渉外担当の田中亜依です。
ありふれたテーマではありますが、最近コミュニケーションについて考えることがあったので、それについて少し書こうと思います。
先日父が関西から東北へ出張するついでに私の家に泊まりました。
父の仕事柄、すべてインターネットを通じて行えるものであるため、わざわざ出向いていかなくてもいいのではと疑問に思い聞いてみたところ、いくら仕事はできても、会って話さないと実らないこともあるし、必要最低限の会話以外で生まれる他愛もない会話こそが仕事を繋ぐのだと教えてくれました。
チャットや通信会議などインターネット上の情報交換だけでは得られない何かがある。
それこそHCAPの理念に通じるものではないかと思います。
将来世界を引っ張っていきたいと感じている学生が集まるカンファレンスにおいて、その絆の育成こをが重要であって、利害関係に縛られた大人になって行われる必要最低限のやり取りのみの交流を深いものにするものはその絆だと感じています。
コミュニケーションはもちろん言語によって成り立っていますが、
それは目と目が合って行われるもの、相手の体調などもすぐ感じ取れるくらい近い距離で行われるものであるべきだと思うし、これ以上技術が発達しても決して廃れるべきでない重要なものだと思います。
アイデンティティの話まで持ってくると非常におかたいブログになってしましますが;;
”自分探し”っていうものに疑問を感じている田中です。
確固たる自分なんていないし、それが独立して存在し得るわけがないって思ってます。
周囲の人との関係性の中にこそ自分が存在する。色々な相手との関係の要素を詰め込んだものなんだっていうのが持論です。
これと違う考え方を持ってる人はコメント求みます!色んな考えを知りたいので^^
ちなみにどこかの青少年サミットで出会った韓国の男性には”自分の体に流れている血が自分おを象徴している”と言われ、ものすごく新鮮に感じたのを覚えています。
確かに、自分の中に流れている血って100%抜き換えない限り変えられないですもんね!
祖先のバックグラウンドを持って壮大な自信がつくし*
とても素敵なアイデンティティの定義だと思います。
私の考え方では、関係性の中に見出すことで絶対に嫌いな人って現れないんじゃないかと思います。
相手がいないと存在し得ないのですから感謝せざるを得ないというか笑
高2から内気な殻を突き破り、ここ3年概して社交的に生きてきたわけですが、
日々人の温かみに触れながら毎日を過ごしています><
カンファレンスで出会う人々ともそんな関係を養えたらいいなって思います^^
ちなみにHCAPのメンバーは既に私の大部分構成してます笑
逆に私もメンバーにとってそうありたいと思うので、自分磨きの毎日ですね☆