方ないとか、もっと発信力が高い人がいるからその人たちに任せるとか、そういう軟弱な姿勢ではいけない。
何人も人間が、ワクチン接種に疑念を抱いていることを表明すれば、話に耳を傾けてくれる人も増え、ワクチンをうたずに救われる人もでてくるだろう。 "同じことを10人から言われて、そこで気がつく人"がいたとしたら、その10人のうちの一人になれれば幸いというものだ。
文章表現がくどくてすいません。
読んでいただいて、ありがとうございました。