二度目にお目にかかります、主務の杉原です。
今回のテーマは3.11についてということで。
あれは東大合格発表の次の日だったので、私は非常に大きな解放感に包まれつつ、高校で部活の卒業パーティーに向けた準備をしていました。
人生で経験した中で一番大きな揺れでしたが、あんな大災害が起こっているとまでは思っていませんでした。皆携帯の速報を見ながら、「東北あたりが大変らしい」「津波警報が出ているらしい」と、阪神淡路大震災のとき関西以外の人々にあったであろうちょっとした興奮と呑気さで、繰り返していたのをよく覚えています。
親に車で学校まで迎えに来てもらったら、30分で帰れる道が大渋滞で5時間もかかりました。多くの友人たちは学校に泊まりました。
でも本当に色々なことが起きたのはそれからでした。私はあの、本来だったらスタートのオンパレードで、賑やかな雰囲気に包まれるはずの春が、全く違う何かになっていた日々のことを今でもはっきり思い出せます。
こんなことを言えるのは私が被災者でないからなのですが、私はあの連日のニュースや、物理的な明るさも雰囲気もどちらもこの上なく暗く陰鬱だった日々に滅入ってしまって、本当に率直な気持ちを言わせてもらえれば、今回の大震災を敬遠してしまう気持ちが自分の中に生まれました。
そういった自分を客観視する中で私が思ったのは、人間はどこまで相手を理解できるものなのだろう、ということでした。これは自分の中でまだ探っている問題です。
今のところ私は、どんなに同情・共感しようと、相手そのものになれない限り人の理解には限界があると考えています。人間にできるのは、突き詰めれば相手の気持ちを「想像する」ことまでだと思うようになりました。
けれどもしそうだとしたら、その限界を前提とする中で自分なりに相手を理解「しよう」とすることこそ、人間として備わっている機能であり、生きていく上で求められてくるものなのだと思います。相手を本当に理解できているかどうかということは、あまり問題ではないと思います。
最後にこれに関連した小話を。
先日東北ボランティアに行きました。上記のようなことを考えていたものですから、自分がどんなことを感じるかということにはとても興味がありました。
途中で、津波によって町の中心まで運ばれてきた船が取り残されているところを見学しました。衝撃は受けましたが、その過程を実際に見たり体験していない自分にとって過程の想像はあくまで想像で、どんなにこれが現実だと呑み込もうとしても、映画のセットのように現実離れしたものであり続けました。
それよりも、人気のない破壊された町で、あの日そこに生きていた誰かを想像したときのほうが、ずっと理解に近づけたような気がしました。例えばあの3月11日に、新しい洋服をみんなに見せたかった誰か、デートの予定があった誰か、長い間読んでいた本をその日読み終わる予定だった誰か・・・などなど。どんなに大きな出来事でも、もっと身近な、自分サイズの何かに落としこめて考えてみることで、「理解」のとっかかりはできるものなんだなぁ、と思いました。
ではでは、また!