こんばんは、佐々木絵莉です
今回のブログテーマは「3.11」ということで、まずは私がその日何をしていたかについてお話したいと思います。
私は帰国受験で東京大学を受けたので、3月17日に面接をひかえていました。その日もいつものように、朝から予備校に通い、面接対策をしていました。お昼過ぎに友達を誘って本屋に行くことになり、私たちは新宿へ移動しました。サザンテラスを歩きながら、綺麗なところだね、と何気もなく歩いていました。
もうすぐ本屋だ、と思った時に友達がふと、「なんか、揺れてない?気のせい?」。
その瞬間、地面がぐらぐらと揺れ始め、立っているのも困難なくらいの大きな地震がありました。
周りにいた人達は悲鳴を上げ、向かいに見えるビルは今にも倒れそうなくらい勢いよく左右に揺れていました。
大げさかもしれないけれども、生命の危機を一瞬感じました。
本屋から避難させられた私と友達はとりあえず駅に向かってみよう、と新宿駅に向いました。
駅に近づくと、大スクリーンには東北の映像や津波警報などの情報が流れていました。
その時初めて震源地が東北だということを知りました。
燃え上がる家の映像を見て私は一瞬自分の目を疑いました。
駅に着いたものの、電車は地震の影響で全面的に停止して帰ることはできない。
しかたなく、私は友達と食べ物を買って駅地下の地べたに座りハンバーガーにかぶりついていました。
その時はまだきっとなんとかなるだろう、そのうち電車も動き出すだろうと思っていました。
しかし数時間経っても電車が動き出す気配はなく、私は友達と一晩どこかで過ごせないかと考え、ネットカフェに駆け込みました。運よく空きがあり、その晩はそこで寝泊まりをしようと決めました。
寝床を確保したのは良かったものの、余震が頻繁に起こるため落ち着いて寝る気分にはなれませんでした。電話通じないしメールも届かない。唯一知り合いと連絡をとれたのはfacebookやmixiなどを通してでした。友達や親戚の無事を確認しつつほっとしていると、運よく友達の利用している電車が再開したため、私たちは再び新宿駅へ行き、友達の家へ向う電車に乗りました。
友達の家に着いたのは午前2時近くでした。
テレビでは地震の後に東北の沿岸を襲った津波の映像が繰り返し流されていて、友達と私はその映像を見ながら茫然としました。
本当に言葉を失いました。
震災後、テレビで流れる映像を見て涙を何回も流しました。自分でもよくわからないうちに自然と泣いていました。恐怖、悲しみ、怒り、悔しさみたいなのが混じった気持ちでした。
体験談だけで終わってしまうのはつまらないので、震災後フランスに行ったときの出来事を少し紹介したいと思います。
面接を終えて、私はすぐにフランスにいる親元のところへしばらく滞在しました。
その時、現地の人々は私が日本人だと悟ると、「日本は大丈夫なの?」と心配そうに聞いてくれました。私は被災者ではないけれども、外国の人々がこのように優しく声をかけてくれたことがすごくうれしかったです。
また、あんなひどい被害があったのに日本の人々の行動は冷静で本当に素晴らしい。尊敬している。などと言ってくれる人もいました。
海外の人が震災の詳しい情報や被災者の気持ちを知ることはできないでしょう。しかし、日本外にいる多くの人が日本、特に被災した東北の人々のことを思っていてくれている。なんだか心が温まりました。
今このブログ記事を書いて、改めてあの日のことをいろいろと思い出す機会になりました。本当に衝撃的な一日でした。
3.11に何をしていたか、何を思ったか、そろぞろ違うエピソードがあると思います。
このブログを通して、改めて6期の思うことをしれたらいいと思っています。
次回は副代表のひろこです。彼女が何を書くのかすごく楽しみにしています♪