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今年のGWは、格闘技ファンにとって特別な時間だった。

 

 

4月29日の「ONE SAMURAI」、そして5月2日の「THE DAY」。キックボクシング、総合格闘技、ボクシングと、これでもかというほど試合が組まれていた。

 

 

スポンサーとして応援している選手も出場していたため、楽しみと同時に、どこか落ち着かない緊張感の中で試合を見守っていた。

 

 

結果としては悔しいものだったが、それでも十分に爪痕を残した一戦だったと思う。

 

 

そして改めて感じる。

 

 

こうした世界で戦う人間は、例外なく「自分は強い」と信じている。

 

 

もちろん、彼らは日々とてつもない鍛錬を積んでいる。

 

 

だが、考えてみれば当然のことだが、生まれた瞬間から強い人間などいない。

 

 

どこかのタイミングで、「自分は強くなれる」「自分は戦える」と思い込んだ瞬間があるはずだ。

 

 

そして、その思い込みがあるからこそあの過酷な鍛錬の道を選べる。

 

 

逆に言えば、「自分は無理だ」と思っている人間は、あの道に入ることはない。

 

 

興味深いのは、この「思い込み」は完全な自己完結ではないということだ。

 

 

周囲からの評価が必ず介在している。

 

 

「あいつ、強いんじゃないか?」そう言われる。

 

 

「もしかして、自分は強いのか?」そう気づく。

 

 

そして、その認識が少しずつ確信に変わっていく、このプロセスを経て、多くの人間が努力を始める。

 

 

つまり、「自分はできる」という感覚は、本人の内側から自然発生するものではなく、外部からのフィードバックによって「育てられる」ものでもあるのだ。

 

 

先月、このブログで「成功の錯覚」について書いた。

 

 

人の成功は、本人の能力だけではなく、構造や環境によってもたらされている側面が大きい、という話だ。

 

 

今回の話は、一見するとそれと矛盾しているように見えるかもしれない。

 

 

しかし、むしろ逆である。

 

 

これは「成功の錯覚」を“意図的に活用する”という話だ。

 

 

人は「できる」と思わなければ努力しない。

 

 

そして多くの場合、その「できる」という確信はまだ何も達成していない段階で生まれる。

 

 

つまり、それは事実ではなく“錯覚”である。

 

 

だが、その錯覚こそが、人を前に進ませる原動力になる。

 

 

アスリートの世界だけではない。

 

 

ビジネスでも、芸術でも同じ構造が存在する。

 

 

若い頃に「自分はできる」と思い込んだ人間ほど、行動量が増え、挑戦し、結果として成功に近づいていく。

 

 

自分自身もそうだった。

 

 

入社前は「営業なんてできるはずがない」と思っていた。

 

 

しかし、入社後、周囲からの何気ない言葉や評価によって、「自分は営業ができるのではないか」と思い込むようになった。

 

 

今振り返れば、完全に“おだてられていた”のだと思う。

 

 

だが、そのおだてによって行動が変わり、努力量が変わり、結果が変わった。

 

 

そして最終的には、起業するところまで来た。

 

 

だからこそ思う。

 

 

「自分はできる」と思い込むことは、決して悪いことではない。

 

 

むしろ、何かを成し遂げるためには、必要なプロセスである。

 

 

ただし、その状態に居続けてはいけない。

 

 

どこかのタイミングで、「それは錯覚だったのではないか?」と自問しなければならない。

 

 

そして、錯覚を現実に変えるための努力に切り替えていく必要がある。

 

 

錯覚でスタートし、本質で仕上げる。これが、成長の一つの型なのだと思う。

 

 

それにしても、極限まで自分を鍛え抜いた格闘家同士の戦いは、なぜあれほど美しいのだろうか。

 

 

昨日のボクシングの試合で、極限状態にある二人がリング上でニヤリと笑い合った瞬間。

 

 

あの一瞬に、言葉では説明できない“色気”のようなものを感じた。

 

 

そして試合終了後、互いを称え合う姿。

 

 

あれを見るたびに、人間の持つ可能性と尊さを思い知らされる。

 

 

「自分はできる」

 

 

その小さな思い込みが、人をここまで連れていく。

 

 

そう考えると、この“錯覚”というものも、なかなか侮れない。