こんにちは、野口亮です。ブログも2週目後半に入りました。これからもHCAPブログをよろしくお願いします。
今回は3月11日ということをテーマに書いているので、私が3月11日の震災とそれ以後の日々を通して感じたことを書こうと思います。
まずは人間の無力さでした。今まで何年、何十年、所によっては何百年かけて築き上げてきたものが一瞬にして水をかぶり、流されていく。津波に備えて作った堤防を越えて、内陸の道路まで濁流が流れ込んでいく。人間がそれまで活動してきた町を瞬く間に埋め尽くしてしまう。人間はそれを予測することはできたが、それを防ぐまでには至らなかった。
そして、可能性が存在するときには脆さも存在するということです。二酸化炭素を排出しない、クリーンなエネルギー。高速増殖炉が完成すれば、エネルギー問題を抜本的に解決できるかもしれない。費用面でも効率的。しかし、ひとたび人間の制御を超えてしまうと、その暴走を止めることは容易ではない。炉の内部を観測することはできず、有効な手を打とうにも打てない。
私は東京で揺れを感じた後、テレビを通して情報を得ていただけで、実際にその日その場にいて見たわけではありませんし、原子力発電所に関しても、新聞や雑誌などを通してしか知りません。本当のところは、自分は何も知らないのかもしれない。何もわかっていないのかもしれない。理解しようとしても、理解できていないのかもしれない。甘い体験しかしていないかもしれません。それでも思います。
いかに無力であったとしても、行動できないわけではない。あらゆる生物は環境の変化に対しては多かれ少なかれ無力なのではないでしょうか。その中でできることは、一歩ずつ進んでいくこと。原発の問題にしても、いかに危険な状態であって、現実に影響を与えてしまっているにしても、人にはその状態を改善しようとすることができる。最善の選択とは何かわからなくとも、未来のために最善を尽くすことはできる。
一度、ボランティアで農家の方のお手伝いをしました。土地はかなりの被害を受け、震災から半年たった当時でも地盤は緩んで雨で浸水していました。土地は塩分等の影響も受けていたそうです。それでも、農家の方は時期がきたら作物が収穫できるように精一杯作業されていました。その姿を見て、なぜかわかりませんが私は勇気をもらいました。未来へ向かって全力で生きること、それが自分にできる最善のことではないかと思います。
拙筆失礼いたしました。
野口亮