誰のために「コンプライアンス」はあるのか? | minolog

minolog

「生き方支援Company」
株式会社パセリホールディングス
代表取締役

▼株式会社パセリホールディングス
https://hd-paseli.co.jp/

▼「学びで自分を磨く」BrushUP学び
https://www.brush-up.jp/

▽過去ブログ
https://paseli.typepad.jp/minolog/

「企業コンプライアンスとは、企業や組織のおける法令遵守を意味する、また法令のみならず社会規範やルールを守ることも含まれる。」

 

 

昨今、コンプライアンスに関連する事件を様々な場面で耳にする。

 

 

大手広告代理店、大手教育関連、大手自動車メーカーなどなど。

 

 

内部告発の場合もあればSNSで拡散されたケースもあり、話題は尽きない。

 

 

”コンプライアンス”一体何時頃からこんなに騒がれるようになったのだろうか?

 

 

少なくても我々が社会人になった1988年ごろにはそんな言葉はなかった。

 

 

当時も企業の問題行動については摘発されることはあったが、社内のルールや働き方にはそこまでうるさくなかった。

 

 

会社内ではタバコの煙がモクモク、上長の叱責はきつい!、残業は夜中まで(24時間働いてた?)

 

 

今では問題になるような行動は普通に社内で起きていた。

 

 

あんな事を今やったら完全にコンプラ違反!(不適切にも程がある!)

 

 

この30年で企業の行動規範に関するルールは大きく変わったわけだ。

 

 

調べてみると、どうやらリーマンショック前後(2008年前後)からこのワードは表舞台にじわじわ登場してきたよう。

 

 

確かにその頃から企業の法令遵守や社会的ルールについて大きくニュースになっている気がする。

 

 

最近では違反企業は社会的な信頼度を下げることになり、上場企業では株価に直接影響を与える恐ろしいものになっている。

 

 

働く人たちもコンプラ意識が高まっており「〇〇ハラスメント」が社内で言われるようになった。

 

 

今や上司が部下を育成するにも言葉遣いに気をつけなければいけない時代だ。

 

 

経営者にとってはやりにくい時代になったと言えるだろう。

 

 

が、しかし。

 

 

そもそもコンプライアンスを厳格化することのメリットってなんなんだろう?

 

 

働く人のため?社会のため?なんかピンとこない。

 

 

そもそも法律を守る、ルールを守るって当たり前のことなのでは?

 

 

昔の話。

 

 

近江商人の経済哲学に「三方よし」というのがある。

 

 

「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」

 

 

この教えを大切にして何百年も続いている企業がある。

 

 

「サービスを提供する企業、そのサービスを受ける企業にメリットや満足を与えることは当たり前ではあるが、ステークホルダー全体にもメリットと満足を与えることこそが良いビジネスである」

 

 

現代風に言えばこんな感じではないだろうか?

 

 

まさに「コンプライアンスの遵守」ではないだろうか?

 

 

近江商人の経済哲学、その言葉は「経営者に向けて」伝えたい言葉と理解した。

 

 

「商売する上で大切なこと」を先人が教えてくれているのだ。

 

 

ということは、コンプライアンスは「経営者のため」にあるといっても過言ではない。

 

 

自分に関わる全ての人たちと社会を幸せにするビジネスを行えば、成長と長い繁栄が期待できる。

 

 

そのように理解できる。

 

 

IT業界の最大手であるGoogle創業期の社是に「邪悪になるな」というのがあったと言われる。

 

 

この指標はいまだに残っているようで、世界に影響を与える企業でも同じような哲学を持っていることは偶然ではないだろう。

 

 

法律の隙間を掻い潜り「犯罪じゃないんだから良いだろう!」などと嘯いて自分だけが利益を享受するようなビジネスモデルは結局は続かないし、社会に認められる企業にはならない。

 

 

「コンプラ面倒くさいなぁ」ではなく自らのビジネスに対する取り組み方が社会に受け入れられて繁栄するものなのか?を検証する試金石と考えてみる方が良いと思う。

 

 

コンプライアンス、これを前向きに捉えて成長の礎にする気概が必要であろう。