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ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ

『1日だけのヒューマンドキュメンタリー映画祭2025』開催!
2025年11月15日(土)11:00〜/大阪市中央公会堂 地下大会議室

【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013
監督からのメッセージ⑤】

「僕のうしろに道はできる」監督・岩崎 晴子

「僕のうしろに道はできる」を本映画祭で上映いただけることがとても光栄でうれしいです。
この映画制作を通して教えてもらったこと。
それは、人と人が一緒に生きることで、どれだけ無限の可能性が広がるのかということでした。
「奇跡」と思われるようなことも、人と一緒 に取り組むことで「常識」になっていくのです。

この映画では、脳幹出血のために“植物状態”と言われる状態となり、回復の見込みはないと思われた“宮ぷー”こと宮田俊也さんが、元同僚だったかっこちゃんこと山元加津子さんたち仲間の支えの中で、生きることを取り戻していくまでのプロセスを描いています。

宮ぷーは主治医から「万に一つも意識は戻らないし、全身も麻痺したままで動くようにはならない」と宣告されました。
でも宮ぷーが倒れた時から、かっこちゃんは「宮ぷーは意識があるし、全部聞こえている、分かっている」と言いました。
そして、何の反応も返ってこない宮ぷーに話しかけ続けました。

かっこちゃんは「必ず回復していく」と信じます。
毎日病院に通い、リハビリを手伝うようになりました。
周りは誰もがあきらめていました。
しかし時間はかかりましたが、宮ぷーは体が動くようになり、意思伝達装置を使って、自分の気持ちを伝えられるようになったのです。
宮ぷーは、「体が動くずっと前に意識はあった」と言いました。
意識はあるのに、体のどこも動かせず、自分の気持ちを伝えられない中で生きるということは、どんなでしょうか?

宮ぷーに怖くなかったのか?と質問しました。
「かっこちゃんがいたから何とかしてくれると思って怖くなかった」と答えがありました。

実は今、世界中で同じような状況の方がたくさんおられます。
医学の世界でも早くからこのことに気づき、訴え続けてこられた紙屋克子先生、教育界では柴田保之先生がおられます。
しかし、広まっていません。

意識がありながら誰にも気づいてもらえないという極限状態に生きておられる方が、一人でも気づいてもらえて、回復を信じられて、希望の中で生きていけますように、という願いを込めて映画を制作しました。
私達は、自分が生きていることで必ず誰かを温める灯になっています。
そうやってお互いを温め合う灯が広がって、ますますぬくもりに溢れた地球になりますように。
会場で皆様にお会いできることを楽しみにしています。


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「僕のうしろに道はできる」

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岩崎 靖子 (監督)
コーチ、映像作家。監督作に「命がしゃべっている」「宇宙の約束」など。

ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013
監督からのメッセージ④】

ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~」 監督・長谷川 三郎

報道写真家、福島菊次郎さんと出会ったのは、今から4年前の2009年の夏。
「報道写真家 福島菊次郎が、瀬戸内海の街に暮らしている。現在90歳近い年齢で、胃がんを患い、満身創痍。
ちゃんとお話が聞けるのは、今が最後のチャンスかもしれない…」

そんな話を聞き、プロデューサーの橋本佳子と、広島行きの新幹線に乗った。
権力の嘘を暴き続けてきた反骨の報道写真家、福島菊次郎とは、一体どんな人物なのか…。
緊張気味の私を出迎えてくれたのは、六畳間で愛犬ロクと暮らす、福島さんのとびきりの笑顔だった。

「なんでも聞いてくださいよ。だいぶモウロクしているけど、レンズを通して見た戦後だけは、しっかりと頭に残っているの」
大先輩である福島さんに失礼な物言いかもしれないが、そのチャーミングな人柄、そして壮絶なカメラマン人生に、初対面から魅了されてしまった。
福島さんがカメラで暴こうとした『ニッポンの嘘』を伝えたい…。
その直感を頼りに、東京から福島さんの元に通う日々が始まった。

そして取材の最中、2011年3月、あの取り返しのつかない、福島原発事故が起きてしまった…。
食い入るようにTVニュースを見つめる福島さんは、無念そうにつぶやいた。
「今のフクシマがヒロシマに重なる…」

国家に棄てられたヒロシマの被爆者との出会いをきっかけに、カメラマンの道を歩み始め、人生をかけて暴き続けた『ニッポンの嘘』。
その福島菊次郎の写真を改めて見つめ直した時に、息をのんだ。
3.11以降のニッポンを覆うであろう嘘を、写真が静かに語っていたのだ。

「嘘を許してはいけない…」

先行きの見えない時代が続きますが、スクリーンを通して、福島菊次郎さんと出会い、これからのニッポンについて考えて頂ければ嬉しいです。

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ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~公式サイト



長谷川 三郎(監督)
1970年千葉県出身。
1996年よりドキュメンタリージャパン参加。
TVドキュメンタリーを多数演出。
ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013
監督からのメッセージ③】

先祖になる」 監督・池谷 薫

映画を撮るとことで、ずっと人間の尊厳とは何かと考えてきた。
だから被災地で映画を撮ると決めたときも、漠然とではあるが、逆境を生き抜く人間の姿が撮れるのではないかと思っていた。
だが、現地の状況は私の想像をはるかに超えていた。

千年に一度の大津波は、まるで人間の営みをあざ笑うかのように、人も家も、そして歴史風土や文化までも飲み尽くしていた。
茫然としながら被災地をさまよっていたとき、私はある町で花見が開かれることを知った。

全国的に自粛ムードが広まるなか、当の被災地でその花見が開かれる。
悲惨な状況ばかりを映し出すメディアとのギャップに、私は驚き、感動した。
高台にある寺のお堂で開かれた花見は心温まるものだった。
この地に古くから伝わる和太鼓が打ち鳴らされ、ボランティアの手によって全国から集められた地酒が振る舞われた。
集まった住民を前に、ひとりの老人が静かに語りだす。
今年もさくらは同じように咲くと。

復興への壮絶な覚悟をにじませたこの言葉を、私はこの地に根ざし生きる人の魂の叫びだと感じた。
その晩、撮り終えた映像を観た私は、この老人の映画を撮ることに決めた。
それが『先祖になる』の主人公・佐藤直志さんである。
その日から、ひたすら彼を追いつづける日々がはじまった。

きこりを生業とする彼は、息子を亡くした悲しみを抱えながら、みずから森で木を伐り、津波で壊れた家を再建しようとする。
行政に頼ることなく、つねに前を向くその姿は、戦争や災害から立ち直ってきた日本人の底力を感じさせ、孤高の人と呼ぶにふさわしい。
私にとって、やはり映画は人間の尊厳を問うものだった。
『先祖になる』が単なる震災映画の枠を超え、そのように観てもらえることを願うばかりである。

池谷 薫

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池谷 薫(監督)
1958年東京生まれ。
世界が注目するドキュメンタリスト。
国家や社会に翻弄されながらも懸命に生きる人間を撮りつづける。


ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013
監督からのメッセージ②】

「飯館村」~放射能と帰村~ 監督・土井 敏邦

「飯舘村―放射能と帰村―」があぶり出す「国家」の本質
ジャーナリスト・土井敏邦

2012年春に完成した『飯舘村 第一章――故郷を追われる村人たち――』では、
飯舘村の2つの酪農家の家族が、生業の源であり、“家族”の一員”だった牛を手放し、
避難のために家と先祖が眠る墓を残したまま村を離れていく姿を描いた。
映画の中で村人たちは故郷の意味を自問し、愛郷の想いを切々と語った。
もう1つのテーマは“放射能の恐怖”だった。
幼い子どもの被曝を怖れ、放射能に汚染された村から一刻も早い避難を訴えた若い親たちと、“村”という共同体を残そうと
奔走する村の為政者たちとの間に生まれた深い乖離と軋轢も、飯舘村を描くのに欠かすことができない要素だった。

本作『飯舘村――放射能と帰村――』はその続編である。
前作で描いた酪農家の2家族のその後を追うなかで “故郷”“家族”の意味を改めて問うとともに、
「放射能に汚染されたあの村に、住民は帰れるのか」という深刻な問題がこの映画の主要なテーマである。
若い親たちは、幼い子どもたちの被曝を怖れ、帰村を断念し始めている。

一方、年配者たちも、断ち難い望郷の念と、「子どもも孫もいない村、農業もできない村へ独り帰るのか」という不安と葛藤のなかで苦悩する。
そんななか、国は全村民の帰村をめざし、莫大な費用をかけ“除染”を推し進める。
しかし取材を進めていくと、「除染はほんとうに効果があるのか、村人はほんとうに帰れるのか」という疑問が湧き起ってくる。
さらに、いったいこの除染事業によって誰が利益を得るのか、国は除染によって何を狙っているのかという疑惑も浮かび上がってくるのである。

“日本の中のパレスチナ”いう視点から、「人にとって故郷とは何か」「家族とは何か」を問うことから取材を始めた「飯舘村」は、
「国家はほんとうに民衆のために動くのか」という視点へと私を向かわせた。
この映画は、私のその問題意識の変遷の報告である。


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「飯舘村―放射能と帰村―」公式サイト



土井 敏邦 (監督)
1953年佐賀県生まれ。
1985年以来、パレスチナをはじめ各地を取材。
テレビ各局でドキュメンタリーを放映。