先月1週間、HCAP(Harvard College in Asia Program)の東京カンファレンスに参加してきました。
その中で、1番印象に残ったのは、あるハーバード生が発したこと一言です。
"I have a responsibility as a Harvard student."
ハーバード生としての責任がある、ということです。
文脈的には、「私はすごく環境に恵まれていて、ハーバードにも入れた。だから、この後は社会に貢献する必要がある。」というものでした。
そこで、僕はかなりずっとうーん、と考えていたのです。
ハーバード生の責任って何なんだろう?
東大生の責任って何なんだろう?
僕の責任って何なんだろう? と。
責任というのは、英語でresponsibility。
"response"する"ability"ですね。つまり、応答すること。
何に対して応答するのでしょうか?
ハーバード生は。東大生は。そして、僕は。
ということを、しばらくずーっと考えていたんですね。カンファレンス中に。
ほかにも色々考えることが多くて、うーんうーんとうなっていました。笑
周りにはどうしたのかと思われていたみたいですが。
一応、僕なりの答えを出すと、やっぱりハーバード生なり、東大生なりには何かしらの責任があるんじゃないかな、と思いました。
そういった大学に入るのにはもちろん、自分の努力も不可欠ではありますが、環境によるものも多いような気がします。
少なくとも、僕に関しては、決して裕福な家庭では育ちませんでしたが、それでも僕を塾等に送るくらいはできました。
僕に投資するために、親はかなり苦労したみたいで、今もかなりやりくりが大変らしいです。本当に、感謝しています。
親には小さい頃から日本語と英語を叩き込まれましたし、いくら親の都合とはいえ、カナダに住むことができ、英語もなんとか身につけることができました。
ピアノも3才からやらせてもらっていますし、本を何冊も買ってもらったりもしました。
さらに、周りの友人にも恵まれ、意識が高いひとたちや、将来のことを見据えている人も周りには多く存在しました。
それに、結構自分の勉強したいことを勉強させてもらった気がします。
こう考えると、やっぱり環境のおかげだったと思います。
すごくありがたい話です。
別に傲慢になる気は全くないのですが、このような環境におかれる、ということ。それは残念ながら全員が経験できることではありません。
本当に偶然の産物でしたし、運によるものが大きかったです。
そうなると、この環境におかれたことに感謝し、僕ができることというのは、社会に対して貢献することなのかなあ、と。
具体的な方法はまだ決まっていません。恥ずかしながら。
でも、僕は前も言ったかもしれませんが「弱者の権利保障」をしたいと思っています。
そもそも現代社会においては、貧困層、女性、障害者、先住民、子供、移民等多くの弱者が存在します。
彼らの権利保障を、弁護士なり、研究者なり、政治家なり。何らかの方法で行っていきたいと思っています。
もしかしたら、それに尽力することが、僕の責任なのかもしれません。
なんというか、エピソードを1つしか取り上げていなくて恐縮なのですが、最後に。
一応、僕の現役版最後のエントリーとなりますので。
僕は、HCAPに入ってよかったと思っています。
諸事情につきハーバードカンファレンスに参加しなかった僕は、東京カンファレンスのみに参加したのですが、
そこでの経験は、密度の濃いもので、これからの人生に大きな意味を与えるものだと思っています。
ハーバード生との何気ない会話でも、ガチの会話でも、色々考えさせられました。
思えば、色々話しました。お互いの将来の夢や趣味から始まって、日本文化、教育制度、ヒロシマ、twitter、政治家、ナショナリズム、ポピュリズム、アメリカ、イラク戦争……
どんな話も興味深く、頭の回転があまり早くない僕にとってはゆっくり、ゆっくりと消化せざるを得ないようなものでした。
ですが、1年間で最も考えさせられた1週間だったとも僕は思っています。
別にHCAPに入れというつもりはありません。
ただ、一つの選択肢として考えておくのも、悪くないとは思います。
それでは、またどこかでお会いしましょう。
HCAP 4期 英語責任者、Web担当
加藤 彰